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大西 智貴/美瑛大西農場

法人名/農園名:美瑛大西農場(BIEI OHNISHI FARM)
農園所在地:北海道上川郡美瑛町
就農年:2010年
生産品目:小麦4品種(「きたほなみ」「春よ恋」「キタノカオリ」「ゆめちから」)、ジャガイモ、黒大豆、ビート(てんさい)
HP:https://bieiohnishi.official.ec/

no.180

「丘の町」美瑛を支えてきた農業と観光の共存を目指して発信を続ける

■プロフィール

 大正時代から続く農家の4代目として生まれるが、幼い頃から周囲の人に農家のあとつぎだとみられることに反発し、中学卒業後は旭川工業高等専門学校に進学する。

 卒業後は工学系のエンジニアとして、自動車部品会社に入社。22歳の時に研修で、カナダで8カ月、米国のオーガニックファームで3カ月にわたって有機農業に触れたことがきっかけとなり、農業に関心を持つようになる。

 5年間勤めた会社を退職して、2010年、北海道富良野緑峰高校の農業特別専攻科に入学して農業に関する専門知識を学びながら、父親と一緒に小麦生産を開始。

 父が65歳になった2019年、経営権を引き継いで、美瑛大西農場をスタート。インバウンド需要の増加に伴って、畑に無断で入り込む観光客との摩擦が増えてきたことから、農業と観光を両立させる平和的な解決を目指して、農家の仲間と一緒に畑看板プロジェクトを立ち上げる。

■農業を職業にした理由

 工学系のエンジニアとして会社勤めをしていた22歳の時に北米研修に参加。ホームステイ先のカナダの観光リンゴ園で、さまざまな国籍の人たちと一緒に約8カ月間、収穫や選果、規格外品を使ったジュース作りなどを体験した後、米カリフォルニア州サンディエゴのオーガニックファームで野菜の管理やファーマーズマーケットの販売などを3カ月間手伝った。

 その結果、故郷・美瑛町で見てきた土地利用型農業とは異なる多種多様なやり方があることを知り、農業に楽しさや可能性を感じるようになった。脱サラ後は、農業高校に入って栽培や経営の知識を勉強しながら、父のもとで小麦栽培を開始。

 その頃から美瑛町では無断で畑に入り込んで撮影する観光客が増加し、生産者を悩ませるようになっていた。そこで、地域振興の仕事に携わっていた小林孝司さんと一緒に仲間を集めて、観光客と農家がより良い関係を築くためのプロジェクト「ブラウマンの空庭(そらにわ)。」を立ち上げる。

 単に農地への立ち入りを禁止するのではなく、農家が何十年もかけて、どのような思いで美瑛町の風景を守ってきたのかという思いを理解してもらうため、農地と道路の境界に立てた看板にQRコードを取り付けて、農家のSNSやECサイトに繋がったり、景観保持のための協力金を支払うことができる仕組みを盛り込んだところ、農業と観光を両立させる取り組みだとして全国の同じような悩みを抱えている地域からも注目されることとなった。

■農業の魅力とは

 美瑛町は、色とりどりの作物がパッチワークのように広がる丘の町として知られ、年間240万人を超える観光客が国内外から訪れます。

 この町で育った僕にとって、観光と農業は切っても切れないものだと理解していますが、美瑛町の農家には、本来なら農業に適さない丘陵地を先祖代々、何十年もかけて耕作してきたという強いプライドを持っています。

 大事な農地が観光客に踏み荒らされることは、作物を傷つけるだけでなく、病害虫を持ち込む心配がありますし、観光バスが押し寄せる道路は、地元住民の車両や農業用車両も通る生活道路です。

 しかし、僕らにとっての"当たり前"が、観光客には想像がつかないということも理解しました。そこで生産者と観光客が「相手の目線で考える」仕組みを考えることからスタートしました。

 実は留学先のカナダの観光リンゴ園も丘陵地にあって、美瑛と風景が似ているのですが、研修先ではたくさんの観光客が収益に結びついている一方、美瑛では農家がストレスを感じるだけの存在になっています。

 農家と観光客の関係を良い方向に変えるには何ができるかを考えたのが、看板プロジェクトに結びついています。それまでも立ち入りを禁止する看板はありましたが、僕らは美瑛という地域の成り立ちや、この土地で代々やってきた農業を理解してもらうことを目指しました。

 プロジェクト名は「土を耕す人」を意味する「ブラウマンの空庭。」です。丘が空に広がっていくような美瑛の景色と、農家にとって「畑は庭」だという思いを込めて命名しました。

 協力してくれた観光協会の小林さんは元々ソニーにいた方ですし、僕も脱サラ前はエンジニアとして働いていましたから、QRコードを通じて農家のECサイトにアクセスできるようにしたり、景観保持に協力できる投げ銭システムのアイディアを考えるのは楽しかったです。

 今では看板の設置数は6カ所に増えました。コロナ禍の2020年からは観光客が減ったので、プロジェクトの効果を検証できていないのですが、看板プロジェクトを通じて、農業と観光を共存させる道を考えるきっかけになりましたし、農家の収入源につながったのはひとつの成果です。

 2023年になってから観光客の出足が戻ってきていますが、やはり言葉や文化が異なる外国人に伝えることの難しさは感じます。全国各地で同じような問題が起きていますから、お互いにノウハウや学びを共有していきたいと思っています。

■今後の展望

 2代目の祖父から父の代まで、生産規模36ヘクタールで経営してきましたが、2021年に離農者から農地を買い取った結果、一気に10ヘクタール増えて、46ヘクタールに拡大しました。

 このうち、小麦畑は21ヘクタール、年間の収量は115トンにのぼります。当初は「10ヘクタールくらい何とかなるだろう」と考えていたのですが、やはり規模拡大で経営バランスに影響がありました。

 特に2022年は豊作だったおかげで仕事量とともに労働時間も増えました。省力化はもちろんですが、やはり作業を任せられるスタッフを増やすことも考えていかなければならないと思っています。

 ウチは製粉は委託会社に任せていて、一時は家庭向けに300g入りのパックを通販サイトで販売していたこともありましたが、やはり加工や袋詰めには手間やコストもかかりますから、今後はBtoBで小麦を購入してくれる製パン会社などの販路を開拓していきたいと思います。

 また「ブラウマンの空庭。」についても、看板プロジェクトに加えて、観光ガイドを立てて、麦稈ロールが並ぶ畑を楽しめるツアーなどを企画したいと思っています。

 これまでは観光客に対して対策もできていない状態でしたから、美瑛でしか見られない景色の価値を観光資源として提供できる機会を提供していきたいと考えています。

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