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いつまでも恋人気分でいられるような関係が理想的

さしすせその女たち / 椰月美智子 を読んで。

育児と仕事を両立している女性は死ぬほどクソ忙しいということがひしひしと伝わってくる小説だった。
しかも夫は仕事で帰りが遅くなるやら、家事の手伝いはせずに全部妻に任せきりで、ちょっとした手伝いも面倒臭がるような男。
まあ世の中の男はそんな感じかもなと思いつつ、しかし典型的なダメ夫の代表のようでもあった。
とはいえ今の世代の男性たちはもっと育児に協力的な人も多いかもしれない。
なぜなら仕事に精を出すのではなく、ワークライフバランスというように自分の時間を大切にしたい人が増えてきているし、会社も育休制度を取りやすくしているところもあるから…。
と思ったものの、僕の周りに結婚して子供がいる知り合いがいないので、想像でしか言えないけれど。

あんなに愛し合って惹かれ合って結婚した男女が、子供ができた途端にだんだんとすれ違うようになる。
パパとママに呼び名が変わってから自然と役割分担が分かれ、病めるときも健やかなるときもお互いを愛し合うと誓った二人の関係にズレが生じ、育児を手伝ってくれないとか、自分だけ大変な思いをしているとか、俺だって家族を養わなければいけないんだとか、いろいろ押し付けるようになって急激に愛が冷めていく。
恋人だったときはお互いを気遣いあい、優しい言葉をかけて思い合っていたのに、段々と気遣いもなくなっていって、良い意味では自分の素をさらけ出し、悪い意味では遠慮しなくなる。
精神的な距離が近くなればなるほど、相手のことを大事にしなくなる。
これは僕の勝手な偏見の持論なので間違っているかもしれないが、相手と近くなればなるほど遠慮がなくなるのでは、と思っている。
そこには相手への尊敬の念みたいなものが無くなったからではないか、と思うのだ。

恋人関係の場合は相手に気に入られたいという思いがあり、自分の悪い面を隠して良い面を見せようと頑張る。
そこには、相手が自分の手に届きそうで届かない微妙な距離感があり、緊張感があり、大事に扱いたいという尊敬がある。
傷つけたくないし悲しませたくない、一緒にいるときはもっと楽しませたいなど、相手の顔色や心情を推し量ろうとする。
しかし結婚して相手が自分のものになった途端、安心感が油断を引き起こす。
自分の「もの」という表現は良くないのだけど、結婚したらお互い相手に向き合うのは当たり前で、他の人に見向きをすることはないはずだ、と思い込む。
自分のことを愛するのは当然だから、ありのままの素を見せても受け入れてくれるだろうと思い、良い格好をしなくなる。
すると、相手は結婚前はあんなに素敵な人だったのに、結婚したら態度が変わって思っていた人と違う、というギャップが生まれる。
この人は優しいから子育ても一緒に協力してくれそうだと思っていたのに、いざ子供が生まれると全然協力してくれない、ということが起こる。
ちょっと長くなってしまったけれど、つまりは付き合っているときと結婚したあとでは、心理的な距離感が縮まったことにより、相手への憧れや尊敬の気持ちなどが薄れてしまい、今まで隠していた悪い面をさらけ出してしまうのではないだろうか、というのが僕の妄想的考えである。

過去記事でも書いたけれど、僕は距離感が大事だと思っている。
近いけれど遠いような存在。
憧れを持って、大事にしたいという愛情と尊敬。
遠慮していたら相手との心の距離が縮まらないような気もするけれど、相手を失望させたくない、自分の良い面を見てもらいたいという努力をすることが自分磨きにもつながり、より魅力的になることで相手を惹きつけることにもなるんじゃないかと思うのだ。
結ばれたからいいやと思ってしまえば努力もしなくなり、自分の内面や外見にも無頓着になっていく。
そんなふうに落ちぶれるよりは、相手がいつまでもちょっと遠い存在のように感じるほうが、トキメキを忘れないんじゃないか、と勝手に思っている。
実践するのは難しいけれど。

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