「元アサシンは前世の愛に飢える 」 1話 本日も晴天なり
「う〜ん、今日もいい天気だな!今日はいい事がありそうだ。」
雲一つない空を見上げながら大きく背伸びを一つすれば、小鳥たちの囀りが聴こえてきた。何の会話をしているのかはわからないけど、それを聴いていると心が穏やかになる気がする。
そして、吹き抜けていく優しい風が、今日の1日の始まりを告げるように木々の葉を擦る。
本日も晴天。
まさに日課の薬草採取日和じゃないかと顔が綻んだ。
仕事の前にはまず準備。
庭の井戸で顔を洗い、それが終わると朝ごはんの準備に移る。今日は卵の目玉焼きと腸の肉詰め、それにサラダとパン。シンプルだけど、毎日食べられる事に感謝を告げてしっかりと頂くとしよう。
食器を洗い終えると、今度は洗濯だ。
昨日は沼地の方まで行ったから服の汚れがすごかったけど、これくらいなら手揉みしなくても生活魔法で簡単に落とせるので楽チンだ。
晴天の空の下、パンっと気持ちのいい音が響き渡った。
洗濯を終え、掃除、薪割り、水汲みが終わる頃にはだいたい朝9時を回っているので、ちょっとした休憩をはさんで本格的に仕事の準備に取り掛かる。
俺の仕事は薬草士。
と言っても仰々しいのは名前だけで、別に専門家と言うわけではない。この森で採取した薬草を街で売る事で生計を立てているだけのしがない村人だ。
「鎌と小鋏……それと保存用の瓶に……」
家の横に静かに佇む倉庫の中で必要な道具を揃え、最後に護身用の短剣を腰に装着して準備完了だ。
この森には一応魔物が済んでいる。
この辺は森の深部から浅い場所だからほとんどヤツらには襲われる心配はないけど、用心するに越したことはないのでいつも装備を忘れない。
「さてと……今日も仕事に精を出しますかねぇ。」
準備も整ったし、いざ薬草採取へ……と、その前に今日の目的を確認しないといけないな。
「確か解毒用の月見草が足りないって薬屋の女将さんが言ってたから、今日はそれをメインに探索するんだったな。」
森の地図を見ながら小さく独り言。
この地図は自分で作った薬草採取のポイントをまとめたもので、俺の長年の努力の賜物でもある。
月見草は岩場に群生している事が多い。
月を見る草という名前の通り、太陽よりも月の光を養分として育つため、月の光を遮る木々が少ない場所に根をつける事が特徴的な薬草だからだ。
この森で月見草がよく自生するのは、ここから北に約1キロほど進んだ場所にある崖隣りの岩場だな。この時期は昆虫型の魔物の動きが活発になるけど、あの辺は巣にする樹木も少ないから特に問題はないだろう。
それに帰り道の近くには泉もあるから、帰りに回復薬や万能薬の原料となる薬草も採取できるしな。
そこまで計画を立てた俺は、地図を丁寧に折りたたむと腰に回したベルト型の鞄にしまい込む。
「んじゃ、今日も日課をこなしますか!」
そう心を踊らせながら踏み出した。
◆
目的の岩場に着くと、予想通り群生する月見草を発見した。硬い岩場に根を張る彼らを見ると、その力強さと儚さを感じてしまう。
ここは彼らにとって生きるために必要な場所。
だが、生きるために必要な養分を含む土が少なく、生きにくい場所でもあるからだ。
感情に浸ると長くなるのは俺の悪い癖。
そう反省しながらさっさと採取に取りかかるが、取り過ぎないように注意するのも大切だ。取り過ぎれば生態系を壊してしまう事だってあるわけで、自然と共にある事が薬草士の務めでもある。
俺は必要な分だけ採取して、腰に掛けてある保存用の瓶に詰め込んでいく。
「ふう。月見草の採取はこれくらいかな。」
一人でニンマリと笑いながら瓶を眺めていると、ふと崖の先に視線が向いた。その先には広大な森が広がっていて青々とした綺麗な自然が永遠と続いている。
だが、この見た目に騙されてはいけない。この森の深部には凶悪な魔物が住んでいて、俺みたいな単なる村人は1秒と持たずに食い殺されてしまう恐ろしい森なのだ。
「まぁ、俺には関係ない話だけどな……」
深部に行けるのは冒険者だけとギルドが定めている。
それもSランク級の冒険者のみで、俺のような村人は入る事すら許されていない。でも、俺は薬草を採取して生計が立てられればそれでいい。
だから俺には関係ないってわけ。
俺が住んでいるこの辺りは、人の脅威になるような魔物は現れない安全区域に指定されているし、わざわざ危険な場所に足を運んで命をかけて生活費を稼ぐより、こうやって好きな薬草を採取しながら毎日を過ごす方が性に合っている。
「さて、余計な時間を食っちゃったな。さっさと次に行こう。」
何を物思いに耽っているんだか……次の目的地である泉まではここから歩いて小一時間はかかるから、早めに出発しないとならんのに。
そうため息をつき、次の目的地を目指そうと振り返った瞬間に俺は息を呑んだ。なぜなら、数メートル先に黒く巨大な塊が見えたからだ。
(あ……あれは……ブラック……ボア?何でこんなところに!!)
その黒い猪型の魔物は、鼻息を荒くし完全にこちらを威嚇するように睨らんでいる。
本来ならば、こいつはこの森の深部に棲息しているはずなのに、なんでこんな人里に近い場所に……!
そう考えつつ、反射的に崖伝いに逃げようとした瞬間、ブラックボアが咆哮を上げた。
まるで逃がさないと言っているようなその強烈な咆哮が体中をビリビリと駆け抜けるが、それでも冷静さを欠くことなく俺は走り出していた。
◆
「ブォォォォォォォォォ!!!」
真後ろから度々聞こえてくる咆哮にちらりと振り返れば、木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくる猪型の大型の魔物ブラックボアの姿が見える。
「いったい全体何が起きてるんだ?Aランクのブラックボアがこんなところにいるなんて……」
と、考えてみても答えなど出るわけがないし、それよりも今は逃げる事が先決だ。答えがわかったところでどうすることもできないし、ブラックボアに追いかけられている事実は変わらない。
そう考えながら、森の中を逃げ続ける。
しっかし、何が「今日はいい事あるかも」なんだか……数刻前に自分がした発言を呪いたい。別に誰にも聞かれていないからいいんだけど、独り言なだけにある意味ちょっとした自己嫌悪に陥りかける。
「ブォォブォォォォォォ!!」
まるで「待ちやがれ!」と言わんばかりの咆哮が聞こえた。
さて……どうしたものか。
俺がここまで冷静さを失わないのには訳がある。
とか、カッコよく言ってみたけど、単純に逃げ足だけは昔から早くて、特にこんな風に障害物の多い森などではその才能が開花する。この森も長年過ごした庭みたいなものだし、そんな経験も相まってかここで俺を捕まえるのは冒険者でも困難だと思う。
とはいえ、この方向に逃げるのはまずいな。
このまま進めば俺の家に辿り着いてしまうし、そこからは街が近いから、ブラックボアの意識がそちらに向く事だけは避けたいんだが……かと言って逆に森の深部の方へ誘い込んでも今度は別の魔物に見つかる恐れがある。
確かに、上手くいけばブラックボアをその魔物にぶつける事ができるかもしれないが、成功する確率は五分五分くらい。失敗すれば、俺は2体以上の魔物に追われる事になってしまう。
(とはいえ、このまま街の方に逃げるのは良くないし……う〜ん……そうだ!例の泉に向かえばはネムリダケが生えているはず!)
ネムリダケ。
名前の通り、生き物を眠らせる成分を含んでいる菌類の一種で、水辺に群生する事が多い。そのまま食べると、人間なら一生目を覚まさなくなる事もあるけっこう危険な植物だが、魔物なら一時的に眠らせるのにはもってこいの代物だ。
そうと決まれば迷っている暇はない。
目的の泉はここから西に少し行けば辿り着ける。だが、肝心のブラックボアがついて来ないと意味はないから、まずは奴の注意を引きつけないといけない。
そう考え、俺は振り向いて立ち止まる。それを見たブラックボアはやっと観念したかとでも思ったのか、唸り声をさらに大きくした。
あの巨体で突っ込まれればひとたまりもないが、所詮は猪である。馬鹿正直にまっすぐと突っ込んでくるスタイルには確かに漢気を感じる部分もある。しかし、避ける方からすればなんともありがたい話なのだ。
俺はブラックボアの動きに合わせ、タイミング良く左側に飛び退けた。
突然、目の前の獲物がいなくなった事で驚いたブラックボアが急ブレーキをかける。奴は大きな巨躯で木々を薙ぎ倒しながら止まると、キョロキョロと周りを伺い始めた。
どうやら俺を見失ったらしい。一途な獣らしい挙動に俺は少しだけ安堵する。
ーーーこのまま逃げる事もできるんだが……
そんな考えが一瞬過ったが、こんなところでこいつをほったらかしにはできないと考え直す。
さっきも言った通り、ここは街から近い場所に位置している。魔物は普通の獣よりも鼻がいい。その理由はわからないが、もしブラックボアが人の匂いを嗅ぎつけて街を襲えば必ず被害が出てしまう。
そして、そんな事は絶対に許容できるはずもない。
だって、俺が生計を立てる場所がなくなってしまうじゃないか!薬草士なんてマイナーな職業、ここみたいな大自然に囲まれた田舎じゃなきゃ生きていけないんだ。都会に出ても物流は潤沢で、俺みたいな個人事業主が入り込む余地なんて皆無。もしあの街がなくなれば、俺は路頭に迷う事になりかねない。
足元にちょうどいい石を見つけ、それを拾い上げる。そして、奴の胴体を狙って俺は思いっきり投げつけた。
「ブ……フゴッ……」
石を当てられたブラックボアがこちらに気づいた。
バカにされたとでも思ったのだろう。いっそうと鼻息を荒くし、威嚇するように右の前足で何度も地面を掻いている。
(よし!あとは泉の方へ逃げるだけ……)
そう思って体ごと振り返った瞬間だった。
まるで膝の力が抜けたかのように、俺は無意識にその場にしゃがみ込んだ……と同時に、一瞬だけだが鋭く風を切る音が聞こえたように感じた。
そして、その音にタイミングを合わせるように、後ろでズシンッという音と僅かな地面の揺れを感じる。
恐る恐る振り返ると、視線の先には横たわるブラックボアの死骸。
さっきまであんなにいきがっていたブラックボアは誰がどう見ても息絶えている。血が滲んだ奴の額と瞳孔の開き切った双眸がそれを物語っている。
だが、俺に焦りはない。
「はぁ〜まじで危なかったなぁ。でも、なんか知らんが助かった。」
俺はそう胸を撫で下ろすと、目の前で横たわるブラックボアの位置を地図に記して何事もなかったようにその場を後にした。
◆
その晩、俺はいつもの夢を見た。
それは一人の青年が坊主頭の偉そうな男に何かを抗議する夢だ。
青年は短髪で端整な顔をしており20歳くらいだろう想像している。それに対して坊主頭の年齢は30代くらいに見えるが、その顔がめちゃくちゃ怖いのが特徴だ。確実に堅気ではない事がわかるほどに。
そんな彼に対して、怯む事なく逆にかなりの剣幕で言い寄る青年だが、坊主頭の男はそれを平然とした表情で受け流している。この夢はいつもこんな感じで進み、俺はその様子を俯瞰しているだけで終わる。
なんでこんな夢を見るのか自分でもわからないし、いつから見だしたのかももう忘れてしまったくらいだ。
いつものように坊主頭が無理やり話を終わらせたようだ。おそらく、彼は青年よりも地位が上なのだろう。彼らの振る舞いからそれが見て取れた。
青年が何を伝え、それに対して坊主頭が何を答えたのかはわからない。
なぜなら、この夢にはいつも音がないから。
俺は毎回、無音の中で繰り返される二人の男のやりとりをいつも眺めているだけ。そして、結局は折り合いがつかず、その苛立ちから拳で机を叩いて部屋を後にする青年の後ろ姿を眺めているだけだ。
夢はいつもここで終わり、目が覚める……
……はずだったが、場面が切り替わって少し驚いた。
先ほどの青年が夜空を見上げている。
満天の星の中に巨大な月が黄金に輝いていてその姿はとても綺麗だったが、青年は何故かため息をつく。そして、手に持っていた白い花を月へ捧げるように掲げた。
相変わらず音がない夢ではあるが、吹いた風に合わせて踊るように揺れる花を見てどこか寂しさを感じてしまう。
彼は一体何を想い、何を月へと捧げているのだろうか。
唐突にそんな疑問が溢れてきたが、それの答えを知る術を俺を持っていない。これは俺の夢であるはずなのに……見ている理由さえもわからないのは何故なんだろう。
いくら考えようが答えが出るはずもなく、そのまま俯瞰して見ていると青年は閉じていた目をゆっくりと開けて立ち上がった。そして、大きくて綺麗な月を一瞥すると、建物へと帰っていく。
その背中に寂しさを背負ったまま……
ふと、彼の口元に視線が移る。
その瞬間に彼が何かを呟いたが、音がないこの世界でその答えを知る事は叶わない。
しかし、暗闇に消えていく背中を見送っているとどこからともなく声が聞こえた気がした。
『あなたを……あなたの事を教えて……』
それは今にも消え入りそうな声だったが、確かに聞こえた気がしたのだ。
儚くも優しさと慈愛に満ち足りた声。
そして、長年に渡り馳せてきた想いを打ち明けるような……そんな悲しさに満ちた声。
「君は…………誰なんだ?」
そう問いかけても返事はない。
その代わり、真っ白な光が辺りを包み込んでいき、一瞬だけ強い光が瞬いた。その眩しさで閉じた瞳をゆっくりと開ければ、目の前には高く大きな双丘が……
(ん……?双丘……?)
どうやら俺は目を覚ましたらしい。
しかし、寝ぼけている為か視界がぼんやりとしていてはっきりしない。
目の前に現れた2つの高い丘は一体何なのか。
それを確認しようとして凝視してみると、ようやくその正体が何なのかを理解する。
「……ていうか……めっちゃ……大きい……おっぱいじゃん……」
「はひっ……!?」
とても驚いた声が聞こえた。
これは女性の声……?でも、なぜこんな真夜中に俺の部屋に……?
そんな疑問が浮かんだが、その答えを確かめる間もなく双丘の持ち主らしき影が寝室の窓から飛び出して行った。
何が起きたのかよくわからないまま、ベッドの上で起き上がって窓の外に視線を向けると、真夜中の深々とした独特の雰囲気と綺麗な星空が見える。
そして、遠くの方で叫び声のようなものか聞こえた気がした。
「……いったいなんだったんだ?」
疑問に思いつつも、勝ったのは睡魔のほう……
大きな欠伸を堪え、眠たい目をこすりながら、俺は再びベッドへ横になるのであった。
◆
翌日、朝日の光を感じて目が覚める。
窓の外から小鳥たちの囀りが聞こえ、俺は上半身を起こして伸びをした。
そういえば、昨日の夜に起きたあれはなんだったんだろうかと思い返してみたが理由などわかるはずもなく、とりあえずベッドから立ち上がって窓の外へと顔を出す。
外は今日も晴天で、絶好の薬草採取日和。
そんな些細な事など忘れてしまうほどに良い天気だ。わからないことはわからないのだから今考えても仕方がないし、今日だってやりたい事がたくさんあるんだからさっさと準備を始めよう。
そう考えて寝室から出て1階への階段を下りているところで、玄関のドアを誰かがノックする音が聞こえた。
こんな朝早くに誰だろうか。
考えられるのは牛乳配達員のケリーだが、それにしては少し時間が遅い気もする。なんにせよ、確かめるには玄関に向かう他ないな。
欠伸と背伸びをしながらゆっくりと玄関に向かうが、訪問者はよほど急いでいるようだ。こちらを急かす様に再びドアをノックする。しかもさっきより強めにだ。
「はいはい……わかったからそんなに激しく叩くなって……」
呆れながらにドアを開け、「壊したら弁償させるぞ。」と冗談交じりに顔を上げると、背にした朝日で照らされたシルエットが視界に飛び込んできた。
腕を組み、どこか怒っているような表情を浮かべている女性の……その組んだ両腕で強調された双丘が。
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