「朗読者」宣言
いま、一番楽しいこと。それは、朗読をすることだ。誰かのためにではなく、自分のために、声を出して読んでいる。
小説でもエッセイでも、なんでも読む。声に出して読むと、そのシーンの中に存在しているように、情景が浮かび上がり、内容も頭にしっかりと入ってくる。
高校生のころ、放送部で朗読をしていた。NHKのコンテストでいい成績を残せたことは、落ちこぼれだった高校生活の中で、唯一自慢できることだ。
またそのころ、不思議な体験もした。自分は客体として、主体である原稿を読んでいるはずなのに、主体と客体が完全に一体化し、自分が読んでいるのかどうかすら、分からない状態を味わった。その瞬間、この朗読は確かに聞き手に伝わっていると、手に取るように分かった。忘れられない体験である。
そしてそれよりなによりも、声を出して読むことが楽しかった。そこまで思い入れが深かったはずなのに、高校卒業後はなぜか、朗読することを忘れていた。
そして公私ともに自分が追い詰められていた数年前、ふと、声を出して読んでみたくなったのだ。
意見や考えを発することができなくなっていたその頃の私は、声を出して何かを読むことで、「自分を表現する」感覚を体で味わい、心の健康を保てていたのだと思う。それからは、毎日何かを読み続けている。
「小説でもエッセイでも手紙でも、新聞や取扱説明書であろうとも、ご要望に応じてなんでも読みます」という仕事を立ち上げようかともと思ったが、朗読は著作権の問題が難しい。
では自分が書いた文章を朗読すればよいのではないか、と思い立ち、記事の音声版も上げることにしたのである。伝わる速さでゆっくりと、分かりにくい言葉には解説も添えて。聞いてくださる方と、お話をするように。
書いた本人が読むのだから、間違ったニュアンスを伝えることはない。記事を読むのが面倒な方がいらっしゃれば、お聞きいただけると幸いである。