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「思考」について考えよう

思考って自分の中で行うものですが、いつも自分だけで完結し、インプットがなければ範囲は限定されますよね。noteには数多くの思考が記されていて、いろんな意見も考えも、そのプロセスも感じ取ることが出来ます。

気の合う意見や考え方、感性もあればそうでないものも当然あります。ルール違反やマナー違反はさておき、多様なnote、人が集まればいろんな面白さも興味深さもあります。目に入れないように気を付ける行き方もあるでしょう。それはそれぞれの方々が選ぶ行き方だとは思います。

自分はメディアや記事などに登場する文章と比べ、生の、粗いままの思考に触れる可能性が高いのがnoteという場所の面白いと感じます。時間がある時にでも巡回してみませんか?


そのため、私自身も自分より年下世代がどのように考えているのか。そして、何が価値観の基準となっているのかを知ることによって、自分の考え方の変化の種にしたいと考えています


多くのアスリートは「思考」の上に成り立った「感覚」に意識を向けることでパフォーマンスを向上させようとします
極論を言えば、ランニングの一歩一歩にかかる身体への負荷が変わります。つまり、考え方によってトレーニングの質(行動の質)が変わるわけです。今回は分かりやすい一例として、トレーニングを挙げましたが、栄養や休養の取り方についても同様です。


人生では人のゴールを走る必要はなく、スタートの号砲も自分で鳴らしてよいのです。よーいドン、のその前に、十分にエンジンを温めておくこと。それがスタートダッシュをかけ、ゴールまで走りぬく秘訣なのではないかと思うこの頃です


それと同じように、相手だってそうなのだ。相手には相手の信じる世界がある。生きてきた世界があり、歩いてきた道のりがある。あなたが知らないだけで、世の中には「嘘でしょ」と言いたくなる現実なんて腐るほど転がっている


アウトプットが大事というのは良くききますが、そのアウトプットも振り返らないとあまり意味がありません。ブログやポッドキャストなど、その時々の自分の生の思考をアウトプットし、客観的に振り返られる仕組みにしてしまうのが効果的だと思います。


なぜ努力ができない人が多いのか?というと、努力を「辛くて苦しいもの」と誤解しているか、努力という「スキル」を身につけていないからなんです


全ては自分の考え方次第だと気付くと、どんな状況でも、次はどうする?を考えるようになるし、足りない自分を受け止め、どう成長するべきか?や自分のどんな価値を育てていこうか考えることができる


一緒に彼と問題の解決に当たった。自分だったらいろんなログをクエリーしたり、コードを見たりとか、いろいろじたばたするところだが、彼は最初の一つのログだけを見て、「仮説」を立て始めた。手は一切動かさない。彼はしゃべりながら、アーキテクチャがこうなっていてこのログがこうなっているから、自分の推測では、こういうことが起こっていると思われる。だから、自分が調べるべきはこのテーブルといって、SQLを1つだけ実行した。それがまさに問題の原因を表していた
私は頭がいい人はああいうのを見て1発で理解できてうらやましいなぁと思っていたけどそうではないのだ


思考の幅が狭くなったとしても、才能さえあれば、個人が経済的に成功する分には問題はないのだろう。ただしこの社会全体の福利のことを考えると、若い才能の思考が限定された方向にのみ働くのは、多くの人々を幸福にすることにはつながらないかもしれない


システム思考の講座を受けて、人にはそれぞれの思考のパターンがあると学んだんです。様々な視点から考えられる物事についても、「推論のはしご」を駆け上がって、衝動的に自分の論理を組み立ててしまうこともあると



書籍でも多くの「思考法」がヒットします。

神屋が今まで読んできた本、その中で紹介してきた本の中にも多くの「思考」に関連したものがあります。


神屋の「思考」に関連するnoteを幾つか

行動することはもちろん大切ですが、少しでも思考し、対応力や引き出しを多くしていくことも大切ですね。それらを苦しむのではなく、楽しめるレベルに引き上げられれば良いなと思います


たとえ粗くても、流れる思考の大河から掬い出すように集めてみないと1つの形も始まらないと思います。ここ、noteはいつの間にか「完成形」を求められる場に近付いているかもしれません。でも、本来は「つくる」の始点となる断片こそを公開し、発露する場であったと思います


もしかしたら行動ができない、意欲が湧かないのはこういった思考力が低下しているからかもしれません。同じところをぐるぐる回る思考は「悩み」かもしれませんが、適切に思考し、整理、アウトプットできれば問題ないと思います


思考は意識に上ってくるものだけでも膨大だけど、無意識まで入れると更に膨大になりますよね。頭に浮かぶだけでなく、スポーツ、運動、動作や操作などの身体活動や感覚まで入れると無限にも感じます


OS、思考法を変革、アップデートしていくことで大きく違った答えが導き出され、解決に向かっていく、可能性や希望の拡大に繋がっていくのではないでしょうか?


全てを拾うのは無理だし、一時間前のことすら意味を拾い上げ、形に残すことに意味を感じない人も居られるとは思います。でも、本当に意味はないのでしょうか?意味のないことばかり考えているのでしょうか?


スポーツにもデザインが必要だし、その「デザイン」ってそもそも何かを考え、学ぶ必要もあります。絵を描くことや造形、グラフィックなどだけではなく、リアルでも、これから重要性を更に増していくオンラインにとってもデザインは大切になっていくと思います


ついでに言うと神屋はesportsも囲碁や将棋も広義な意味では「スポーツ」だと思っています。「スポーツ=遊び」ならば全てスポーツに入るという考え方と、身体性を伴うものは全てスポーツにすることが出来ると思います。

このnoteやクリエイターの方々も何かを生み出す際は身体性が伴ったものになると思います。囲碁だってただ理屈理論で打つのではなく、立体的にそこに何かが現れ、展開していくイメージが出来ると伸びも良いし、楽しさも増すのではないでしょうか?


ふわっと、もやっとしたあまりに頼りないそれをきちっと器に押し込んで見えるものに出来るかどうか。簡単ではないと思うんですよね。しかもそれらは最初から「言葉」として浮かんではいない。何か別のもの、それも画像でもなく何でもない、本当に何の実体もないものかもしれませんし。


残骸ばかり放っておくと、そういった癖も付くし、何時かそういった残骸が重くて動きにくい日が来てしまうかもしれない。また、ある作家はとにかく「書ききった」「最後まできちっと形にした」ものを何本書くか。そういった癖と力を付けるのが大切と書かれていた


友人知人にも出せない感情、想いならカウンセラーなどの力を借り、蓄積を減らしておくのも大事。日記にぶつけても良いし、日記の更なる「秘密日記」を付けても良いかも。


書くことにより何が起きているか?
自分の思考をまとめるということ。
人に伝える訓練をしていくこと。
そもそも自分の頭の中に何があって、どんなものが出てくるかも解らない


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