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めんどくさいことをやめる。

僕が就労移行支援事業所に通所していた時、体調管理、把握のために勧められたのが日記と生活リズム表だった。

日記はあくまで自分用なので定期的に提出するとかそういうことではなく

ただその日にあったこと、感じたことを自由に書いていた。

一方で生活リズム表というのは+-5段階のマス目が書いてあって日付と状態を記しておくものだ。

これによって体調不良のきっかけを掴むというもので気分障害の方にはわりと定番のツールになっている。

ただ、僕はもう使っていない。

理由は簡単でめんどくさかったからだ。

それこそ就労移行に通所中は日記もリズム表もしっかりつけていたのだけど、就労して半年くらい過ぎたころにだんだん面倒になってきた。

まず仕事で疲れているし、帰ってきてから家事をやっていると自分の時間が足りなくなるので煩わしくなってきちゃったのだ。

とはいえ就労支援センターの面談で提出する必要があるのでサボるわけにもいかず。

今なら「向いてないんでやめます」と言えるのだけど当時の僕は指示通りにしていないと支援を打ち切られるのでは…と思っていた。

じゃあどうしていたか。

ズバリ夏休みの宿題方式。

要するに提出前にまとめてバーッと書くだけ。

つまり適当。

典型的な本末転倒というか無意味。

実はもう一つ記録が嫌になったこととして、

自分が徐々に転落傾向にあるのを見るのがしんどいというか

自分が崖っぷちからゆっくり転落していくのを突き付けているような感じで余計に滅入ってきたからだ。

もちろんそこから目を背けずにどうにか落っこちずに済む方法を探るために記録を読み返して「きっかけ」を探すのだけど、

僕の場合「冬だから」という南半球に行く以外の対処法がないきっかけだと途方に暮れてますます滅入ってしまう。

なにせ主治医からも冗談半分で「最終手段はニュージーランドかなぁ」なんて言われていたくらいなので僕の冬季うつはけっこうしんどかった。

なんというか…冬眠というシステムが人間にあればいいのにという感じ。

だから冬になると生活リズム表はずーっとマイナス。

これはもう苦行でしかない。

何なら「桜前線がやってくるまでマイナス」と書いて先に提出しておこうかと思っていたこともある。

日記も然りで「今日は寝て終わった」を毎日、書いていると自己肯定感もへったくれもなくなる。

もはや人ではなく涅槃像。でもご利益なし。

だから僕は1年後にどっちもやめることにした。

その代わりというわけではないけど日々の記録がてら買ったばかりのスマートフォンで写真を撮ることにした。

というのも一時期トイカメラにハマって気の向くままにシャッターを切ってみたり、

「海」とかテーマを決めて36枚撮りフィルムを使うというようなことをやっていたのだけど現像代がバカにならないので失業してからは写真を撮るということ自体が難しくなって縁遠くなっていた。

だから僕にとってスマートフォンは「カメラ付き電話」という素晴らしいツールとなり気の向くままにシャッターを切ることでストレスからも解放してくれた。

なにせクラウドのデータを見れば日付と時間まで勝手に記録していてくれるわけだから僕はただシャッターを切ればいい。何なら位置情報だって勝手に記録されている。

あとで見返したときに構図がおかしかったり被写体が暗かったりする時期がうつの前段階ということも分かったので、

あくまで僕にとってはエビデンスのある体調記録ツールだ。

ただ、この方法にしたって写真を撮る習慣がない人にとっては苦痛になると思う。


結局、こうした方法は「多くの人」が取り組んでいるかどうかで採用されてきているので向き不向きがあって当然だと僕は思う。

ただかつての僕がそうだったように医者や支援者の指示に背くと不利益を被るリスクを感じて無理やり取り組んでいる人もいる。

実際は人権侵害みたいなものなので不利益を被るということは…残念ながらある。

この辺の話はまた別の機会にしておきます。

おっと話がそれてしまった。さーせん。

僕は自分の体調管理方法は自分で見つけるのが一番だと思う。

色々と試してみて自分に合うものが見つかればそれでいいじゃん。

体調管理のためにマズいものを延々と食べるのはしんどい…みたいな感覚とでも言えば良いかなぁ。

もちろん自分が見つけた方法にリスクがあるかどうかを考えることは必要ですよ。

ストレスなく、金銭的負担もなく…などなど。

「俺は毎日キャバクラ通ってたら元気だ。だからおふくろ金をくれ。」

という屁理屈でソフトな家庭内強盗はやめときましょう。


かれこれ寛解して3年目の冬を迎える。

無事に春を迎えられる予感がすでにしている。

なぜなら今の僕は「自分にとって楽しいことだけ」をしていて

「自分にとってめんどくさいこと」をやめたから。

だから僕は思うのだ。

「めんどくさいと思ってもコツコツやる」ことだけを美徳とする時代はもう終わったんじゃないかな。

「好きなことだけコツコツやる」でもいいじゃん。

「誰かのめんどくさいは誰かの好きなこと」って考えればもう少し世の中は楽しく回っていくんじゃないかなと思うんだよなぁ…

ってな感じで今日はこの辺にしておきます。

堅苦しい文章がめんどくさかったのでゆるっと書いてみました。

そんな僕の気まぐれに最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

それではまた近いうちに。

アディオース!



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