内野ビクター

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社会を揺るがす大事件の後に早く立ち直ろうとして、つくろって生きると人間性の破壊につながる

アメリカの911、日本の311の後からそれぞれなにか社会がゆっくり崩れつつあるような感覚がある。 チェルノブイリの後もそうだった。でもそれは偶然かもしれない。 偶然かもしれないが、歴史に残るような大事件、大災害のあと、少しずつ日常がおかしくなる。 その理由がなんとなくわかったような気がする。誰も元の社会を早く復元し忌まわしいことを感じたくない、そのこと聞きたくない、なかったことにしたいと思うがあまり、つくろって生きてしまった。 悲しみや怒りの感状は大人が出すべきものでは

    • 一部の中高年男性とツイフェミは似ている

      逆恨みだという。 こうすべきの規範意識の塊。 「私は幸せになるべき」 なのに、幸せじゃない。なぜ?あの人が悪いからだ! 共産主義に染まるものも「私は幸せになるべきなのにそうじゃない。アイツらのせい」の他責が基本。 「アナタは私を幸せにすべきなのにそれをしてない!!」 同じ毒親育ちでも自分に負ける人はこの他責にいく。自責ができるならそうはならない。 更に相手はこんなワガママな自分でも受け入れて許してくれるはず、という甘えもある。 だから思うとおりに動いてくれなさそうな人

      • まるであの関係みたいだ

        なにか言えばお気持ちや否定が返ってくる。 お気持ちに沿ってない!と怒られる。 そしてアイツが悪い、アイツがこうだからと延々と責めさいなんでくる。 延々と行動を見張りついてくる。 こうすべきのアドバイスが飛んでくる。 なんでこんなにオタクらの気に入る行動を取らせようとするのか? まるでツイ○ェミを相手にしているような気分だ。だから関わりたくないんだ。

        • 議論でなくケンカしかできない

          だいたいこの国は文章に書いていないことを読み取ったり、嫌がらせで対応したりおよそ表面の立派ぶった文明国とはかけ離れた野蛮さが残っている。 議論など出来やしない。 まず議論するための心構えの為に自分の不安を消すなど到底無理なんだから議論を戦わせることなんかできない。 なのに一足飛びに異なる意見をぶつけることが~などと言う。そうじゃない。そんなことはできっこない。異論を受け入れられるほど自信のある人はほとんどいない。 だからまず自分に自信を持ち妙な劣等感を乗り越えることし

        社会を揺るがす大事件の後に早く立ち直ろうとして、つくろって生きると人間性の破壊につながる

          意見より言い方や態度などどうとでも言える些末に食らいつかれる

          いつもなんでこの些末に議論を寄せていこうとするのか不思議だった。 昔のうちの権力者は両親だったが本当に些末にこだわる。 しかし世間も同じで本筋より言い方だのどうとでも言えることの方にけちをつけ始める。 何を言ってるかは聞いていない。 おそらく誰かも言っていたが不安さや自信のなさが攻撃と思わせるのだろう。 しかしそうなると本筋はおいていかれてしまう。 それにこっちも苛立つ。 どうしてこの人達はいつもいつも言い方とか態度とかどんな態度とったって、大人しく言おうが反論自体が

          意見より言い方や態度などどうとでも言える些末に食らいつかれる

          言いにくいことを発信したからと

          よほど心に残るものがあったらしい。 そればっかりだ。 しかし具体的にどんなセリフだったのか教えてほしいと思う。 いつまでもなぜ自分がそんなに気にくわないと思うのかは考えない。ムカついてるのは自分なのに。 この曖昧なまま言語化しないで、まあまあそう怒らずに、で事を納められがちな日本では事を言語化されることになれていなかった。 しかしあまりに慣れすぎて王様は裸のままでいることを許すのか、それとも王様は裸だといわれる一時期の気まずさを超えていくのか、それとも王様は裸のままとい

          言いにくいことを発信したからと

          なぜ人は本を書くか

          それは対面の議論など心許ないことだからだ。 人は人を目の前にすると遠慮や苛立ちなど感情的な反応が優先される。人間が動物である限り必ず自分の言い分を100相手に伝えようと思ってもほとんど不可能だから本を書く。 対面の議論を望むなんかただの言い訳にすぎない。書けばいい。 相手の言わんとすることを文字を見ることで何度も考えてみることができるから、人は本や動画などの記録をとる。 だから誰も本を書く。 しかも社会的圧力が高い人間でも書く。結局一人になり思考することでしか人間は思想

          なぜ人は本を書くか

          自分の強固なプライドを譲れない人は他人の意見など聞けない

          意見は結局自分の価値観だからだ。 他人と意見をぶつけ合うことで何か新しい知識がうまれる、の前にまずその人が自分のプライドを曲げてでも他人の話を聞けるかという基本姿勢がなければ、話し合いなんて言い負かしあい、お前が間違ってるのやりあいにしかならない。 だから今もこうしつこく他人に絡んでるけどその姿勢を改めない人に何が議論ができるか? 他人の意見を受け入れるとはそれを受け入れ自分の価値観を再点検することだ。 それが議論や話し合いだ。 最初から自分の価値観の見直しをする気が

          自分の強固なプライドを譲れない人は他人の意見など聞けない

          遠回しにお前に権力なんかやらねえみたいな返事をもらった

          笑ってしまった。 そもそもなにかやれ!と言われても私にはメリットも何もないというような事を書いた。 ズルい人達にお人好しをやるとキリがなくただただ地獄の道。 ほら、そのいい証明だった。 言いたかったことは 「人をタダ働きさせて都合のいいところだけ欲しいという身勝手さ」の発想法について嫌味であったのに、権力という言葉には敏感でさっそくそこに食らいついていたのには笑った。 権力を要求されると困るらしい。 代弁者を使って物を言う人達が最初から私にメリットもクソもやること

          遠回しにお前に権力なんかやらねえみたいな返事をもらった

          今は監視機能が発達しすぎて断念できない悲惨な時代

          どちらにも不幸 つきまとおうと思えばいつまでもつきまとえる。 相手がそれこそ死ぬまで諦められない。 そのうち「お前が生きてるせいでこっちが苦しむんだあああ」とか始まってホントに誰にとってもいいことないわと思う。 物理的に離れてもテクノロジーで追いかける。 人間はテクノロジーで思いどおりになりすぎて自滅するんじゃないだろうか? 自分の思うとおりにいかないことに納得できないと生きるのが苦しい。

          今は監視機能が発達しすぎて断念できない悲惨な時代

          いつまでも人のせいにするな!は自分の防御と無責任

          毒親の話はわりとどうも言わないくせに、自分達の「ちょっとした悪ふざけ」については言われるのを嫌がる。 結局自分がかわいすぎて、可愛すぎて他者からの苦言などもっての他なんだ。 人望もなくて結構、あんたらみたいな人に好かれようと思わないことにいい加減気づこう! なっ?

          いつまでも人のせいにするな!は自分の防御と無責任

          いい国を残すために!よりまずいい自分になってない

          日本が個人主義化して人々が勝手になったと言う批判は当たらないと思う。 それどころか相変わらず「いい日本をつくる」とか主語が国や地域になりがち。 しかしその構成員である個人は集団のためなら道具化されることを厭わない傾向がある。 集団の一人一人が自立していない集団では争いばかりだ。 そして自己成長が疎かになり、なにか強いものにすがることで自己のアイデンティティを作ろうとする。 それが有名企業、整形、知名度、地位 それらはアイデンティティになり得ない。 自分の醜い部分と思わ

          いい国を残すために!よりまずいい自分になってない

          プライバシーや人をのぞき見ると言うゲスい行為に恥を感じない人達とつながりたくない。軽蔑している。それで心を開けなんか無理だってわからないか?

          プライバシーや人をのぞき見ると言うゲスい行為に恥を感じない人達とつながりたくない。軽蔑している。それで心を開けなんか無理だってわからないか?

          娘の日記をのぞいてたら「お母さんいつまでこんなことするんですか?」とある日書いてあったという。最低な親だ。

          娘の日記をのぞいてたら「お母さんいつまでこんなことするんですか?」とある日書いてあったという。最低な親だ。

          娘の日記をのぞく親 息子夫婦にかまってもらいたがる親 共同体は節度なく入り込むことじゃないけどもうそうなってる。

          娘の日記をのぞく親 息子夫婦にかまってもらいたがる親 共同体は節度なく入り込むことじゃないけどもうそうなってる。

          だからあんたら人の生活のぞいて満足だったんでしょ?また、やりたいくらいでしょう。ゲス人間

          だからあんたら人の生活のぞいて満足だったんでしょ?また、やりたいくらいでしょう。ゲス人間