マガジンのカバー画像

本にまつわる/書くこと/読むこと note

728
noteを書く&続けるヒントに。読むこと、本のこと。つまり活字は楽しい📖
運営しているクリエイター

#トレーニング

「1万」という数字、1日10をベースにした目標を考えてみる

元ネタはこちら。 何かをものにする、それなりのレベルに達しようと考えるなら「1万」という数字を意識してみます。英単語でも「1万」覚えていればかなりの文章を読む素養があると思いませんか? ちょっと調べてみると英単語「1万」というのはキリの良い数字でもあるためか、多くの検索、攻略法がヒットしてきます。漢字でも、語彙力でも1万という数字は目標になるし、イメージしやすいですよね。 ランニングなら、1万キロだと、箱根駅伝を目指す選手が「強くなった基準」のイメージで出される数字だと

「書ききる」ことの難しさ

書ききることは難しい。特に長文になってくると、構成がしっかりしないと迷子になるし、締めがなかなかうまく行かないことも多い。だからこそ、日頃から短文、ビジネス文章を書き馴れている人は、長文にトライすることも大切だと思います。 一方で、どんどんnoteや文章を多く書く訓練をする、発信する際に行動やアクション重視で行く際は、シンプルな単元、1テーマで1つの文章が完結するように書き切ることもつの行き方だと思います。 毎日note、連続投稿を続けていくとメリットとして、短くまとめる

以前「創作マラソン」をしました。誰か試してみませんか?

こちらのnoteでも書きましたが、ある程度のレベルで書き続ける力を手に入れようと思ったら、講座などで技術を磨くのも良いですね。今の時代、リアルでもオンラインでも割りとどこでも学べるチャンスはあると思います。 一方で、マラソン練習ではないですが、それだけの分量を書き続ける力、継続性を身につけようと思うとトレーニングが必要です。ランニングと同じであればカラダ作りならば筋トレも必要だし、手入れや走り込み、脚づくり、起伏や刺激などを入れ、総合的にトレーニングを積み、レベルアップを目

平均、1日2投稿を維持するなら、書くことも1日2本平均で取り組まないと間に合わないのは当たり前のはず

なんだかタイトルが長くなってしまいました。このnoteそのものは簡潔に、短くまとめてあるのでご安心ください!このタイトルの意味、そのままですが、油断するとこの「当たり前」をすぐに忘れて油断しちゃうんですよね。 進行できる時に頑張って、ある程度のストックを作れたとしても、1日2投稿でいくなら、消化するのも1日に2本ずつ。1週間ほど書かない日が続いたならば、たとえ14本のストックがあっても消化しきってしまいます。 同じように、今日は気分が乗って2本、3本書けたなと思ったところ

1万本への道はまだまだ遠い

2023年12月現在、最初にnoteを投稿してから6年3ヶ月くらいの月日が流れました。その間、投稿してきたnoteは公開中もので3800本を超えます。下書きなど、未完成、未着手などを含めると4000本を超えるnoteがあります。 それなりの歳月で、それなりの量に達していると思いますし、過去noteの手入れや更新して有効活用したいと思っても、手が回らないレベルで多くのnoteが存在していると思います。 一方で、熟練するには1万時間の法則のような感じで、投稿も1万本いけばいっ

以前と比べて短文の出力が・・・

いままでも何度か振り返ってきた「短い文章について」ですが、別に気にせず、どんどん好きな文字数で書けば良いと思うんですよね。 そう思いながらも、どこかに短い文章を躊躇する意識があるのか、ここ最近はすっかりとその一歩が出にくくなってしまった感じです。 今もこのnoteをどう締めようかと考えた時に、いろいろと思考が働き、結果的にじわじわ長くなっていく可能性があります。 そこに生じる負担だったり、最初から意識することによる無意味な動き出しを重くさせ、取り組むことから減退させてし

やっぱりプロのライターは文字数も自由自在に操る?

プロのライターは、文字数を自由自在に操ることができるのでしょうか?普段からこうしてnoteを書き続けていますが、ある程度の字数以内にうまく収めたいと思っても、過不足なく収めるのには難儀します。みなさんは小学生や中学生の頃に読書感想文で苦労した経験はありませんか?学生のレポートなどもそう。大人になってくるとそこまでシビアにならないかもしれませんが、文字数をうまく制御できたほうが良いですよね。 単に文字数を制限された中で文章を書けるという意味ではなく、伝えたい内容や読者のニーズ

生成AIを活用し、「型」を学ぶ

生成AIは大量のデータからパターンを学び、新しいデータを生成する技術です。テキスト、画像、音声など、さまざまなデータに対して適用が可能であり、近年急速に進歩しています。特にここ最近は一気に身近に浸透してきた感があり、日常に当たり前に存在してきたようにも思います。 一方で、誰もが日常的に使っているかと言うとそうでもないと思います。特にここnoteではどうでしょうか?皆さん活用されていますか? 生成AIは、さまざまな分野で活用が進んでいます。例えば、テキスト生成AIはニュース

過去noteにも手を入れよう:noteのストック性を紐解く

noteはストックとしての価値が高く、流れていくものではなく、そこにしっかりと残っていく拠点となり、コンテンツが蓄積し財産となる。 そういった考えのもと、クリエイターも取り組んでいる方が多いのではないでしょうか。一方で読者の立場から見ると、noteそのものの改善の余地はまだまだあり、運営さんに頑張っていただけると嬉しいなと思うところでもあります。 noteのストックとしての価値や、クリエイターにとっての資産価値というのは、note内だけで完結する話ではなく、外部検索による

手詰まるくらいなら、とにかく何かに着手してみる

やっぱり何本でも、思い浮かんだ時に取り組んでいく方が神屋には向いていると感じています。 与えられた仕事や自分がやらねばならない仕事、必ずやろうと思っている仕事。こういったものはスケジュール通り、計画通りに遂行していくことも必要ですが、一方でnoteのように「これらの期間内に、これぐらいの量を書き上げる」という風にざっくりと進行できる、スケジュールに余裕がある、予約投稿もあって余裕を持って創作に取り組める状態であれば、ガチガチに固めるよりも、やれる時に取り組む、行ける時に勢い

言語化しにくいものにもトライする精神は大切

なんとなくですが、言語化しやすいものとうまく言語化しにくいものがあります。スポーツはまさにそうですが、ほとんどが暗黙知などであり、言語化できるものではなかったりします。 かといって、昔の一子相伝のように暗黙知の継承を中心に行なっていると広がりが持てませんし、多くの人に知らせることができません。どうにかして言語化しにくいものを言語化していく。 言語化することで最初は誤解が生まれたりしたとしても、なんとか言語化していくことにチャレンジしていく姿勢と意識が必要なのではないでしょ

姿勢次第でクオリティは変わる?

noteを作成する際に、パソコンかスマホ、手打ちか音声での入力かでクオリティや内容、長さや濃さなどに違いが出る可能性を以前にも書きました。 創作することは、スポーツにおけるeスポーツやボードゲームと同じで、そこに身体活動が伴う以上、スポーツの一種と言うことができますね。(無理やりかもしれませんが) スポーツかどうかはさておき、少なくとも身体活動の一種なのは疑う余地はありませんし、であるならばスポーツと同じく、姿勢や道具、環境やトレーニング、コンディションなど、スポーツにお

油断すると日付が迫ってくる

半分は冗談のような話ですが、気づけば7月も中盤どころか終盤に差し掛かっています。油断するとあっという間に日にちが過ぎていきます。それはもう、いつも書いていることですから、ただのネタにしかならない面はあります・・・ このnoteも公開予定日の数日前に一旦、下書きしたのですが、気づけば終盤というか7月末になってしまいました。しかも、予約投稿も数日分をセットし、少し余裕が出てきたかなと思ったところで、気づけばすぐに余裕が2日分とかになっています。 全然、余裕がない!笑 手抜き

上手く自分の「内」と「外」に構築していけるかが鍵

正直なところ、自分が何を言ってるのか、何を言おうとしていたのか分からなくなる事ってありませんか? noteを書いていても、音声入力でお話ししている時もそうですが、スムーズに手が動き、タイプできていたはずなのに、気づけばどこに向かっているのかが分からなくなることって多々あります。 何かを学ぶとき、勉強するときもそうです。 自分の外側にしっかりとした形を作り上げる。明確に。自分の思い通りにきちっと形作る。仕上げる。 それがいつでもできれば良いのですが、なかなかそう思い通り