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選択肢は多いほうがいいし、考え方はどんどん進んだほうがいい


選択肢がたくさんある弟世代に生まれたかったとよく思う


だって

私の時には存在もせず、耳にも入らなかった魅力的な高校や通い方のスタイルが、田舎だからとか関係なしに増えていたから。

たったの6年で、選択肢が(=情報量が)格段と増えていた。
それも田舎で選択肢が(=情報量が)増えたのだ。

情報量って何よりも大事で、スマホがある今となっては、田舎でも選択肢はたくさんある。豊富な選択肢の中から自分に合うものを見つけて選べることは、限られた選択肢から消去法で選ぶことよりも幸せだと思う。

聞くと

授業内容なんかも自分がやりたいことをカスタムして勉強できて、プログラミングとかWebデザインとか、そのまま仕事につなげられるようなことを高校生のうちから学べるらしい。そんなラッキーなことあるだろうか。

贅沢すぎる、、、

それに末っ子というのも羨ましい

高校選択で県外の高校に行きたいってなったとしても

長女の場合と違って下に見る子どもがいないんだから

その選択に合わせて親も動ける可能性は高い

そのパターンで

近所の弟と同じくらいの子が横浜の高校に進学していて

羨ましい以外の何ものでもなかった

その子の代にはなんとアメリカ留学を選択した子もいたらしい

そんなの私の代じゃ
(ありえたのかもしれないけど)
聞かなかったし思いもつかなかったこと

思いつけよ我!!って感じなんだけど

たった数年しか違わないのに

数年ってでかいなあ

弟は私の6個下

6個なんて今思うと大した差ないと感じるけど

時代的には結構、意外と、変化が起こる年月の長さだったりして

一番違うのは

情報量

進路選択とか不登校の対応に大きく関わってくる部分でもあるし

発達障害に関しては

私の頃は何にも言われてなかったのに

弟の代になって急に騒がれ始めた(記憶がある)

そっからじわじわと広まってきて

それでもまだまだ途上だけど

もし弟が私の代に生まれて、私が弟の代に生まれて

末妹だったら色々と好都合だったのにな

と考えてしまう

発達障害に気付かれたかもしれないし

そしたら

早くから自分が過ごしやすい工夫を考えられただろうし

(わけわからずな状態のままもがいてたから)

田舎にいながら、行きたい高校だって見つけられただろうし

海外に行く選択肢も情報もスタンダードとはいかないまでも、少しは普及していたかもしれないし

弟たちとの関係を考えても、母との関係を考えても

絶対私が長女ではなく妹だったほうが

なんか色々と上手くいった気がするのである

(父は私が末娘だったらもっとメロメロだったと思う)


これは真ん中の弟が2歳頃、言ってたことらしいんだけど

空から僕がいこうとしたらね
 「私が先に行く!」
って
ねぇねに順番を変られた

当時の弟(2歳)の証言

らしい


私らしいといえば私らしく、私らしいミスであり、私らしい行い=自分で自分の首を絞めている、、、

結果、現世で必要以上に苦しんでいる気がする (私らしい結果)

何してんの!!そこ待っとけよ!!アンタ絶対妹の方が合ってるよ!!

ってその時の自分に言いたい


選択肢は時代が経つにつれ溢れ返るほどに増えている。それは幸せなことのようで、逆に悩まされ不幸とも言える。

でもやっぱり選択肢が限られていた時代よりも幸せで、迷えること=その余地があることって多分幸せなことなんだと思う。

選択肢は多いほうがいい

そして考え方は先進的になればなるほどいい

男女に関しても、LGBTQに関しても、発達や精神障害に関しても

どんどん考え方が進んでいくといい




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