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マサルさんのお導き~日吉大社と坂本の旅~

 ある朝、目が覚めた時、なぜか「逢坂の関」という言葉が浮かんだ。そして、以前にその近くでうな丼を食べ、坂本へ行ったこと。明智光秀ゆかりの西教寺を訪れたものの、時間切れで日吉大社は参らずじまいだったことを、連想ゲームのように思い出した。

何かに、呼ばれているような気がする。

 調べてみると、日吉大社の神様のお使いはお猿さん。申年の私としてはぜひ行かなきゃ、いや、今すぐ行こうと思い立ち、朝9時に準備を始めた。こういう直観は確かなものだから、大切にしないとね。
 
 比叡山坂本駅に到着したのはお昼どき。兵庫~大阪~京都~滋賀と4県をまたぎ、結構な距離があるものの、神戸の東端に住んでいるため、思い立ったら半日で滋賀に行ける。JRの醍醐味は、線路は続くよ、どこまでも、というところ。行くあてもなく電車に揺られ、どこか遠くへ行きたくなる。

 駅を出てすぐ、フェンスに貼られた桔梗紋が目に飛び込んできた。やはりここは、明智の門前町。そして平和堂の屋上看板を見て、滋賀に来たことを実感。平和堂やぎゅーとらなどのご当地スーパーって、その土地に来たことを実感させてくれて、うれしくなる。

 お昼ごはんは決めていた、創業300年の「本家 鶴喜そば」。比叡山延暦寺の修行僧のお腹も満たしてきた、古い店構えのお蕎麦屋さん。平日というのに、店の前には20人ほどの列。さすが。せっかくここまで来たのだし、蕎麦屋の回転は早いだろうと、待つこと30分で店内へ。

 ちょっと贅沢して、天ざるそばを注文。店内にも昔の風情が残り、土壁や木製建具の風合い、ほの暗い照明が目にやさしい。最近は白すぎる内装の店にいると、目が疲れるようになってきて、和の店を選ぶことが多くなった。土や木の自然の色は、目にやさしいし、しっくりなじむ。

 じゃーん。海老天2本がうれしい、天ぷらの盛り合わせとざる蕎麦。天ぷらは久しぶりだったけど、さくさくとしておいしい。周りのお客さんも天ぷら系が多かった。やっぱりみんな好きなのね。海老天は塩をつけたり、天つゆにひたしたり、邪道と言われようと、目一杯味わう。蕎麦湯をもらってつゆを飲み干し、ああ、おいしかった、ごちそうさま。

 さて、本日の本題、日吉大社へ。穴太衆の積んだ石垣が続く、ゆるやかな坂の参道を歩く。紅葉は現在進行形。夜は参道がライトアップされるのか、足元に小さな灯りが点々と置かれ、仏教にちなんだ言葉が書かれている。因果応報、はぁ、確かにそうですね。不惜身命、はい、がんばります、といった具合に、心の中で読み上げては答え、ぼちぼちと坂を上ってゆく。

 日吉大社の受付に到着。ゆっくり回って30分程とのこと。目の前に見えるのは、ほとんど手の入っていない鬱蒼とした山。最近は氏神様や京都の社寺しかお参りしていなかったので、山自体が御神体といったような、古来の神社を思い出す。背後の山は比叡山。山に入らせていただきます、といった厳粛な気持ちで歩を進める。やはり神域、気が異なる。ひんやりと澄んだ、清々しい気で満ちている。

 まずは西本宮へ。重要文化財の楼門の屋根の四隅には、必死で支えるお猿さんたちがいて頼もしい。苦しそうというよりは、「よいこらしょ」と、どこか楽しそうな表情。かれこれ何百年も支えてくれているんですね。本当にお疲れさま。ありがとうございます。

 日吉大社のお猿さんは、神様のお使いの神猿さん。厄除・魔が去る「マサル」と読むそう。ザギトワの愛犬ではないよ。マサルさんをかたどった陶器入りのおみくじをひいたら、なんと大吉!今年は本当に大変な一年だったけど、これでもう大丈夫。普段は買うことのないお守りも購入し、マサルさんにいつも守ってもらうことにした。

「見ず聞かず言わざる」三つのさるよりも 思わざるこそまさるなりけり

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の話は、天台座主良源の処世訓から生まれたものだそう。「さる」という言葉を、よくここまでうまく詠み込めるものだと感心する。「思わざる」とは怒りや恨みなどの負の感情を指すのだが、なにごとも考えすぎてしまう私には、「考えすぎないこと」というメッセージに思われた。

 マサルさんたちに見送られ西本宮を後にして、次々と並ぶ摂社に手を合わせながら進む。摂社が多いのは、大きな規模の神社の証。そして2つの遥拝所があった。そこから険しい山道を30分ほど登った八王子山に、三宮と牛尾宮というお社があり、その間の金大巌(こがねのおおいわ)という10mの岩が、そもそも日吉大社の始まりなのだとか。これは勉強不足で後で知った話。遥拝所でもっとちゃんとお参りしておけばよかったな。最後に東本宮で手を合わせ、日吉大社を後にした。

 さて、これからどこへ行こう。「本家 鶴喜そば」のサイトで紹介されていた、「元里坊 旧竹林院」に行ってみることにした。里坊とは延暦寺の僧侶の隠居所で、坂本には数多く残っているのだそう。お坊さんはずっとお寺にいるイメージがあり、隠居するとはどういうことなのだろうと思っていたが、比叡山での厳しい修行に堪えられなくなった老僧や病弱の僧徒は、麓の坂本で隠居保養するとのこと。以前、大学の研修で比叡山に泊まり、真夜中の回峰行を見学したが、一晩で何十キロも歩く過酷な行だった。年を重ねれば、到底できることではない。隠居できるって、なかなかやさしいシステムなんだな。

 「元里坊 旧竹林院」の広々とした回遊式庭園には、茶室や四阿(あすまや)があり、国指定名勝になっている。2階建ての邸の畳に座り、滝の落ちる音を聴きながら、色づき始めた木々や苔むした石を眺めていると、心の波がやがて一本の線になり、鎮まってゆく。

 心の平安を取り戻すと、甘いものがほしくなってきた。坂本名物は「比叡のお猿さん」という、猿の形をした最中だそうで、ぜひこのお猿さんも連れて帰りたかったのだが、あいにくの定休日。「本家 鶴喜そば」の数軒先にあるお店なのだが、この通りは昔の街道の情緒が残り、建物にも店先の様子にも風情がある。下校する高校生の姿を多く見かけたが、こんなに情緒ある環境の学校に通えるなんて、実に羨ましいかぎり。

 喉も渇いてきたので「甘味処うえだ」さんへ。お店のイチ推し「黒糖わらび餅」を注文したところ、ありがたいことにお茶もついている。わらび餅はあっさりとした甘みながら、もっちりねっとりとしており、とてもおいしい。口直しに添えられた昆布の佃煮は山椒の風味がよく効いていて、これも自家製のよう。

 お店のご主人から、日吉大社の山王祭について教えていただいた。毎年3月に八王子山の奥宮に1.5トンの神輿を上げ、神様にお遷りいただいた後、4月12~15日に麓の東本宮に下ろすのだとか。かなり急な山道を、しかも夜に。さぞ雄壮なことだろう。桓武天皇の頃からの1200年の歴史を持つ有名な祭だそうだが、存じませんでした、すみません。

 ご主人が録画された祭の映像も見せていただき、今年は3年ぶりに従来の祭に近い形で開催されたと、誇らしく語っておられた。品のある「いいお顔」をされたご主人で、あらためて坂本は「いい町」だと感じた次第。暮らす人の顔は、その町を写すものだから。

 旅先での現地の方との交流が、実はあまり得意ではない私。でも甘味処のご主人とは、不思議と素直にお話できた。日吉大社でひいた大吉のおみくじに「旅行 現地の人とのふれあいを大切に」と書かれていて、まさにそれを実現した形。マサルさんのおかげかな。

 比叡山坂本駅の下りホームに立つと、後ろには比叡山、前には遠く琵琶湖も見える。坂本は比叡山の入口であり、西教寺や日吉大社といった大きな社寺があるにも関わらず、観光地というよりは、今も里坊が残る現役の門前町のようだと思った。

 激動の一年を過ごし、まだまだ心が落ちつかない申年の私を、魔除けの象徴マサルさんが呼び寄せてくれたのだろう。日吉大社の清々しい気に包まれ、商売っ気のない静かな町で、ようやく穏やかな気持ちになることができた。

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