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すらすら読める方丈記 感想文 自分なりの最高の幸せの見つけ方はこの本にあり!

みなさん、こんにちは😁😁いつもありがとうございます!今日はすらすら読めるシリーズの鴨長明の方丈記の感想文を書いていきたいと思います😀。





方丈記とは?

方丈記とは、鎌倉時代に鴨長明が書いた随筆です😀。前半は長明が若き日に体験した鎌倉時代に起きた災害(安元の大火(1177年5月)、治承の竜巻(1180年4月)、福原遷都(1180年6月)、養和の飢饉(1180年-1182年)、元暦の地震(1185年8月6日))の生々しい長明が実際に見た記録であり、後半は自分の人生をサラっと振り返って、山の中での草庵での生活の内容が記されています。

きっと、皆さんは方丈記といえばこの冒頭のここの部分をご存知の方は多いとおもいます。😁

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

すらすら読める方丈記 13ページより。

現代語訳にすると、川を見ていると水は流れて絶えないが、同じ水ではなく、違う水が流れていると。


鴨長明とは?

この方丈記を書いた鴨長明は、下鴨神社の禰宜の子として生まれました。下鴨神社の禰宜は当時は朝廷にも発言力があるくらいの超エリートというか、現代で言うんならば少し語弊はあるかもしれませんが超エリート神職家系で、もう将来も何にも不自由なくして生きていけるような、いわゆる勝ち組です😅。

7歳にして、従五位の下という官位を得て将来も期待されていたのですが18歳の頃に父が急死して、禰宜の座は親族が継承することになり長明が神官の座に着く道は経たれてしまいました😢

長明は元々和歌や琵琶や琴なんかの音楽も好きでどちらも腕前はプロ級で、好きな事を極めて、後鳥羽天皇(鎌倉殿の13人で尾上松也さんが演じたあの人)から勅撰和歌集の編纂員の1人に命じられたくらいの和歌のプロでした😁。

その御礼に後鳥羽院は、下鴨神社の摂社の河合神社の禰宜の職に、空きが出たから和歌集の編纂の仕事の報いも込めて長明を後釜に据えようとしました、長明自身も「やっと夢が叶う!」と嬉し泣きをしたと残っています。

しかし、それを聞いた親戚の下鴨神社の禰宜の親戚の鴨祐兼の強固な反対に合い(序盤にも書きましたが、下鴨神社の禰宜の発言は相当の影響力がある)、反対の理由が「あいつは和歌や楽器なんかに夢中で神職の仕事なんてしようとしないよ!」と💦後鳥羽院はこの話を無しにしましたが、別の社を官社にしてその禰宜に長明を当てようとしたのですが、それを断ります!😨。

いわば、この待遇も超破格な待遇ではあったのですが河合社の禰宜は長明のお父さんの勤めた職でもあるそうです。

そして、長明は祖母の家に神職の後継として期待されて立派な家に住んでいたのですが「お前みたいなクソニートは出てけ!」と言わんばかりに家を追い出され、妻からは三行半をつけられたのでした😢。


なぜ方丈記を読もうと思ったのか?

最近はこのすらすら読めるシリーズ(原文と現代語訳が載っていて初心者にも優しい)で古典にどハマりして、たまたまYouTubeを見ていたらゆっくり解説シリーズでこの方丈記が出てきて、勝ち組のエリートが転落して、自分自信の幸せを手に入れる!みたいな感じのを見て、読んでみたいと!思いました😁。

そして、すらすら読めるシリーズであるとしり、購入しました。


感想 1

前半の長明が経験した、災害(長明は災害の事を世の不思議をと作中では書いております。)の記述はかなり生々しいです💦実際に近くで見ていないとこういう事は書けないだろうなあて・・。

僕が前半で印象に残ったのは、権力者(清盛は安徳天皇の祖父)の権威の見せしめと、思いつきでおなわれた福原遷都を痛烈に避難しているところとかは、的確すぎる指摘でしたね〜。

実際に訪れた新しい都はかなりひどい所で、京都で壊した家は狭くて建てられないだろ!て言っていとことか、京都の方は治安も悪化したりして荒れているのにまだ新しい都はできていない、公家が着るものから、移動手段まで武士風の生活スタイルになっていき、都の風習が変わって、風俗の急変は世の乱れに繋がって人々は不安になっていき、世が落ち着かなくなり、人の心は荒れていくと記していましたがこれは現代にも言えるなあて💦。

僕が衝撃を受けたのは、飢饉からの疫病で京都の街はそこら中に死体が転がっている、事態は一層良くなる事はなく世紀末状態になっているのでした😨、山の木こりもおそらく食べれなくて死んでいるから、街に薪が入ってこない、一部の人間は荒れた家を壊してぼったくり価格で売っているが中に、色のついた木もあり、仏像や古いお寺の御堂を壊して売る者の話だ。

いつの世も形等は変われど、不届きな事をしたりするやつがいるのは変わらないんだなと思いました😢。

感想   2

そうした世の中で、長明は無常を感じるようになって、人間社会の生きづらさを感じるようになったそうです、僕が現代人も特に僕は特にそうだなと感じたのは下の引用の言葉です。

世にしたがへば、身、苦し。したがわねば、狂せるに似たり。

すらすら読める方丈記 94ページ

(世のしきたりに従えばこの身は苦しい。従わなければ狂人と見られよう。)

これは現代にもありますよね💦みんな同じようにしなければならない。人に迷惑をかけるような事はよくないけど、同じようにしなければ行けない。個人の善悪の判断はいけないと。

そして、長明は山の中に高さや広さが3メートルほどの庵を作りました、それからという物人生をめちゃくちゃエンジョイしてる様子が伝わってきて、読んでいるこっちも楽しくなってきます😀

暇で寂しい時は琵琶で歌を歌い、景色を見て四季を楽しみ、60歳で麓に住む10歳の子と遊んだり、自分の足で山々を超えて出かけてウォーキングにハマったり、出家してる身でありながら勤行をサボった!誰も見てないしいいか😁気が向いたらする!てかなり人間くさくて面白いなて😁。

最後はこの生活の執着の煩悩がとか言ってはいますが、個人的にこれは自分への皮肉というか、俺はこの生活を楽しむんだ!的なことと僕は思います。


まとめ 長明ほど自分を大切にしたい。

僕が長明すげなえな!て思ったのは後鳥羽院から「河合社以外の神社を官社にしてそこの禰宜にしてやるから、それでいい?」で聞かれた時に「やだ!」て断った事です。

もちろん他の神社の禰宜になればお金や身分更には家なんかも保証はされますが、僕の考察ではありますが、長明は多分、河合社の禰宜になりかったんだど思うんですよね😀だからそれ以外は断ったんだと。

世間的に見たら馬鹿です💦安定した身も保証されるのに、世間からどう思われても自分の納得の行かないことはしない、それをすることによって疲れていき自分が自分で無くなるの辛いですからね。

いわゆる勝ち組のエリートの転落ではあるんだけれども、自分の価値観そこから真の幸せを見つけていき、人生をエンジョイした長明は真の勝ち組(世間的な勝ち組ではないけど)なんじゃないかと思います!😆

方丈記は多分普通の人が読んでも、多分響かないと思います💦僕みたいに世間から疎外されたり、何処かで苦しい思いをしたりした人が読むととっても響く本だと思います!。

今回読んでよかったです!、定期的に見直したい本だなと思います😀なんなら僕はこの方丈記を死ぬまで自分のところに置いとこうかと思う本です。それくらいすごい本でした!。

みなさんも方丈記を読みましょう!。自分を大切にしよう!。


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