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「消費」と「生産」

突き詰めれば、「消費」と「生産」という二元論が世の中の構図である

何事にも必ず「生産者」と「消費者」という上下関係がある

趣味が音楽ライブ観戦という人、それは「生産者」であるアーティストが「消費者」の観客から搾取しているのである

趣味が映画鑑賞の人、テレビゲームの人、サッカー観戦、読書、テレビ、食べること、、、、、

「消費」という聞こえの悪い言葉を、みんな「趣味」や「娯楽」といった都合の良い綺麗な言葉に置き換えている

消費者はただ単に搾取されているのではもったいない
確かに誰しも生産者側の専門職というものがある
だが、それでも岡本太郎が言ったようにその前提として我々の職業は人間であるということ

いかに我々は消費をしながら教養を得られるか
人生はいかに遊びながら勉強ができるかに尽きる
一石二鳥できる人とできない人とでは長い目で見るととんでもない差になる

ただ単に映画を見て泣いてる人(消費)と映画監督が同じ映画を見て映画の撮り方を学んでる(教養)これだけでもう差が出てる

僕は趣味の、映画鑑賞で哲学を学んだし、テレビゲームの信長の野望で歴史を学んだし、ドラゴンクエストで建築を学んだし、漫画の闇金ウシジマくんで社会を学んだし、掃除で仏教を学んだし、旅行で人生を学んだ

蛇足だとは思うが、僕はバラエティ番組でストレス発散してるから見ないといけないとか、私はライブで思い出を手に入れてるから意味があるとか、俺はサッカー観戦でその瞬間を楽しんでるから問題ないとか、そんな単純な薄っぺらい話じゃない(もちろんそれも大事だが)

僕はよく周りの人に日記を書くことをオススメするけど、「それじゃあその感情をA4サイズで文書化してみて」って言うと大半の人はできない。おそらく200文字でさえ書けないだろう

本当にわかっていないと人に教える事ができないのと同じで、本当に理解していないと翻訳はできない

俺はTwitterに何も書かない人より、毎日毎日「死にたいー」だの「寂しいー」だのリストカット写真だのしょうもない呟きをしているそこらへんのメンヘラ女の方をよっぽど評価している

日記とは何も真面目に日記帳に鉛筆で書くことだけじゃなくて、SNSでも詩でも写真でもレポートでもメモでも企画書でも手紙でもとにかく記録することをまとめて日記と言っている

今日からでも俺はみんなには毎日日記をつけて欲しい

俺は哲学の話をしたり、映画を観たら必ず感想文を書いてる話をしたり、建築の話をしたりするといつも「人生をなんでそんなにもわざわざ難しくして考えてるの?」って言われるけど

それは「そんな手間暇かけて美味しい料理を作らなくても、別に毎日カップラーメンで問題なくない? 」って言ってるのと同じだからな

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