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「書く」って、魔法だ。

 私が手帳やノートに物事を手書きすることを日常的に始めたのは、コロナ禍が始まった2020年からのことです。
 職場の出社人数規制に伴い自宅待機になったことで持て余した時間を潰したり、命の危険を直に感じるほどの未知なる感染症への恐怖から心の平穏を保つためでもあったけれど、自分も家族も元気に生きていられることが当たり前ではないことを唐突に実感し、今後自分や家族の身に何が起こったとしても、確かに「今」を生きているという手ごたえが欲しくて、毎日の出来事や自分が思ったこと、考えていることを書き出すようになりました。
 マインドフルネスでよく言われる「いま、ここ」という概念を、私は手帳やノートに書くことを通じて意識付けられたように思います。

 この気持ちを更に強めることになったのが、2024年元日に発災した能登半島地震。のんびりとお正月気分を満喫していた矢先の出来事でした。名古屋近郊の自宅も、震度4。NHKを付けたまま、恐ろしくてその場から動くことすら出来なかった。北陸地方周辺の方が体感した恐怖は、想像を絶します。
 南海トラフ・東南海地震が起これば私は確実に被災者になり、たとえ生存できたとしても、家も大切にしてきたものも何もかも一瞬で全てを失うことになるかもしれない。当然、書き溜めた手帳やノートも無くなるだろうけど、幸せに生きていた時間を自分の手で書き残した記憶だけは、失くならない。それだけが、地獄のような出来事を経験した後の自分にとって、生きるよすがになるかもしれないと強く思うに至りました。

 生きていく上で、被災すること以外にも不安事は次々に生じます。大病するかもしれないし、不慮の事故に遭うかもしれない。親の介護・療養の問題には誰もが直面し、年月が経てば年老いていった家族を失います。これまでの平穏な生活が、ある日突然終わりを告げ、自分でも予想だにしなかった日々が始まるかもしれません。
 良くも悪くも、それが人生というものならば。
 目に見えるモノではない心の依り代を何か一つ、作っておこうと思いました。
 私にとって書くことは、ただ過ぎ去っていくだけのありふれた日常や幸せだった時間を一つ一つ振り返り、紙の上に封印していく作業なのです。

 書く習慣を付けたら、良い変化がたくさんありました。常々思っていることがあります。書くことは、「自分自身を再発見」することである、と。

 書くことを始める前は、「自分をいかに良く見せるか、良く見せたい!」と、無理な自己プロデュースをしていました。力量以上の自己演出が過ぎた結果、目標や理想には遠く及ばない現実に打ちひしがれ、自己肯定感が下がるばかり。
 書く習慣付けが出来てからは、これまで漠然としていた「自分は何が好きか」「何に向いていて、何が向いていないのか」「何がしたいのか」がブラッシュアップされ、鮮明に浮かび上がってきたことに自分でも驚いています。
 家と職場を往復するだけで、なんとなくダラダラ過ごしていた日常生活の中では、見つけられなかったものが急に目の前にポンッ!と出現しました。まるで、魔法みたいに!
 紙とペンを使ってじっくりと書く時間が、自分と深く対話しながら己を見つめ直す時間になっていたのです。タイムパフォーマンス重視の風潮からは完全に真逆を突っ走っていますが、私にはこの手法が向いていました。
 元々、日記を書いたり記録を残すことが好きだったわけではありません。むしろ、日記を毎日書くことも、選び抜いて購入した手帳を使い続けることも出来ないタイプでした。しかし、書くことのメリットが目の前に明確に現れたことで、自然と、書くことをやめるという選択肢が出てこなくなりました。

 紙とペンさえあれば気軽に出来ることですが、より好みの書き味を求めてノートの紙質にこだわってみたり、万年筆やガラスペンでの筆記に挑戦してみたり、心地よい環境で書くことを楽しむべく机や部屋の片付けをしてみたり。
 楽しみは無限に広がっていき、自分が主体となってどうとでも出来るという手応えを実感しています。

 それと、もう1つ。
 自分が好きなものが明確になってから、お金を上手に使えるようになりました。
 「なんとなく」「その場のノリや勢い」「お試し」で衝動的に買うことがなくなり、本当に自分に合うものを選ぶ判断が的確になったことに驚いています。あんなに優柔不断で、流されやすい性格だったのに!自分の好きなものにだけ課金できるようになった今では、無駄買いして浪費することも無くなりました。
 
 日本の文房具はとにかく優秀なので、本当ならば100円のペンでも充分に書きやすく筆記できるのに、高級ラインの万年筆を思いきって買ったとき。
 自分のためにお金と時間をかけることが出来るって、なんて幸せなことなんだろうと思いました。それは、良い洋服を買って着たときよりも、強い満足感でした。
 自分の半径1メートル以内を自分の「好き」や「お気に入り」で整えたら、日常生活が生き生きとし始めて、また気持ちにゆとりが生まれました。仕事と自分事に追われるのみで無駄にあくせくしていた日々は、一体なんだったんだろうか。

 「書くこと」を始めて、「豊かな時間」を手にいれた私。
 これは、流行りの「推し活」の対象を自分自身にしているかのように思います。「推しは、私です!」なんて恥ずかしいので口に出しては言えないから、ここに書いておきました。

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