世界に笑いが溢れればいい。

今日会う予定だった会社の人と会えなくなった。コロナが流行ってるから自重するとのことだった。楽しみにしていたので、残念だった。

春になった。桜が咲いた。春なのに雪が降った。桜が散り始めている。お花見なんてする予定はなかったけど、なんだか寂しいもんだな。

春はよく雨が降るから、桜を楽しみたいと思っても、すぐ散ってしまって残念な気持ちになことが多い。今年は、雨や雪に加えてコロナだ。

吉祥寺に行った。想像通り、人はあまりいなかった。ふと思い出したAlexandrosの曲、「涙がこぼれそう」 。

伊丹十三の映画「たんぽぽ」を見た。あるキャラクターが、「人間が死ぬ前に、これまでの人生が走馬灯のように流れる。俺は死ぬ前に見る映画を楽しみにしてるんだ」と言っていた。

志村けんが死んだ。宮藤官九郎がコロナにかかった。

誰にもきっと志村けんにまつわる思い出があるんじゃないだろうか。

バカ殿だったと思う。志村けんのギャグで笑いが止まらなくなってしまったことがあった。ひいひい笑いつづけて、家族が私を見てびっくりしてた。あのときの志村けんの姿を思い出すと、今でも笑ってしまう。

実はこれに関する思い出があって、最初に勤めた会社の健康診断の時だった。レントゲンを取るために、息を止めなきゃいけなくて、絶対笑っちゃいけないって思って、息を止めたんだけど、そしたら逆に、おもしろくて絶対笑っちゃうことを考えてしまった。その時にあの志村けんの姿を思い出して、笑ってしまった。

心配してたら、案の定、検査の結果が返ってきたとき、再検査しなきゃいけなくなった。

再検査のために、検診センターに行った。志村けんのせいだろうとは思いながらも、もし重篤な病気が見つかったのだとしたら、とドキドキしながら、結果を待った。

結果を受け取ったとき、胸をなでおろした。原因はやっぱり志村けんだったのだ。

こんなまぬけな話じゃなくっても、きっと誰にだって志村けんにまつわる思い出があるんじゃないだろうか。そういうのを国民的スターと呼ぶんだろう。失ってから気づいて、大きな喪失感を感じた。

そういう存在の人がいなくなるって事は、ズシンと元気がなくなる。だから絶対クドカンには元気になってもらいたい。日本にとって今それがすごく大切な気がする。

世界に笑いが溢れればいい。再検査でドキドキすることがあるかもしれないけど、そう強く思う。

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