事故に遭い、変わっていく人生の流れ方や、日々の出来事を綴っていきます

事故に遭い、変わっていく人生の流れ方や、日々の出来事を綴っていきます

最近の記事

今のこと。これがうつか。

ブログを書き始めて、文章を書く事が好きな私は調子良く書いていた。 けれど、ここのところ止まっている。 何もする気がしない。 唯一の休日でも、掃除もしないし勉強もしない。 息子のご飯も作る気がしない。 それどころか、目も合わせられないし話もしない。 横たわって何もせずにぼーっとしている。 ただ頭の中だけはぐるぐると回っている。 良いことにではない。良くないことばかり。 そしてそれは、四六時中頭の中を回る。 仕事中もいつでもだ。 寝ている時には夢に出てくる。 化粧水をつける時

    • 相棒の歩行器

      歩行器が私の相棒になってからは、行動範囲がすごく増えた。 談話室で友達や姉と何時間も話した。 いつしか、私が病室にいないと、談話室まで看護師が探しに来るようになった。 あとは、洗面所に行って歯磨きをする事が楽しくなった。外の景色が見えるから、歯を磨きながらずっと眺めていた。 わたしのベッドは廊下側で、病院は回廊だったから、外を見るのは洗面所だけだった。 リハビリが進んで、階段昇降のリハビリまでくると、1階まで降りる事を許可された。 1階のコンビニでアイスを買ったり、荷物を持

      • 深夜3時の壁

        その頃、私は日時があまりわかっていなかった。 日付には困らなかったけれど、時間には苦労した。 覚えているのは、深夜に、なぜ昼間なのに電気を消してしまうのかと憤っていた事だ。 それが間違いだと気付いた私は、まず、食事に付いてくる日付が記載された小さな紙を溜め込むようにした。 何月何日 朝食 メニューが書いてあるメモだ。 今、何月何日の朝食を食べた。 昼食を食べた。 夕食を食べた。 そしてまた気付いた。 私が憤るのは、ほぼ深夜3時だった。 それで、なぜかはわからないけれど、深

        • メモが脳を担う

          1ヶ月間の急性期の入院で1番嫌な気持ちになったのは、誰も私の事を信じないという事だった。 例えば、私が耳が聞こえにくいと言っても、聴力を司る脳は壊れてないから勘違いだ。 例えば、めまいじゃなくて頭が飛んでいきそうだと言っても知らんぷり。 何度も訴えると、耳鼻科でめまいの検査をした。めまいは起きてないと検査結果を言う耳鼻科医に言った。 「だってめまいじゃないから当たり前。めまいじゃないって言ってるのに、あのERの医者が聞かないから受けただけ」 耳鼻科の先生は笑っていた。 この耳

        今のこと。これがうつか。

          現実へ戻って行く日々

          スマホが手元に戻ってきた。 操作は困らずに使えたし、これでだいぶと入院生活が変わった。 コロナ禍で誰にも会えなかったけれど、この電話のおかげで寂しさは回避していた。 ただ、わたしが送るメッセージは、誤字だらけで支離滅裂だった。 今読み返してもぞっとする。 命が終わらないと判断されてからは、リハビリが始まった。 ST(言語聴覚士)のリハビリで、認知症の検査の長谷川式をした。 あらかじめ見せられた3つの物を覚えて、会話を挟んだ後に布で隠された先ほどの3つを思い出すという検査だ。

          現実へ戻って行く日々

          私に付いた病名

          私が事故で得た病名は、 右前頭葉側頭葉の脳挫傷 くも膜下出血 硬膜下血腫 頭蓋骨骨折 頭蓋底骨折 右の脳は画像診断によって、半分ほど白くなっていて死んでいた。 もう二度と治らないと言われた。 ERの医者は、生活を変えろと言ったが、その重大さは、私ではなく周囲の人の絶望を招いたと思う。 後で姉に、保険証は渡すなと看護師に言われたと聞いた。この時に姉は、この先どうしようかと思い悩んだと笑って話した。 後遺症は必ず残りますとも言われた。 高次脳機能障害だ。 記憶障害 遂行機能障

          私に付いた病名

          あの日からの始まり

          次に覚えているのは、一般病棟に移る時だ。 どこに行くのかという事では覚えていない。 何かの乗り物に乗せられて、ビルの中をぐるぐる回っている。 それを私は、その後の友達とのやりとりの中で、駅ビルに行ってぐるぐる回ってたと伝えていた。 見当違いな場所と、今いる場所も見当違いな事を言って、彼女は私が終わったと思ったそうだ。 起き上がるようになって、やっと自分が入院している事がわかった。 だけど、何故かはまだわからなかった。 全く悲しくはない。 息子の事も気にならなかった。 それよ

          あの日からの始まり

          あの日の聞いた事

          あの日の事を周囲の人から聞いた。 会社に警察から連絡があって、会社から保証人の元旦那に連絡があって、それで元旦那が息子の学校に連絡して、あと海外に住んでいる姉に連絡したそうだ。 後になって彼に聞いた。 救急の医者に「意識が回復しなければ開頭手術になるけれど、そうなったら亡くなる可能性が高いから覚悟してください。呼べる人は呼んでください。」そう言われて大慌てだったそうだ。 警察から聞いた話。 あの日、出血も少なく小さな外傷が頭にしかない私を救急車に乗せて、その後すぐに現場検

          あの日の聞いた事

          あの日

          あの日の記憶は、途中からない。 いつもの朝。 中3の息子を起こしてご飯を食べさせて、送り出してすぐに出勤。 自転車に乗って、いつもの道を走る。 そして、人身事故の件数が日本で上位のいつもの交差点を渡った。 大きな交差点だから、渡り切れるかなと信号を確認した。 そこまでは何の変哲もない朝。 そして、そこまでの記憶しかない。 次に思い出す風景は、窓と布団と管。 そして、何かを話しかけてくる女性。 それがいつの日なのかはわからない。 大きな部屋。 そこここにベッドがあった。 そし

          あの日

          運命というもの

          はじめまして 君といいます 2021年の夏に、自転車で横断歩道を渡っている時に車に轢かれました その事故によって、人生が変わった事もあれば、あんな大変な事故だったのになぜ変わらない?と思う事もあります 今でも、誰にもわからない後遺症と共存し、轢かれる前と同じ顔の仮面を被って日々を過ごし、たまに過ぎる恐怖を打ち消すように、脳を使っています 運命で決まってる 何がどうなっても運命で決まってる事だから、それを受け入れて日々をこなすだけだ 昔、ある人が私に言ってくれた、私の心を楽

          運命というもの