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理解を求めることと自己解決

※これから私が伝える事は、自己解決についての話ですが
性指向、アイデンティティについての悩み、鬱、いじめなど、耐え難い苦痛を我慢すべきであると主張しているわけではありません。他者との関わりから生まれる癒し、救いもあります。SOSを出し、他者と話し合うことは非常に大切ですので、
これらの前提を踏まえていることをご理解頂いた上での閲覧をお願い致します


高校生の頃、わたしは自分の苦しみを他者に打ち明けることで幸せになれると思っていた。実際自分のことをわかってくれる人がいたら心強いし、実際理解者がいることは人生で大切なことだから。

わたしの苦しみ、悲しみは全人類共通のもので、わかって欲しい人に伝わらなかった時、ひどい絶望感、喪失感、怒り、怨嗟まで覚えた。
これが数年前のわたし。


人間は自己解決する力がある


日常生活を送る中で、「人には人の考え方がある」ということを納得したのは最近のことで、
自分に理解が示されなかったとしても、「理解されなかった」という事実があるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
この考え方は、わたしを「理解してほしい病」ともいえる考え方から脱却するきっかけになった。

全て起きたことは事実のままで、それをどう受け止めるか。それらは全て自分次第で、自分で解決できる。

いつでも他者が自分を理解し、ご機嫌を取ってくれるわけではない。
自分で考え、解決してみる。いわゆる地産地消、循環型社会。(ボケたつもりなのに分かりづらい)
自分の理解者はいつだって自分で、揺れ動く感情、価値観をコントロールできるのは自分。


他者と感情を分かち合うことも良いけど、
その他者とのコミュニケーションでまた悲しみが生まれ、それを増幅させないためにも、自己解決するという方法もあるということを肝に銘じておきたい。


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