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僕が僕であるために


「私は私、あなたはあなた」

この言葉は自己を確立する言葉であると同時に、他者を拒絶する言葉でもあるように思われる。

自分と他者は違う存在であって、考え方も人それぞれである。

これはとても大事な考え方だ。
他者を他者として尊重すること、自分を自分として尊重することの前提となる。

しかしこの考え方に救われていると同時に、他者と分かり合えない事実に傲慢にも傷付いてしまう。

「どうしてそんなことを言うのだろう」
「どうしてわかってくれないのだろう」

そんな考えを私たちは持っている。

人と違う個でありたい欲求と、他者と交ざりたい欲求、この相反する2つが私たちの中には常に存在している。

そんな矛盾を抱えているからこそ、私たちは自分の考えを口にするとき、それが正解なのかどうか悩むことになる。

今でも覚えている。
中学生の頃、走れメロスを読んでメロスがどんな人間かを考える授業があった。

私はメロスをとても浅はかな人間だと思った。
邪智暴虐と描かれている王のもとへ、なんの策も持たずに突撃する。
捕まるのは当たり前だ。
さらに親友を勝手に人質として差し出す。
こんなことはまともな人間のする所業ではない。

しかし、クラスの考えは違かった。
みんなメロスを勇敢で信頼できる人間だと褒め称えたのである。

何人かのクラスメイトがメロスを褒めたあと、あろうことか私が指されてしまった。

「処刑されることがわかってるのに走りきったメロスは、本当に勇敢だと思います」

私はとっさにそう答えていた。

そのとき、メロスを頭のおかしい人間だと思っていた私は死んでしまった。
国語の授業という取るに足らない小さなことだが、今でも鮮明に思い出せるほど私の中で何かが消えていくのを感じたのだ。

周りに合わせることを悪だとは思わない。
ただ、周りに合わせるということは自分を失っていくことと不可分の関係にあることを意識しなければならない。



尾崎豊の『僕が僕であるために』という曲の一節を引用したい。

―――――――――――――――

僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで

―――――――――――――――



ここでの勝つ対象というのは、当然のことのように社会や自分自身であろう。
推測になってしまうが、自分の主義主張を通すことがここでの「勝ち」ではないと思う。
自分を律すること、正しさを求める姿勢を持ち続けることが「勝ち」なのだと思う。

自らのために自ら戦い、自らとして勝つ、ということは当然ながら厳しい戦いとなる。

正々堂々勝負するよりズルをして勝つ方が楽だから。
考えるより考えない方が楽だから。
声をあげるより黙っている方が楽だから。

社会から求められる姿で、求められるままに行動することがいかに楽かを私たちは知っている。

負けた方が上手くいく戦いがあることまでも知ってしまっている。

それでもやはり、そんな風に生きていると言葉にできない小さなモヤモヤが積み重なっていく。
自分の人生とは何なのか。
これで幸せになれるのだろうか。
そんな壁にぶち当たってしまう。

同時に、周りに合わせたとしても社会が常に正しいわけではない。
悲しい常識や恐ろしい誘惑がそこにはあり、一度屈してしまうと再び立ち上がるのはなかなかに難しい。

だからこそ、尾崎豊は「勝ち続ける」という表現を使っているのだろう。

正しさとはなんなのであろうか。
そもそも勝ち負けがあるのだろうか。
先に述べたように、私たちは個人であると同時に社会の一部になりたいという欲求も間違いなく持っているのだ。
それすらも曖昧なこの社会で、尾崎豊は勝ち続けることを選んだのだ。


私には勝ち続けるどころか、勝負をし続ける強さはない。
自分の大切なものをバカにされたときも、立ち向かわずにヘラヘラと笑ってしまう。
負けて、逃げて、目を逸らしてしまっている。
でもそんな帰り道、私は決まって電車の中で失望する。

自分にとってその程度のものだったのか。
嫌われてでも声をあげるべきだったのではないか。
どうしてヘラヘラしてしまったのか。

そう、自分自身に失望するのだ。


少しでいいから変わりたい。
勝ち続けることが無理だとしても、戦いの土俵には立ちたい。
何度負けてしまっても、何度も立ち上がりたい。
大事な戦いでは負けずに頑張りたい。

私が私であるために。

目の前に広がる景色を綺麗だと言いたい。
正しいことには正しいと声をあげたい。
繋いだこの手の先に愛を叫びたい。

自分の見聞きしたもの、感じたこと、思う全てを自分の一部にしたい。
流されず、惑わされず、自分を信じたい。

それこそが、自分を律するということだと思う。

難しいだろう。
辛いだろう。
ヘラヘラ生きるよりよほど壁にぶつかることは明白だ。
今よりもっと悩むことになるかもしれない。
それでも、それでもいつか自分を好きになることができるのなら。


『私は私を明け渡さない』
来年のスローガンにでもしようかな。

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