MinoriN

地元歴史資料館のボランティア学芸員。ミュージアム空間が好き。地元の近代建築を研究してい…

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地元歴史資料館のボランティア学芸員。ミュージアム空間が好き。地元の近代建築を研究しています。神戸在住ですが、京都で学び、大阪・京都・浜松・可児で仕事をしていました。

最近の記事

さくら、さくら

 今年はたくさんの桜を眺めた。仕事をしていないため、時間がたっぷりあったということもあるけれど、今年の始め、父を亡くしたこともある。三分咲きの枝も満開の木も、風に散る花びらも、今年の桜は目にしみる。    わざわざ桜の名所に足を運ばなくても、私の住まいの近くでは、いたるところで花見ができる。散歩の途中に立ち止まり、よそのお宅の桜を見上げる贅沢。線路脇の桜のトンネルを、車窓から眺める眼福。桜が咲き始めると、ここにも桜が、あそこにも桜がと気づかされ、日本人の桜好きをあらためて思う

    • 穏やかな日々を願って~伏見と女酒を味わう旅~

       昨年はさんざんな一年でした。両親が相次いで倒れて入院し、様々な手続きに追われ、知らぬ間に2023年になっていた感じです。結局二人は別々の介護施設に入ることになったのですが、紆余曲折がありすぎて、仕事を辞め、胃を壊し、メンタルをやられ・・・。よく無事に年を越せたもんだと、自分で自分を褒めてあげたい。今は母を介護施設に入れるための準備をしていますが、これが終わればいったん落ち着くため、あと一息というところです。それにしても介護のシステムって、わざと素人には分かりにくいようにでき

      • 「朗読者」宣言

        投稿を音声にしてみました。

        • 「朗読者」宣言

           いま、一番楽しいこと。それは、朗読をすることだ。誰かのためにではなく、自分のために、声を出して読んでいる。  小説でもエッセイでも、なんでも読む。声に出して読むと、そのシーンの中に存在しているように、情景が浮かび上がり、内容も頭にしっかりと入ってくる。  高校生のころ、放送部で朗読をしていた。NHKのコンテストでいい成績を残せたことは、落ちこぼれだった高校生活の中で、唯一自慢できることだ。  またそのころ、不思議な体験もした。自分は客体として、主体である原稿を読んでい

        さくら、さくら

          マサルさんのお導き~日吉大社と坂本の旅~

           ある朝、目が覚めた時、なぜか「逢坂の関」という言葉が浮かんだ。そして、以前にその近くでうな丼を食べ、坂本へ行ったこと。明智光秀ゆかりの西教寺を訪れたものの、時間切れで日吉大社は参らずじまいだったことを、連想ゲームのように思い出した。 何かに、呼ばれているような気がする。  調べてみると、日吉大社の神様のお使いはお猿さん。申年の私としてはぜひ行かなきゃ、いや、今すぐ行こうと思い立ち、朝9時に準備を始めた。こういう直観は確かなものだから、大切にしないとね。    比叡山坂本

          マサルさんのお導き~日吉大社と坂本の旅~

          「秋景冬景山水図」に魅せられて

           京都国立博物館で開催中の「特別展 京に生きる文化 茶の湯」へ行ってきました。北宗の徽宗皇帝が描いたと伝わる国宝「桃鳩図」が公開される、わずか4日間を狙って。  「桃鳩図」はタイトル通り、咲き誇る桃の枝にとまる1羽の鳩を描いたもの。桃の花は若干色が褪せているものの馥郁としており、目をクリクリさせた鳩は、胸のあたりがふっくらとして、羽根の手触りまで感じられるよう。古くは足利義満が、近代では井上馨が所蔵したという名品。わずかな展示期間に駆け付けた甲斐のある一枚でした。ただそれ以

          「秋景冬景山水図」に魅せられて

          今、充実のテレビドラマ

           コロナ禍も2年目を迎えた今、テレビドラマが充実している。見ごたえのあるドラマが続々と放送され、追いかけて見るのが大変なほどだ。去年からでも、『半沢直樹』『知らなくていいコト』『心の傷を癒すということ』『JOKE~2020パニック配信』『リモートドラマ Living』『MIU404』『スイッチ』『岸辺露伴は動かない』『ライジング若冲』『麒麟がくる』『光秀のスマホ』『俺の家の話』『青天を衝け』『大豆田とわ子と三人の元夫』『おちょやん』『コントが始まる』『今そこにある危機とぼくの

          今、充実のテレビドラマ

          場末感漂う映画館にて

           「面白い映画があるから」と友人に誘われて、仕事帰りに映画館の前で待ち合わせた。そこは旧作映画専門の、名画座というよりは二番館と呼ぶにふさわしい映画館。入口が二手に分かれていて、危うく隣のポルノ映画館へ入ってしまいそうになる。入替制ではないので、時間が許す限り映画館に居続けることができるのだが、シートが硬くて2本が限界だ。前の座席の下には空き缶が放置されていて、足を伸ばせば派手な音を立てて転がしてしまいそう。お世辞にもきれいとは言えない、いや、はっきり言って小汚い、場末感漂う

          場末感漂う映画館にて

          大原美術館、から

           初めて大原美術館を訪れたのは、小学校の高学年の頃だっただろうか。両親が神戸から連れて行ってくれた。一人の画家をテーマにした展覧会には行ったことがあったものの、洋画や日本画を系統立てて展示する美術館に足を運んだことはなく、ここで画家の名前やその画風を覚え、絵を見ることの楽しさを覚えたように思う。その時から私の人生は決まってしまった。「美術館へ行くこと」や「絵を見る」ことなしに、生きてはいけなくなってしまったからだ。  エル・グレコやモディリアーニ、クールベからカンディンスキ

          大原美術館、から

          「梨泰院クラス」

           「愛の不時着」の次はやはり「梨泰院クラス」でしょう、という韓流ドラマ師匠たちのアドバイスを受け、ついに観終わりました。韓流ドラマ師匠たちの上には、さらにゴッド師匠たちがおり、次はどんな韓流ドラマを観たらいいかと尋ねたら、その時の精神状態にぴったりの作品を紹介してくれるそうです。それはまるで、カウンセリングのよう。確かにそこらの中途半端な心療内科にかかるより、韓流ドラマを観る方が元気になれます。おそるべし、韓流ドラマ。  さて、「梨泰院クラス」。観始めて2話くらいで、ちょっ

          「梨泰院クラス」

          急にかなが書きたくなって

           ある日曜の昼下がり。突然、小筆でかな文字を書きたくなりました。ずっと前から、かなの手紙をさらさら書けたらカッコいいなと思ってはいたものの、習いに行くのも面倒だし、ずっとうやむやにしていました。ところがその瞬間は発作のようにやってきて、母のお古の硯箱を開け、墨をすってみました。  墨はすれたし、何を書こう。「春はあけぼの」。枕草子が浮かびました。高校生のころに覚えた序文が、筆の先からこぼれます。これが「いずれの御時にか」では、どこまで書きつづければいいのだろうかと、あまりの

          急にかなが書きたくなって

          蕪村の鴉

           リニューアルした京都市京セラ美術館へ、「京都の美術 250年の夢」展を見に行ってきました。コロナ禍がなければ、オープニング企画として大々的に予定されていた展覧会の、ダイジェスト版とも言うべき展覧会だったようですが、どうしても見たい絵があって、その1枚さえ見られればと思い、足を運びました。  その絵は、与謝蕪村の「鳶・鴉図」。1幅には雪の舞う中、枯れ木に肩を寄せ合ってとまる鴉2羽。もう1幅は風雪の下でも目を見開いて枯れ木にとまり、前を見据える1羽の鳶。北村美術館の所蔵で、何

          蕪村の鴉

          「愛の不時着」

           かなりかなりの遅ればせながら、「愛の不時着」を観了。このドラマのためにNetflixに加入した友人たちからのおススメもあり、話題作なのだから観ておかなくっちゃね~というくらいの軽い気持ちで観始めたら、見事にハマってしまいました。韓流ドラマにハマったのは「ファンジニ」以来、数年ぶり。トータル24時間ほどのドラマを丸4日で観てしまい、その後もお気に入りのシーンをスマホで見直すという、ネトフリ廃人と化してしまいました。  ご存じの通り、パラグライダーに乗っていた韓国の財閥令嬢が

          「愛の不時着」

          「ぽくぽく」と生きていこう~「池大雅展」~

           コロナと背中合わせで暮らす毎日。観たい展覧会があれば、東京でもどこへでも駆けつけていた日々はどこへ行ったやら。いつかまた、そんな日々は戻ってくるのだろうか・・・。ふと厭世的な気分に襲われる中、京都文化博物館で「池大雅展」を見た。  びっしりとすき間なく描き込まれた絵は、美しいと思う。その超絶的な技巧にうなり、「負けました」と感心させられる。だがいつからか、余白だらけの絵が好きになった。一歩間違えれば、ヘタウマ絵になってしまいそうな、力を抜いて描かれた絵が。それは心を和ませ

          「ぽくぽく」と生きていこう~「池大雅展」~

          鮭が川に帰るように

           人は酒がめを背負って生まれてくる、という話を聞いたことがある。酒がめの中には、その人が一生の間に飲むことのできる酒が入っているのだと。もしそうだとしたら、いま私が背負っている酒がめの酒は、残りわずかになっていて、振ればちゃぽちゃぽという音が聞こえるに違いない。相当な量の酒が入っていたはずなのに、ほとんどを飲み尽くしてしまった。  酒が好きというよりは、酔うために飲んでいた。酔えば心の底にたまった滓を、紛らわせることができたから、日本酒でもワインでもウィスキーでもバーボンで

          鮭が川に帰るように

          「本当に必要なこと」はまさにその時やってくる

           「本当に必要なこと」は慌てて探しにいかなくても、その人にとって最も適切な時期に、必要な情報として自然に入ってくるものだ。  映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を見た。新型コロナウイルスの影響で公開延期になっていたが、ひきこもり生活をしているうちに、すっかり忘れてしまっていた。しかし公開されたことを偶然に知り、久しぶりに映画館に行ったところ、今の私が見るべくして見た映画だったことを、しみじみ感じさせられたのである。「本当に必要なこと」は、適切な時期に向こ

          「本当に必要なこと」はまさにその時やってくる