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本にまつわる/書くこと/読むこと note

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noteを書く&続けるヒントに。読むこと、本のこと。つまり活字は楽しい📖
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#読むこと

計算上は100本分は読めるはず

最近はすっかり読書は減ってしまいましたが、以前は1日1冊ペースで読んでいました。現在はそれがnoteや多くの書類、ニュース、情報収集に置き換わっています。 当時の「読書」を考えてみると、現在のインプットはそれほど多いとは言えず、以前と変わらないか、むしろ減っている可能性もあります。その分、アウトプットは確実に増えていますが・・・ 軽く計算すると、読書は1冊200ページくらいだと考えると、note1本で見開き2ページだとすると、100noteくらいは楽勝で読めそうなものです

note運用面でのいろいろを考えてみた

ずっと要望されていたnoteのエクスポート機能。使い勝手が良いかは別として、有り難いものなのは間違いありません。ただ、もっともっと使い勝手が良くなってくれれば嬉しいなと思う部分はあります。 例えば、検索にしてもそうですが、もう少し検索窓を別にしてキーワードと著者、期間などを入力できたら良いなとか。工夫すれば出来るのかもしれませんが、回遊性を上げる、もっと読まれるようにする為にもその辺りの機能をもっと直感的に誰でも扱いやすいようにして頂けると嬉しいですね。 他にも、エクスポ

国語の学力を伸ばすために読書をどう活かすか

読書好きでかつ、加古川優考塾でも子どもたちに読書を薦める立場として、このようなタイトルで興味を持って頂ければとこのnoteを書きます。子どもたちが自然と読書に興味を持ち、読む習慣を持ってくれれば良いのですが、そうは思うように行かないのが現実だと思います。 もちろん、読書は趣味としても役立ちますし、大人になっても仕事などでの書類などを読む力、コミュニケーション能力に繋がるし、学生、生徒のうちは「学力」としても基礎構築に役立ちます。直結するのは国語ですが、もちろん、すべての教科

短ければ、短い方が良いとは言いませんが

短さや長さ、分量に決まりがあるわけでもなくて、形があるわけでもないのがnoteの書き方だと思いますが、読む側にとってちょっとした隙間時間に読み切りたいなと考えている時には、ある程度は短い方が読みやすかったりします。 こういった一文も読む上ではちょっと長いくらいでしょうか? ツイッターがあれほどザッピングする人が多かった一番の理由はあの短さだったと思います。今や140字で収まらず、長文を投稿できるなどしましたが、あれらをしっかりと読まれる方はあまり多くないかもしれません。長

読noteという語呂を考える

若干、語呂が悪いですが読書のように、noteを読むことを表現したいと思った時にうまい言い方がないものかといつも思います。 ニュースや記事も、「見る」「読む」ではあるのですが、どちらかと言うと「収集」というイメージがあります。それに比べてnoteは読書に近いイメージで「読む」という言葉が合うような気がしますので、できれば何か語呂のいい読み方ができればなと思います。 神屋の個人的なイメージですが、現在のnoteはどちらかというと創作する側に主眼が置かれていて、多くの方がそこに

6年分のnoteを見返していくと絶対に面白い

神屋が初めてnoteを投稿してからおよそ6年が過ぎようとしています。当初のことは、今でも鮮明に、昨日のことのように思い出すのですが、一方で積み重ねてきた年月は、様々な出来事や考えてきたことを積み重ねてきたし、その一部ではありますがnoteに記してきました。 元々、神屋は歴史学を専攻していましたし、歴史資料などを読み込むのはわりと好きです。現在、NPO法人加古川総合スポーツクラブにも関わっていますが、公式サイトにクラブ通信を創刊号からアップする作業をしたり、過去のクラブの歴史

noteの方向転換:「読みたい」を軸に考える

読んでもらいたい、お伝えしたいのは山々ですが、「読みたい」も元々から強くあったので、フォローすることを自制する意味はないなと思いました。天啓のように急に感じたんですけどね。 なんとなくフォローし過ぎると読みきれないと感じていた上に、イメージとしてフォロー/フォロワーのバランスが極端だと見栄えがどうかと思っていたんですよね。Twitterですかね。確かフォローするのも限界があるのは。noteにはそういうのはなかったはず?ありましたっけ? ちょっと記憶が定かではありませんが、

他人の創作に触れてみないことには進化は訪れない

インプットがなければアウトプットは難しいし、そのインプットもただ闇雲に手に入れるだけではなかなか進化には繋がらないと思います。 自分の中から、無から有を生み出すのは格好が良いし、もちろんパクリは問題外で、オリジナリティは創作には必須です。 だからといって、他人の創作物を見ないで、読まないで、触れないで進化していこうとするのもまた無理があると思います。 誰かが辿った足跡は、それがたとえ失敗であっても自分が行く際には参考になります。その思考やプロセス、そこに至る経緯や背景、

noteを読んでいると、書き手がここに熱を込めたんだろうな、と感じることがあります。 多くのnoteに触れる、同じ著者を読み込んでいくことで見えてくることも多い。聞く耳、読み取る力を高める為にはそういった意識と場数が大切ですね。 https://note.com/nkamiya/n/nc53613237c31

図書館note3.22

今回は久し振りだと思います。図書館が移転してしまい、やや縁遠くなったせいか、noteでも図書館に触れる機会が減ってしまいました。 「これではいかん」とまでは思わないまでも、やっぱり時々は今までもやってた図書館noteも継続したいし、読書やnote読みもやっていきたいと感じます。 何はともあれ、着手すること。それが大事ですね。 やっぱり、並んでいる本を見るのはいいね。自分の守備範囲以外の本も目に入るから、「あっ、これ面白そう」と借りたくなる。 2つの時代が、違和感なく繋

過去ツイを見返そう:2010年part1

Twitterは2009年12月よりとある仕事の依頼から開設、投稿を始めました。きっかけを頂いた企業さん、そして担当者さん。ここまでTwitterを続けるとは全く思っていませんでした。きっかけを頂いて本当に感謝しています! ぜひフォローください!日頃から多くのnoteもシェアしています! それから12年。必ずしも固定した使い方、動き方をしてきた訳ではなく、いわゆる「アカウントを育てる」ような形を取ってきた訳ではなく。神屋の動きに沿って共に動いてきました。 なので、内容は

いつでもそこにあると、思わないこと

ほぼ毎日、読んでいたnoteが最近は投稿されないなと、ふと気付いて探してみると、アカウントごと削除されていることもありますよね。寂しさもそうだけど、「今は忙しいからあとで読もう」と思ってたらそういう事態になってはじめて後回しにしていたものが全部、読めなくなってしまったことに気付きます。 もちろん、日々の生活の中でバランスよく、折り合いを付けながら読んでいくしかないし、イベントやサービス、コミュニティへの参加も時間とお財布などの事情と相談しないと全てに参加、触れていくことはで

読みたい時に、読みたいものをどんどん読んでいくのもおすすめ

勉強や仕事に活かす、効率よく学んだり、インプットするには不向きなこの方法ですが、中長期的に知見を蓄えたり、下地を作ったりする場合や、趣味としての読書などではおすすめな方法です。 最近は書く方に意識がいっていて、読むほうについては特段、何も書いてこなかったし、読める感じがあまりしないとも書いていましたが。それでも多くの小説だけは読んでいました。 理由は、さきほどから書いているように「読みたい時に、読みたいものを読む」です。本来なら取り掛かったものを途中で放り出して次々と違う

評価を見極める力も必要

人やコミュニティ、サービスなどに対する評価はネットを中心にいつでも参考に出来るようになりました。同時に注意しておきたいことも重さを増していると思います。 元々、ネット以前にも口コミなどの評価を耳にし、参考にしていましたし、今でも口コミの強さは変わらないと思います。 ネットは口コミのような人間関係のしがらみは減少し、オープンな評価が下されているようにも見えます。しかし、実際はネットでもしがらみや様々な思惑が交差します。どこまで行っても人間が関わることにそう大きな違いはないで