My ストーリー
今更感はありますが、これから自分がなぜこの仕事をしていうかという話をしていこうと思います。
序章
今私が受験指導をしている理由
自分を変える
自分を変えたいと思っているがなかなか一歩踏み出せない人の背中を押したいという想いでやっています。
①高校3年生の時に偏差値は30台から関西学院大学に合格した勉強法を伝えたい
現役時代は生活リズムや勉強するモードを徐々に作ったら終わりで周りに10年かかるといわれた状態から実質1年ちょっとで関関同立に1浪で合格した。
②人生いつでも好転できる
高3で人生の選択肢が2択に追い込まれた経験から→関関同立である関学に合格
30代前半で運動不足で体重が減って体調不良に→筋トレでめちゃくちゃ健康的で病気知らずの身体に
第一章 どん底
どん底
この言葉を聞いてみなさんはどんなイメージをしますか?
また、自分こそが人生のどん底の経験者だとか今がまさにそうだと思っている人もいると思います。
私のどん底の始まりは高校選びから始まりました。
中三の進路相談でバンドが出来たら高校なんてどうでもいいので自転車で通える所に行きますと行ってしまったのがどん底のスタートでした。
今は当時よりも偏差値も上がっていますし、名前は伏せますが、私が入った私立高校は特進、普通科、スポーツ科に分かれているような典型的な私立高校でした。
私は普通科でした。
はっきりというと、普通科はお金を払うだけの存在で、スポーツ科が高校の名声を高め、特進が進学実績を残せばいいという感じで、めちゃくちゃヒエラルキーが低くて学校の扱いもかなり適当でした。
高2の終わりの進路相談で大学に行きたいと伝えるとその成績で大学なんて向いてないといわれました。
なんと、英語の進研模試の点数が2点という結果を見られたのです。
そして、専門学校科知り合いの職場を紹介してやるというふうに言われて、自分の人生の選択肢が2択に追い込まれていることをしりました。
少し悩みましたが、神戸大学から美容師になった先輩の話などを聞いて、自分の人生の選択肢を選択しをどれだけ広げられるか勝負してみようという気持ちになりました。
また、当時付き合っていた関大の彼女に振られたというのもあって!?(笑)関西学院大学を目指すことを決意しました。
そして、結局どうするのかと担任に言われたときに堂々と「一般入試で関西学院大学目指します」っていったら、学年主任まで出てきて「10年はかかるから辞めとけと」とまで言われたのを今でも覚えています。
第二章 正しいやり方との出会い
1つ目の予備校の体験で~ing系を全部「~する事」と訳していると怒られる。
この時冷静に、「勉強が出来ないから塾に入ろうとしてるんちゃうん」と思いその塾は入らない事にしました。
そこで、出会ったのが藤井セミナーという塾でした。
少し生意気だった私が「自分でも関学受かるん?」って聞いたら即答で「いけるいける」って言われたのも大きかったです。
予習がいらない
復習中心
これは、勉強が出来ない人にとってかなりの救いでした。自分の力では知識が無さ過ぎて調べることも出来ない状況だった私にとってはこれしかないという方法でした。
授業を受けて終わりの他の予備校と違って必ず1週間後に復習テストがあることが復習をやった努力の成果が点数として出るのがよかったです。
努力の数値化って最も難しいと思うんです。
スポーツでもどれだけ練習して筋トレしてもレギュラーになれるかも分からないし試合に勝てるかもわからない。だけど、英語の復習テストに関しては1週間後に必ずやってくるし100点満点で数値される。
また、長期記憶の観点でみても6周以上、1週間で毎日やることで長期記憶の入り口に到達するので単なる短期記憶で終わらないで頑張った分全てが身に付いていきます。
第三章 指導者となりさらなる理論を確立
講師になって、東京で塾をやるようになって教え子たちが早慶に受かっていくのをみて、共通点を見つけました。
また、どういったパターンで合格しているのかなどをしっかりとデータ化していって、どうすれば合格に一番近いのか、逆転合格のマインドを確立しました。
一番自信を持っているのが、自分を変える方法と継続させる方法です。
自分を変えるってかなり難しいですが、自分は10代の頃に勉強を30代に入って体格を劇的に変えることができました。また、今までも教え子で劇的に変えた人からもこれは凄いといってくれます。
また、継続させる方法も、自分が圧倒的3日坊主マンだった過去があるからこそ、いえる続け方を伝えれると思います。