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具志堅 興児/具志堅農園

法人名/農園名:株式会社VEGE FARM Okinawa 具志堅農園
農園所在地:沖縄県国頭(くにがみ)郡国頭村
就農年数:9年
生産品目:夏〜秋:オクラ(角オクラ、丸オクラ)、ナス
冬〜春:いんげん、スナップエンドウ、ズッキーニ、スイートコーン、バジルのほか、塩バジル(万能スパイス)
HP:https://gushikenfarm.base.shop/

no.116

先祖が残した土地のある国頭村を昔のような農村に戻したい!元カメラマンの挑戦が周囲に広がる

■プロフィール

 那覇出身。東京の映像関連専門学校を卒業後、沖縄に戻って写真スタジオへ就職。旅行誌や飲食店、商品写真の撮影などを担当後、フリーカメラマンとして独立。

 フィルムからデジタルカメラに移行する過渡期だったこともあってリゾート関連企業に転職した後は、広報部で収穫体験などの体験型プログラムなどを企画するなかで、沖縄各地の農家と交流する機会が増えた。

 そのころ、曽祖父が戦前、台湾に渡って農業振興に携わったのち、沖縄に戻って「台湾屋」の屋号で農業を行っていた歴史を父から教えられる。国頭村には先祖が国頭村に残した土地があるのに、あととりがいないため、戦後は黙認耕作放棄地になっていることを知った。

 ちょうど長女が産まれたこともあって、「子育てするなら広い土地で農業経営したい」と思い立ち、本島中南部の農家で1年間研修を受け、2014年1月に国頭村に移住。

 当初は30アールほどの畑で、研修先で学んだサヤインゲンやオクラ、島ラッキョウなどの栽培を中心に農協の共撰所への出荷を行っていたが、それに飽き足らず、独自の販売ルートの開拓を進めようと、青年農家を集めて4人で県内外の青果市場へ出荷を開始。

 当初、村内で誰も作っていなかったズッキーニやスナップエンドウにくわえて、とうもろこしにも挑戦。2020年7月、村の認定農業者になる。

 2022年には「株式会社VEGE FARM Okinawa具志堅農園」を設立して、共同出荷から受託契約に転換して、栽培規模を拡大。現在は、国頭村農業青年会議の会長として名実とともに地元の若手農家のリーダー的存在になった。また2023年4月公開の映画『HAPPY SANDWITCH』に本人役で出演したほか、パイナップルの栽培も開始した。

■農業を職業にした理由

 カメラマンとして活動後、リゾート関連企業に就職して、収穫体験などの観光企画を担当するなかで、沖縄各地の農家と知り合う機会が増え、農業に関心を持つようになる。

 そのころ、曽祖父が日本統治下の台湾で帝国製糖の工場長として働いたのち、国頭村に戻って「台湾屋」の屋号で、稲作の指導などをしていたという歴史を知って衝撃を受ける。

 その土地は米軍に接収されて「黙認耕作放棄地」となっている現状を知って、国頭村を昔のような豊かな農村に戻したいと考えるようになった。さらに長女が生まれたこともあって、「子育てするなら広い土地で農業経営をしたい」として就農を決意。

 そこで、農業改良普及センターに南部の八重瀬町の農家を紹介してもらい、1年間のインターン研修を経て、2014年1月に国頭村に移住する。

 就農1年目は、農協が取り扱うインゲンとオクラを栽培し、共撰所(共同出荷場)に出荷していたが、規格制度や、共撰品目以外の作物に挑戦しにくい状況に懸念を抱くようになった。そこで、独自の販路を開拓しようと、栽培と出荷を共同で行う仲間を得るために、農業青年会議に入り、4人のメンバーと一緒に県内外の青果市場に出荷をスタート。

 セリや価格変動による影響を受けずに、安定した価格で販売するために、市場担当者と直接交渉する相対出荷を築いたことで、労働時間あたりの収益が改善されると共に、BC品を給食や惣菜などの加工調理用に出荷することにも着手。

 その結果、新たな品目に挑戦できる余裕も生まれ、沖縄では知名度がなかったズッキーニや、スナップエンドウの生産も開始し、栽培メンバーが増えている。

■農業の魅力とは

 曽祖父が稲作をしていた戦前の国頭村は、パインアップルや畑作のほか、畜産や林業などが盛んでしたが、戦後は、働き手が基地などの建設業界に流出して農業は衰退し、農地も荒廃してしまいました。

 就農当時、国頭村ではサトウキビやマンゴーなど何でも作れるのに、県内で一番の産地にはなれず、農業人口も1割程度であることに戸惑いました。野菜の専業農家は他には誰もおらず、出荷先や栽培品目も研修先の南部の農業とは異なることばかり。

 それでも国頭村には農業のポテンシャルがあると信じて、1人で挑戦するより、まずは栽培と出荷を共有できる仲間づくりから始めようと、村の農業青年会議に入ることにしました。

 当時は会員が7人しかおらず、そのうち4人と共同で県内外に出荷を始めました。1人より、仲間がいれば、安定供給が可能になりますし、大手スーパーとも直接交渉できます。何より、セリや価格変動に左右されず、年間を通じて収益が安定しますから、余裕が生まれて、栽培品目を広げることもできるようになりました。

 当時、沖縄ではインゲンやオクラくらいしか取り扱ってもらえないのが一般的でしたが、九州や本州で市場調査を行った結果、ズッキーニやスナップエンドウにも挑戦するようになったのです。

 本州と比べて沖縄でのズッキーニの知名度は、お客さんから「どうやって食べるの?」と聞かれるほど馴染みのない作物でした。しかし、実は沖縄の気候に適していて11月〜5月まで長期間栽培・収穫できるうえ、連作障害も少なく、病害虫にも強いという特徴があります。

 農水省の「産地生産基盤パワーアップ事業」の支援が得られたおかげで、栽培メンバーも増え、2年目には収穫量が10t以上に増えました。今後もさらに増える見込みで、産地化も夢ではありません。

 夢といえば、長女が生まれた当時、母方の実家の福島県で食べたとうもろこしを作りたいと考えていましたが、スイートコーンは収穫時期が限られるので研修先から反対を受けていたのです。今では、糖度20度を超えるごく甘の「くんじゃんこーん」として、道の駅や学校給食、量販店など人気の自社ブランドに育ちました。

 僕一代で農業を終わらせるつもりなら、仲間は必要ないかもしれませんが、僕らの子供が将来を考える時に、農業を職業選択のひとつに選んでもらうためにも、先祖から受け継いだ、国頭村の豊かな土地を次世代に残したいと思っているのです。

■今後の展望

 2022年の法人化を機に、これまでの共同出荷から受託契約に転換しました。借りている農地は全部で14haほどありますが、そのうち野菜畑は2ha、2023年から栽培を始めたパイナップルは1haと、全体の3分の1も使っていません。

 国頭村は昔からパイナップルが栽培されており、2022年には「やんばるパイナップルの丘 安波」がオープンしたりと行政をあげて力を入れています。そこで、2年目以降は規模を2倍に増やすことで、国産パインのブランド確立を狙っています。

 自社ブランドに育った「くんじゃん(国頭)コーン」は、2023年現在、年間2万5000本を出荷していますが、3年以内に出荷量を10万本まで増やす計画です。そのため、今後は栽培を委託する受託農家の拡大も考えています。

 すでに現在も自社農園で育てたスイートバジルに、島とうがらしと、沖縄の塩を配合した万能スパイスを販売しておりますが、今後はハーブに加えて、パイナップルやとうもろこしの6次産業化を目指して、加工販売も視野に入れていきます。
 
 現在、僕も含めてスタッフは3人、アルバイトとして10人近くを雇用していますが(常時働いているのは4〜5人)、今後は繁忙期の労働力のオペレーションをスムーズに行うとともに、従業員の育成にも力を入れていきたいと思っています。

 国頭村は、琉球王国にルーツがある歴史と伝統がある地域ですし、農業神「土帝君(トーチーク)」が祀られているほど、農業のポテンシャルが高い場所です。ここで作った野菜が、沖縄の人にとって“野菜の代名詞”となるよう、これからも農業を通じた地域の活性化と経営の発展を目指していきます。

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