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谷口 豪樹/観光農園スマイルファーム

法人名/農園名:株式会社smile farm/観光農園スマイルファーム
農園所在地:福島県伊達郡川俣町
就農年:2018年〜 
生産品目:13種類のアンスリウム、イチゴ6品種(「四つ星」「紅ほっぺ」「とちおとめ」「もういっこ」「恋みのり」「星うらら」)、ひまわり、ストック、水稲
HP:https://smile2525farm.com/
Instagram:smilefarm_kawamata

no.260

古着繊維を再生したポリエステル培地で、川俣町のアンスリウムを復興のシンボルに!

■プロフィール

 埼玉県で1987年、左官職人の父とキャディの母のもとで生まれ育った影響で、子供の頃からゴルフに親しみ、中学生でプロゴルファーを目指す。大学を選ぶ際も、「千葉ならゴルフ場が多いから」と中央学院大学に進学。
 
 卒業後は、大手クラブメーカーのつるやに入社し、転勤族として各地をゴルフ指導してまわるなか、2015年に福島県福島市で出会った客の家族が、後に妻となる範子さんだった。
 
 範子さんの父親は川俣町山木屋(やまきや)出身の農家で、避難先でも農地を借りて小菊を栽培。収穫などの手伝いをするうちに、範子さんに惹かれるようになり、転勤のない福島市内の印刷会社に転職。
 
 川俣町山木屋地区の避難指示区域が解除となった2017年、「川俣町ポリエステル媒地活用推進組合」が設立したのをきっかけに、就農を決意。2018年、同組合へ参画し、アンスリウム栽培をスタート。
 
 経営規模を少しずつ広げ、2021年には株式会社smile farmを設立し、イチゴの栽培にも着手。

 2023年には、川俣町から体験農場の運営管理を受託し、イチゴ狩りだけではなく、アンスリウムを使ったフラワーアレンジメント、花や植物を使ったリース作り、お花や野菜の収穫体験など、さまざまなワークショップを企画開催することで、人が集まる農園作りと町の活性化をめざす。

■農業を職業にした理由

 高校時代からプロゴルファーを目指し、大学卒業後はゴルフクラブのメーカーに入社して、転勤族として関東周辺の都市をめぐりながら、指導などを行っていた。

 2013年、転勤先の福島県福島市で、後に妻となる範子さんの弟と父親を接客したことがきっかけで、一家が東京電力福島第一原発事故で避難を余儀なくされた川俣町山木屋地区の出身だと知る。

 範子さんと親しくなるうちに、もともと大きな花卉農家として生計を立てていた父親と母親が避難先で始めた小菊の栽培や収穫作業を手伝う機会があった。被災して故郷から離れた場所でも変わらず農業を続ける姿を見て「カッコいい」と思うようになり、「自分も人生を賭けて農業をやりたい」という気持ちを強めていった。

 2011年の原発事故以来ずっと「復興に関わりたい」と思っていたので、福島行きもまわりからの反対を押し切って決めた。ゴルフクラブの販売は、被災した人たちのメンタルケアにはつながるかもしれないが、自分ではずっと葛藤を感じていた。

 転勤の辞令を機にゴルフ用品の会社を退職し、福島県内の企業に転職して範子さんと結婚。川俣町山木屋地区の避難指示が解除となった2017年、脱サラして町が進めるアンスリウムの栽培プロジェクトに参加を決めた。

 川俣町は古くから「絹の里」として栄え、近年はトルコギキョウなどの生産でも知られているが、避難指示の解除後は、風評被害の影響を受けにくい“花”を特産品にするプロジェクトに力を入れている。

 2013年からは近畿大学の全面的な支援を受け、土を使わずに古着の繊維をリサイクルしたポリエステルを培地にしたアンスリウムの実証栽培を進め、2015年には栽培マニュアルが完成していた。

 そこで2018年、町内の11農家が設立した「ポリエステル媒地活用推進組合」へ参加し、融資を受けてハウスを建設し、その年から栽培をスタートした。

 熱帯原産のアンスリウムは、国内で流通している9割が輸入品だ。真冬の気温が氷点下10度以下になる東北地方では、暖房代や輸送費など生産コストの負担も大きい。農業に関する知識も経験もゼロという大きなハンデはあったものの、体験することすべてが初めてで楽しかった。

 ハウスの暖房代節約のために、アンスリウムがどこまで気温低下に耐えられるか耐寒温度を調べたり、日中の保温時間がどれくらい継続するかなど、毎日データを記録して、自分に合った管理方法を模索していった。

 ハウスは、300坪の広さで7,500株を育てているので、水やりを人が行っていたら数時間はかかってしまう。そこで自動灌水装置や、遠隔操作で温度管理できる環境制御機器を導入。設備投資はかかったが、機械化によって作業時間を大きく省力化できた。その結果、栽培を始めた翌2019年、初出荷を果たした。

■農業の魅力とは

 福島の復興にずっと携わりたいと、自分なりに支援のあり方を模索してきました。義父は被災した翌年には、避難先で土地を借りて花や米を作り始めました。最初は、「ゆっくり休んでいたらいいのに」と不思議に思っていましたが、作業を手伝っているうちに、「自分も義父のように人生をかけて農業をしたい」と思うようになりました。

 最初に川俣町から「アンスリウムを作らないか?」と声をかけられたのは義父なんです。その時点では、この花について何も知らなかったし、古着の繊維を利用したポリエステルを培地に使うなど、聞いたことないことばかりでしたが、義父から「やってみるか?」と提案されたのがきっかけです。

 僕は会社員時代から「こうすれば成功する」と考える習慣がありますので、この話を持ちかけられたとき、「ビジネスとしてイケる」と勝ち筋が見えました。アンスリウムは輸入花なので高価格ですし、福島の土を使わないポリエステル培地で育てるなら、風評被害の影響も受けにくい。まだ知名度も低いので、いろいろな面で伸び代が期待できます。

 2021年の東京オリンピックでは、国立競技場の周辺に、福島の復興のシンボルとして装飾に使ってもらいました。この年、川俣町産のアンスリウム出荷量は初めて年間30万本を超えました。今後は50万本を目標にしています。

 また大阪のECC国際外語専門学校では、2022年から復興支援のための「ふくしま銘産品市」でスマイルファームのアンスリウムを紹介してもらうなど、内外のイベントに参加して、PRに努めています。

 2021年には法人化して、アルバイトやパートさんも含めてスタッフが増えました。今までは「植物優先主義(ファースト)」で突っ走ってきましたが、今後は「品質の高い作物を生産するためにスタッフがいる」という考え方に切り替えて、人材育成や組織作りを学んでいます。スタッフ一人ひとりのキャリアパスや適性を考えて、コミュニケーションを大切にしていきたい。

 若い世代が農業から離れてしまっているのは、「稼げない」とか「面白くない」とか負のイメージが強いせいですが、これからの農業は稼ぐこともできると、僕らが示していかなければなりません。

 農業は気象に左右されるイメージがありますが、ハウスならそれほど影響は受けません。経営者にとっては、暖房にかかる燃料コストを下げながら、収穫量・出荷量を減らさないよう両立させる方法を考えるのが挑戦です。

 具体的には、ハウスの暖房を1棟に集中させる代わりに、花の品質をより高めることで収穫量に占める秀品率を上げて、収益増につなげます。

 農業は仕組みづくりが大切で、マニュアルを作っておけば、効率化は可能です。それでも雨が降ったら「今日はゆっくりしようか」なんて休むこともできますから、今の時代のライフスタイルに合った仕事だと思いますよ。

 川俣町のアンスリウムが普及すれば、若い人たちの農業に対する価値観も変わります。次世代の農家を増やしていくためにも、まわりの農家や企業と連携を強めながら、この町を、福島を盛り上げていきたいのです!

■今後の展望

 アンスリウムは主にイベントで使われる花なので、コロナ禍では売上が10分の1に減りました。そこで2021年の法人化を機に、イチゴ生産も始めています。

 当初は苗を作って売るだけのつもりでしたが、誤って実がなってしまい、それを食べた子供が喜んでくれたので、「よし!イチゴ狩りができる観光農園を作るか」と挑戦することにしました。

 近年は異常気象が相次いでいますが、標高が高く冷涼な気候を活かして、冬のシーズンが終わった後は夏イチゴを作ろうと計画しています。市場にイチゴが少ない季節に川俣産のイチゴを出荷できれば産地化も期待できます。そのためにも一緒に生産する仲間を増やしたい!

 体験農場の運営管理を受託したのを機に、2023年からはイチゴ狩りだけでなく、アンスリウムを使ったフラワーアレンジメントや、季節の花や植物を使うリース作りなど、さまざまなワークショップの企画も実施しています。

 スタッフも増えたので、年間を通じて仕事を作り、安定した収益を出せるよう、夏はひまわり、冬はストックを栽培しています。「一年中、良いものを作る農家」としてのブランドを確立したい!

 法人化したことで、個人経営だったらできなかったことも、町全体をまきこんだイベントを企画したり、いろいろな企業ともつながりができて、ビジネスの幅が広がりました。

 最近、使われていなかったハウスを2年がかりで手に入れました。そこでイチゴ狩りをするだけでなく、音楽イベントなど、ユニークな空間を提供したいと構想しています。イベントのようすは、動画配信することも考えていますが、たくさんの人が足を運んで川俣町を知ることで、復興について考えるきっかけになります。

 ハウスが立つのは、浪江町にまっすぐ伸びる国道114号線です。これが、いま僕が考えている復興支援です。

 川俣町の人口は1万2000人弱で、毎年減っています(2022年現在)。復興計画を進めても、震災前の状態には戻れませんから、地域経済を継続させていくには、外部から人を呼んでこなければならない。そのためにも自分が稼いでいる姿を示すことで、農業の仲間を増やしていきたいのです。(取材:2024年5月)

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