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ここから始まるのかもしれない話

「ねぇ、お母さん、“辛い”という字に一本足すと“幸せ”という字になるんだよ。」と息子に言われた。
「辛い時でも、何か一つ足せば、一歩踏み出した先に幸せがあるんだ。」

学校で聞いてきたらしい。

「ほんとだねー。」と感心して、先生、生徒に良い事教えているなぁ~。と聞いていたが、それと似ている詩を私は思い出した。

辛いという字がある
もう少しで幸せになれそうな字である

星野 富弘 ほしの とみひろ
詩人 画家


実家に星野富弘さんの花の詩画集が昔からあって知っていた。


1970年、中学校の体育の先生だった星野さんは、マット運動のお手本として披露した宙返りで失敗し、頭から落ち頸髄を損傷。
手足が動かせなくなった。

手が動かせない星野さんは、口に筆をくわえて文や絵を描いて作品を発表している。

神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に来るような気がした

星野富弘 ぺんぺん草

手足が動かない苦しみは、到底想像が着かない。
きっと、凄まじい苦しみがあった事だろう。

普段、辛さに目を向けがちで、ついマイナス思考におちいってしまうが、私が目を向けるべき事はもっと他にあるのではないかと気付かされる。

どうしても時には落ち込み、気持ちが上がらない事も当然ある。
そんな時は心が身体を支配し動く事すらさせて貰えない。

無理をしても良いことなんて一つもない。

でも、自分の辛さに気付いたのなら、まずやれる事はないかと踏み出せさえすれば違った状況が待っているかもしれない。
絶望さえしなければ、深淵の底から、不確かかもしれないが、違う物が見えてくるのだろう。


ー*ー*ー


数年前、だんだん身体が思うように動かなっていき重い身体を引きずるように過ごした。

自律神経の不調である。
そこに至ったのには、1つではない、複数の要因が重なりあったのだと思う。


その頃の私は、自分の状況を正確に把握できずに、ただ辛いと認識していて、地雷を自分で沢山埋めていた。
マイナス思考に陥り、痛みを掘り起こし自爆する。
同じ痛みを何度も何度も繰り返し思い出し、やたらと傷ついているイメージを自分で持ってしまっていた。


そこから変えるべく、人に助けをもとめ、アドバイスをもらい頑張って一歩ずつ進み、本を読み情報を集め、考え、悩み、行動した。

チーズがないままでいるより迷路に出て探したほうが安全だ

ずっと好きな本『チーズはどこへ消えた?』の一節。

今、私が不安に感じていたり、辛く感じたりしているのは、実際は想像するほど悪くない。
自分の心の中に作りあげている恐怖のほうが、現実よりずっとひどいのだ。


通った道は迷路そのもので、袋小路につきあたっては、別の道を探し、迷ってわからなくなり、また、他の道を探した。

そうして、今振り替えれば、良かったと思える道を通る事が出来たと思う。


今は、大分良くなったが、まだ自律神経の不調は抱えている。
でも、辛かった事ではなく、頑張った事に気持ちが変わっている。
あの時があって、今がある。


ー*ー*ー


ねぇ、お母さん、叶うという字に一本足すと吐くになるんだよ。と得意気に言われた。笑

んー。それを言うなら、
“吐く”という字は一(マイナス)の事を言わなくなると一が消えて、口と+(プラス)で“叶う”になると言ってほしい。

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