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コハルの食堂日記(第6回)~災害の多い時代①~

 平成三十年十二月十四日、金曜日の夜。今夜は坂田という、高校の社会科教師を務めている五十過ぎの男が「味処コハル」に来店していた。年の暮れが押し迫る師走も半ばのこの時期。あと半月で今年も終わる。冬至までもあと一週間、一日を通してすっかり冷え込んできた。

 春子は熱燗とともに、おでんの大根を箸でつまんでいた坂田に話しかける。
「先生、最近はお忙しいのかしら」
「そうねぇ……。今年は俺、一年生の担当だからそれほどってもんじゃないけど。三年生を担当している年はとくにこの時期からは頭を抱え込むねぇ……」
「今は十二月でしょ。十二月は師走っていうじゃない。先生が走るほど忙しいってね」
「あはは、まぁ、それは、言葉の綾ってもんですな」

 そこで春子は高校の進路指導の先生からいただいた言葉を思い出した。実に約半世紀前の言葉だ。
――まぁ、金子の人生だ。好きにすればよい。俺も東京に行ったときには『味処コハル』で食事させてもらおうか。

 今度は坂田のほうから切り出してくる。我に帰る春子。
「今年の漢字は、災いの『災』だとよ。今年もまぁ日本でも地震は所々であったし、台風や豪雨の被害もあったし。あとは人災っていうの、人類自らで災害を起こしてしまうことも相次いで。本当に災害の多い時代になってきたもんだ」
「ええ、私も今年の漢字のニュース、見ましたよ。でも、また来年からもまた大変な災害が待っているのかしらねぇ」
「まぁ、確実に、だな。しかも、いつどこでどんな災害が起こるかもわからん。だからこそ、常日頃から防災意識ってもんを持たないといけないんだよ」
「さすが学校の先生ねぇ。生徒を守るための使命感バッチシじゃないの」
「いやいや、そういうの関係なしに個人個人自分で持たないといけないんだよね。防災意識ってのは。自分が生き残るためだけではなく、他に生き残られる人がひとりでも多くなるために、だ」
 そのとき、坂田は餅巾着に箸を入れていたのだった。


 平成の三十年間もまた、日本では多くの地震災害が発生した。なかでも平成七年一月十七日発生の阪神・淡路大震災、平成二十三年三月十一日発生の東日本大震災のふたつは甚大な被害と多くの犠牲者を生み出すものとなってしまった。平成を代表する二大震災といえよう。
 その他にも平成五年から六年にかけての北海道・東北付近での複数回の大規模地震、平成十六年と十九年の新潟県の中越地方の地震、平成二十八年の熊本地震、平成三十年の北海道胆振地震などがあった。

 とくに未曾有の大規模震災となった東日本大震災のときにおいては東京に住む米倉夫妻もしばしの混乱の時期を乗り越えなければならない羽目になった。本震の時にはやはり強い揺れを経験したし、その直後しばらくは計画停電などが行われたためにさらに不安材料は増えていた。
 さらに米倉夫妻はふたりとも東北の出身である。春子は秋田県出身だが、勲は宮城県出身、つまりは被災三県とよばれているうちのひとつが故郷である。だから、勲からすれば故郷のことが気になってしかたがなかった。宮城の実家にいる双方とも当時八十代の親夫婦、他親類の皆の無事を知るまでに、二、三週間は掛かった。そのときが来てはじめてようやく少し安堵できたのだった。

 もちろん地震以外にも、様々な災害が発生してきた。豪雨台風による災害は夏場を中心に毎年のように多く発生している。また、時代の移り変わりに伴い、地球環境問題が深刻化していく中で、これまでにはあまり見られなかった気象災害も見られるようになってきた。

 一例として、平成二十六年二月の関東方面の豪雪被害があった。日本での「雪国」と呼ばれる、東北から北陸、山陰に至る日本海側の地方では数十センチの積雪は冬場には極当たり前の「日常」であり、当然、都市設計も大雪に対応したものとなっている。しかし、東京のように雪はひと冬通してほとんど降ることもない、乾燥したからっ風の風下に置かれて冬場の天気が良い関東以西の太平洋側の地域では、そもそも積雪なんぞはほとんど想定せずに街づくりが行われているだろう。世界に誇る整備度を誇るはずの首都圏の交通網も、わずか数センチの積雪で麻痺してしまうのだ。

 地球環境が危機にさらされている原因として「地球温暖化」などとは言及されているが、「温暖」という言葉のもつ「なんとなくポジティブ」なイメージを払拭して「異常気象化」などと言い換えたほうがよいのかもしれない。確かに夏の気温なども人間の体温である三十七度前後をも超える、まさに命に関わる猛暑となることが日本でも極々当たり前のようになってきてしまった。
 そして、災害の多発はもちろん日本国内だけに留まらず、世界各地の問題になりつつあることも否定できないだろう。

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