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ほどほどに生きること

改めて双極性障害(双極症)について考えてみると
実に難儀な疾患だなぁと思う。
元気になり過ぎてもダメ。
どんよりし過ぎでもダメ。
プラマイ10段階だとしたらゼロのところを保てるかという感じでどうも息苦しい。
そもそも自分にとってフラットな位置が分かっていないとゼロもへったくれもない。
元気なのか、躁なのか。
落ち込んでるのか、うつなのか。
何というか四六時中、自分を客観的に見ていないとさっぱり分からないんだけど、
何だか自分を監視しているみたいでイヤーな感じ。
僕は25の時に躁転して28の時にピークを迎えた。
あの時に乱れに乱れた生活でカミさんと親に迷惑をかけまくったことがきっかけとなり僕は双極症と真剣に向き合うことにした。
そのあたりのことはこっちにまとめてあるのでよろしければどうぞ。

その後、僕はピアサポートの世界に飛び込んであれやこれやとやってきた。
横浜市の生活支援センターや地域活動支援センターでずっこけたりぶつかったりしながら自分にできること、自分だからできることを探して7年。
毎年恒例の冬季うつに悩まされていた時期もあったけれど
ハマッチャとあいりきという2つの活動にやりがいを見つけたおかげでストレスフリーになったこともあり
寛解して5度目の冬を越した。
…財布の中は氷河期ですが。

双極症と円満交際していて気づくのは自分がいかに完璧主義だったか…ということ。
しかもその完璧を相手にも求めるので実に厄介。
少なくとも自分の周りにいてほしくないタイプだったと思う。
あらゆることをゼロか100でしか考えられなくて、
とはいえ人間なので理想通りに生きられるわけもなく不甲斐ない自分に腹を立ててみたり落ち込んでいたりした。
実にめんどくさい。
しかも周りに対して大言壮語ぎみになっているし、
躁転すると人類史に名を残す天才(自称)になってしまったからあらゆる人を見下していた。
で、落ちると全方位に土下座。
うーん…やっぱり双極症はめんどくさい。

自分をコントロールする…って誰にとっても難しいことだと思う。
ダイエットは明日から…とかね。
その弱さみたいなところが実は大切なのかもと思うようになった。
ほら、竹や枝って負荷をかけると緩やかにしなるでしょう?
鉄筋だってしなるわけです。
それがダイエットは明日から…ということなんだと思う。
ガッチガチに自分を律していたから僕はぶっ壊れたんろうなと。
柔軟さがなければダイヤモンド並みに頑丈にするしかないんだろうけど、それじゃ人間じゃない気もする。
だから程よい弱さや脆さって安定を保つためにとても大切なことだと思うようになった。
そう、「ほどほど」と呼ばれるやつである。
何事も極端な双極症にとって「ほどほど」は必修科目だと思う反面、人によって違うから自分で見つけ出すしかない。
キッツいです。
怠るとまたぶっ壊れてしまうし、追い込み過ぎたら逆効果。
薬はあくまで補助輪なので軸になるのは自分。
もはや達観してしまうのでは…と思うこともあった。
…してませんけどね。

こういう日々送りながらも怠惰な自分を認めたり時に甘やかしてあげることで僕はここまで来た。
徹底したのは躁転を防ぐこと。
ただそれだけ。
「躁転したら今度こそ全て失うぞ」と自分を脅していた時期もあった。
これを繰り返しながら少しずつ「ほどほど」を見つけて自分の安全地帯がどこなのか見極めてきた。
たまに迷子になりながら。
誰のためでもない。自分のためだけに。
それが周りの人のためになっていった。

双極症の人はクセが強くて自己主張が激しい面倒くさい人と思われるかもしれない。
けれどその裏では自責と後悔で消えてしまいたいと思っているかもしれない。
何よりもこんな風に見えないところで悪戦苦闘しているかもしれない。
涙は枯れ果てて心は荒野みたいになっていても生きていくことを選んでいる。
そういう疾患なのかなと思う。
…ちょっとカッコつけ過ぎかしら。

僕の体験はあくまで僕だけのものであなたの役には立たないかもしれません。
とりあえず真似することはできません。
環境も何も全て違うから。
けどもしかしたら何かヒントになるかもしれない。
そう思って僕はピアサポートを続けているし、これからもそれは変わらない。

楽しいことは全力で。
つらいことはほどほどに。
それが今の僕。

ま…この先どうなっていくか分かりませんが、
ほどほどを大切に適当に生きていこうっと。
目指せ!高田純次さん(笑)

ってなところで本日はこれまで。
駄文を最後まで読んでくれたあなたに良いことがありますように。

んでは…
アディオース!



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