爽快詩人

世界と人間の言語化。より良く生きる為の思考を綴ります。あとビジネスについても。

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最近の記事

「解決能力の向上」

「上手くいかないことは全て自分の責任」というマインドセットがビジネス業界でよく謳われてるが、浅はかに感じつつも、これはどこまでいっても重要な思考ではないかと思う。 例えば、仕事をする上で「上司から理不尽な扱いを受ける」「頑張ってるのに評価をしてもらえない」「人間関係がよろしくない」などの、不満をよく聞くことがある。 当然、社会にでて仕事をしていれば、日々いろんなトラブルに苛まれて、理不尽なことや納得のいかないことは多くあるだろうし、それらの鬱憤を飲み会の席などで憂さ晴らし

    • 偽善と偽悪。偽悪のススメ

      モノゴトの善悪は生まれる場所や住む場所が変われば逆転する。 戦争であれば人殺しも良しとされるし、民主主義であれば悪いことも多数決によって良しとされる。 善悪は前提によって180度変わる。 それにも関わらず多くの人は「良いこと」を「良い」として、その枠からはみ出ようとしない。特に日本人は「良い」という呪縛に汚染され過ぎている気がする。 このような状況は、各々が「良いこと」を自らの意思で選んでるというよりは、何かしらの脅しを受けての結果だと思っている。 これらの人は、拳

      • 我慢という戒律

        我慢の先には何かあるのだろうか? 我々は、これまで我慢を美徳としてきたが、その我慢の先にある「何か」を現代では見失いつつある。 物心ついた時から、我慢をすることを教えられてきたせいか、我慢そのものが目的になっているのかもしれない。 また、その我慢は絶対的な答えを提供してくれそうだから、安心感を求めて、そこを拠り所にしたくなるのかもしれない。 これは「我慢をすれば未来は明るい。」「今、我慢すれば良いことが起きる。」みたいな、今よりも未来を重視するような洗脳である。 そ

        • 「理由」を求める呪縛には注意しないといけない。

          我々はいつから物事に「理由」を求めるようになったのだろうか? 近代が絶対的な答えを求めようとした結果だろうか? 生きる理由、働く理由、趣味に励む理由、 勉強をする理由、人を好きになる理由、 すべてに理由を求めたくなってしまう。 理由がないと、自分を信じれなくなったのかもしれない。 理由がないと、動けない身体になってしまったのかもしれない。 しかし、もし自分が心から惹かれるものがあったとしたら、そこに「理由」なんてのは必要ないはずである。 だれかを好きになったので

        「解決能力の向上」

          まずは全てを否定することからはじめてみる。

          まずは「全てを否定することからはじめる。」というのが大事だと思ってる。 ただ、そんなことをやってると、「なんでもかんでも否定するのはどうなのか?」みたいな意見があるかもしれない。 でも、全てをそこからはじまると思ってる。 例えば、 「なぜ給料は毎月固定なのか?」 「なぜ休日は土日なのか?」 「なぜ仕事は朝からなのか?」 「なぜ1日3食なのか?」 とかを考えたことがあるかどうかが大事。 なぜなら、多くの人は自分で考えもせずに、周りがそうだからと当たり前としていることが

          まずは全てを否定することからはじめてみる。

          頭で考える「好き」と、身体が欲してる「衝動」は違う。

          昨日は7年前からお付き合いをさせてもらっているSNS運用会社の社長とランチに行ってました。 彼は50万人のフォロワーがいるインフルエンサーなので、今回SNSの相談をしてきました。 実は裏でYouTubeを数ヶ月更新していまして、ずっと継続をしています。ですが、なかなか再生回数が伸びないので、いま路線変更をしようと思っている段階です。 ーー 全く関係のない業界に挑戦するたびに「自分はなにもできてない。」とか「自分はダメだなぁ」とかって思うけど、だからこそ物事を楽しめてい

          頭で考える「好き」と、身体が欲してる「衝動」は違う。

          本人が思ってるよりも、「親という存在」が足枷になっていることがある。

          何かをはじめるときに本人が思ってるよりも、「親という存在」が足枷になっていることが多い。 親の価値観によって人生の選択を決めてる人は、自分で物事を「疑って、考えて、選ぶ」ということがない。 生き方も働き方も、全てが親の生き方に沿ったものだから、なにひとつ自分で物事を選択することがない。 そういう人は、自分の手で人生を動かすことがないから、「生きる」という感覚が麻痺しがち。 なんとなく生きてるし、悶々としてるし、「なんかこれじゃない。」と物足りなさを感じてる。 だから

          本人が思ってるよりも、「親という存在」が足枷になっていることがある。

          「わかる。」とは何なのか?

          人は大人になる過程でいろんなことを「わかった。」つもりになるが、実際のところ何がわかるのだろうか。 よく大人が、子供に向かって「大人になればわかる。」と言うが、大人は何がわかってるのだろうか。 「大人になったらわかる。」ということは、大人は子供にわからないことがわかるということだろう。 では、そのわかることとわからないことの境界線はどこにあるのだろうか。 人はいろんなことに思いを馳せて悩みを膨らませる。 例えば、「幸せ」について問いてみたり、「愛」について問いてみた

          「わかる。」とは何なのか?

          問いを置き去りにした、「答え探し」という病

          日本教育のせいか多くの人がどこかで答えを探している。 その都度提示される目の前を問題を、ひたすらに応えてきただけだから、社会にでてからも答えが欲しくてたまらないのかもしれない。 例えば、ビジネスでよくあるのが「どうすればいいですか?」という質問。 これは実はかなり危険で、答えを求める質問になってしまっている。 思考が回っていれば、「こう思うのですが、どう思いますか?」という質問になるはずだから。 多くの人は、「あらかじめ答えが用意されてる」と錯覚してるように思える。

          問いを置き去りにした、「答え探し」という病

          「普通に考える」は意外にも難しい。

          いつも視点を高めることの意義をお伝えしてますが、それを具体レベルまでに下げて粗く雑に言い換えると、「普通に考えること。」と言えるでしょう。 これは簡単そうに聞こえるけど、日常生活レベルで意識できるかとと問われれば、そうではないことが多いかもしれない。 例えば、仕事ができなかったり、結果がでなかったり、人間関係を築けなかったりなどは、多くの人の悩みにあげられる。 そして人によっては、その悩みの言い訳を他人のせいすることもある。 でも、これらを「普通に考える」と端的にどう

          「普通に考える」は意外にも難しい。

          「強者的発想」資格ビジネスの末路とは?

          「資格ビジネス」 本日はビジネスに寄せたお話しをします。 人は一人で生きられませんので何かしらに依存する必要はありますが、自分が何に依存しているかの自覚は大切です。 例えば、コンビニの数よりも多いと思われる「資格ビジネス」。 「どんな資格を取ればいいですか?」と聞かれることが最近増えました。 手に職をつければ食いっぱぐれないと考えている人が多いようです。 そんな方にとって「資格ビジネス」は、安心感を得ることができる処方箋ビジネスです。 資格を取れば安心と錯覚して

          「強者的発想」資格ビジネスの末路とは?

          「本当の自分とは何か?」〜安定が自分の感覚を殺す理由〜

          世間が言う「本当の自分」とか「自分らしさ」ということの本質は、「自分が何者なのか?」という、自覚の欠如から来てる。 そういう人は、何かをやりたいとは思ってるけど、その何かが自分の中では見つかってないし、見つけようと思っていても、周りの空気感を乱してまで、何かをはじめる勇気を持ち合わせてはいない。 なので、その勇気を奮い立たせてくれる、「本当の自分」や「自分らしさ」という確たる何かを探したくなる。 「これしかない。」という確たる何かが見つかれば、その何かが自分の背中をあと

          「本当の自分とは何か?」〜安定が自分の感覚を殺す理由〜