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隣の芝がアクリル板で見えない

こんばんは。たった今、突然ふと思ったことがあって、勢いに任せて書き出しているところです。

所謂、『隣の芝は青い』という言葉。

僕は自分では結構他人の幸せを喜べるタイプだと思っているんですが、他人でも友達でもない"友達の友達"みたいな距離感の人の幸せが割と喜べない。

それはもう赤の他人じゃん?と思うかもしれないけれど、"たまに友達から聞く話にたま〜に現れるよく知らないヤツ"みたいな。顔は知ってるし見かけたこともあるけど、特に話したことはない、みたいな。そんな感じ。


で、その思ったことっていうのが、学生の頃は青い芝ばっかり見てたような気がして。でも今は隣家に芝が生えてるのかすらわからない。 

結局この話の行き着く先は、大人になったら周りに他人が増えたっていうだけで、それは既にわかっているんだけれども。


社会人になってから

学校みたいに毎日会う人がいなくなった。友達みたいに、プライベートの話をする機会がなくなった。聞く機会もなくなった。それまでよく話してた友達ともたまにしか会えなくなって、必然的に、隣家の庭を覗き込むことをしなくなった。

なんか芝って今っぽくないからまりもに変えていい?なんでって?好きだからだよ。かわいいじゃん。

自分が育てているまりもが、隣の人のものより大きいのか、綺麗なのか。それは色が綺麗なのか、形が綺麗なのか。他人のものを見なくなったし、見せなくもなった。

僕みたいに一般職でなくても、職場に仲の良い人はいるし、話すこともある。不定休でもなく休憩時間がいつも同じ職場だったら、同じ人と毎日話す なんてこともザラにあるだろうと思う。

でも、プライベートな話はするだろうか? 子持ちの人は子どもの話を、しんどい時には仕事の愚痴を、同僚のちょっとした笑い話を。そのぐらいじゃないだろうか。

昨日、普段しないけど料理をしたとか、良い入浴剤を使ったとか。そんな話をするだろうか?

「なんで?なんか良いことでもあった?」なんて聞けるだろうか。 僕は「へー、そうなんだ」としか言えない。僕のコミュ力の問題? であればごめん。

友達なら聞ける。「えー珍しいじゃん!なんかあったん?」とか普通に言える。そしたら相手もその行動の背景を教えてくれる。

感情があって、行動があって、結果がある。その流れがある。人生じゃん。


🟢

僕の職場

今の世間の仮想敵。つまりはバーなので、休みは増えたし暇な時間もすっっごい増えた。でも給料は減ったし、仕事後に待ち合わせて入れる店はない。

実際のところがどうなのかは知らないが、ニュース見る限り、バーにずっと居る人間はどれだけウイルスに曝されてるのか?と思ってしまう。対策もして、その"対策をしているということ"を見ている自分でさえ。

在宅の人も、僕みたいに出勤しなければいけない人も、きっと「○○だから感染したんだろ!」と責められたくはない。だから誰にも会えない。少なくとも僕から会いたいとは言えない。

因みに、完全在宅で済む1人暮らしの健康なハタチそこそこだったら、僕はフツーに朝まで飲んでたと思う。身内に迷惑はかからないから。でもこれはまた別の話。

誰かの人生に触れる瞬間が何もない。冷やかしながら見守る恋路が、心配しながら応援する努力が、呆れながら寄り添う涙が。ない。

目に見える人生がなくなるって、なんか寂しい。だから大人ってドラマを見るんだな、とも思った。


🐧

noteに書いてある色んな人の 日常のお話、過去の話、好きな物が好きなお話。理由があって、行動があって、結果があって感情がある。ここに多くの人生がある。

あ、だから好きなんだな。とついさっき気付いた。

「お宅のまりも、最近どう?」と思いながら皆様の日々を読ませて貰っています。ありがとう。

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