教育しないことが、教育なのかもしれない。
今日とても面白い記事を読み、教育について考えたのでシェアさせてください。
鹿児島県にある「ひより保育園」と「そらのまちほいくえん」。
この2つの保育園では、子供たちの食育に力を入れている、と記事がありました。ここまでなら、よくある保育園の話。
でも、ここからがすごい。
この食育、ただ料理をして終わりじゃないのがすごいんです。
包丁で魚を3枚おろしをしたり魚を揚げたり、日常的に料理をしているそうで、卒園する頃には一人で揚げ物もできるようになっているんだとか。
この保育園のすごいところは、こどもたちの自主性を尊重しているところ。そして、単なる食育ではなく「食」を日常的に自分たちの命とつながるものである、生命の営みであるということを総体的な活動を通して経験させているという点です。
驚いたのが、以前レストランを開き、こどもたちがメニュー考案、価格設定、材料調達、調理、それを販売し対価を手にするところまですべて自分たちで考え、保育生活の中で経験したという点です。そして、その売上10万円は自分たちの遠足費用にしたのだそう。
すばらしいですよね!
私もちょうど、保育士資格をとった後のことを考えている時に
「保育園の給食って惣菜とかお弁当にしたら売れるだろうなぁ」
と着想的に考えていて、それをこどもたちが地域の孤食がちな高齢者の方、ひとり暮らしの方へ販売したり、カフェみたいにイートインで提供したら面白いんじゃないか、と思っていたところで。
まさに、この保育園がやってるような経験をさせたら、もっとその後の人生に生きる経験をさせてやれるんじゃないかって思いました。
園長の古川理沙さんは、海外で長年日本語教師をされていた方で、保育士畑ではない方だったというから驚きです。ご自身の産後の経験がきっかけとなり、保育園を経営することになったのだそうです。
この記事を読んで思ったことが、教育ってこういうリアルな経験を通して、こどもたちに自分たちで考えアクションする場を提供することじゃないのかな、ということ。
確かに、くつろげる空間で遊んだりお遊戯会したりするのも大切ですが、なんか保育園って「そういうことをする場所」みたいに定型的にやってる感が強いな、という印象があって。(預けている一親として。)
保護者に代わって子どもを見てくださるのは非常にありがたいのは大前提なんですが、もっと先生たちも特技があったり、こどもと共有できる経験とかあるだろうに、と思うんです。
ピアノが下手くそな先生が、無理やり歌を教える必要はないし、絵が下手な先生が無理して絵を教える必要もなくて。
得意な先生が、得意分野の切り口から、子どもに体験をさせてやる企画とかを考えて(残業不要な程度のもので。)やったら、好奇心旺盛な幼児期にとってはすごくいいんじゃないかって。
大人から一方的に教えられるのってつまらないものだし、前のめりで自分で参加できるものの方が身になるし。結局、大人が教えたものは忘れてしまい、残るものといえば、自分でワクワクしながら考えて実行したものだったりしませんか?
つまり、大人が思っているような「教育」をしないことが、本当の教育なんじゃないか。そんなことを思ってます。