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「本当の自分とは何か?」〜安定が自分の感覚を殺す理由〜

世間が言う「本当の自分」とか「自分らしさ」ということの本質は、「自分が何者なのか?」という、自覚の欠如から来てる。

そういう人は、何かをやりたいとは思ってるけど、その何かが自分の中では見つかってないし、見つけようと思っていても、周りの空気感を乱してまで、何かをはじめる勇気を持ち合わせてはいない。

なので、その勇気を奮い立たせてくれる、「本当の自分」や「自分らしさ」という確たる何かを探したくなる。

「これしかない。」という確たる何かが見つかれば、その何かが自分の背中をあと押してくれると安易に想像をしているから。

でも、その確たる何かは、肩書きや地位といった明示的な概念ではないばっかりに、抽象的な感覚を拠り所にしていることがほとんどだったりする。

抽象的な感覚を持つのがダメなわけではない。どちらかというと、自分の感覚はなくてはいけないもの。

でも、その感覚が、本人にとってはフワフワしててわからないというのが実状だったりする。

少し表現を変えるなら、自分の感覚が麻痺してしまっているから、その感覚に自信を持てないのである。

そのため、昨日言ってたことと、今日言ってることが、全く異なることなんてのはよくあるはなしだと思う。

なぜそうなってしまうのか?

それは、自分の感覚を押し殺すことに長い時間をかけてきたからである。

「本当の自分」や「自分らしさ」を探すのも、自分の感覚がわからないからだろう。

ようするに、自分の感覚が麻痺しているということだ。

これは、日本の風潮や義務教育に問題があると思っている。

なぜなら、今の社会では、「何を感じるか?」よりも、「何が正しいか?」の方が重要視されているから。

例えば、「高校生のなりたい職業ランキング1位が公務員」というデータがある。

親の影響や将来の安定を考えることが、公務員に就きたい理由にあげられるらしい。

もちろん安定という面で考えれば、この結果は妥当と考えられるかもしれない。

しかし、「公務員」は固有名詞ではないから、その仕事に就きたいというのは本来はおかしい。

本当にその仕事に就きたければ、普通は、教師や警察などの、固有名詞になるはずだからである。

このように多くの若者は、学校に行く理由も、仕事に就く理由も、判断基準は将来、安定するかどうかだけで決めている。

つまり、「安定することが正しい。」という価値観を土台として、それを基準に物事を選択していることになる。

この価値観は、世間が言う「本当の自分」とか「自分らしさ」という感覚を基盤とした価値観は全く判断基準として考慮されてはいない。

「将来の安定」こそが自分にとって正しいことであり、それ以外のものは、趣味や余暇として考えているからである。

「安定」というひとつの尺度に、多種多様な感覚を押し込んでいる状態である。

そんなわけで、こういう人が何か新しいことをはじめても、全ての選択の基盤には、「将来の安定」が動機付けとして位置付けられている。

そこに自分の価値基準は存在していない。

言ってしまえば、

「自分で何かを選んでるようで、実は社会に選ばされている。」

そういう状態である。

こういう状態で社会にでて「やりたいことをしよう。」と周りから言われても、困惑するのは当然のことだと思う。

すべての動機付けが、安定するかどうかの価値基準しか持ち合わせていないのだから。

誤解がないように説明しておくと、安定が悪いと言いたいのではない、何をするにも多少の生活基盤は必要であるし、それを目指すのも悪いことではない。もっと言えば、妥当と言えるのかもしれない。

けれども、何に目を向けるべきかというと、「安定することが正しい」という価値観のみを最優先として、それ以外は何を放棄してもいいという価値観に偏ってしまう危険性である。

それは、「身体的な豊かさ」を求めるがあまりに、「精神的な豊かさ」を疎かにしてしまう危険性である。

現代は、息を吸って吐いての、生存することのみが最優先とされていて、「自分が生きてる」と言えるために必要な何かを失いつつあるのではないだろうか。

その何かを失っているからこそ、「自分が何者なのか?」という、自覚の欠如を埋めようとするのではないだろうか。

もちろん、その先の価値というのは、明確に特定することは難しいものであり、各々が向き合うべき課題になってくる。

だか、これだけは最後に言っておきたい。

なんやかんや豊かな日本のなかで、なまぬるい空気感に浸かっていれば、たいして自分の感覚を研ぎ澄ませる必要もなくなってくる。

それは今が、人類史上最も豊かな時代だからである。

毎日、衣食住が揃った生活を保証されている。

でも、その環境にあなたは満足しないはず。

この環境を受け入れることは、「安定と引き換えに、人生を放棄する。」ことになるからだ。

あなたは、安定を手に入れたとしても喜びはしないだろう。

なぜなら、その安定は、誰かが意図して作ったものであって、あなた自身のものではないからである。


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