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書く習慣DAY21 自己紹介②

自己紹介シリーズ、2日目。
(何日続くかなー。)
今日のテーマは【肩書き】
はい、会社に勤めると名刺に書かれたり
履歴書の左側に書く部分。
でも、それだと普通の履歴書と変わらなくてつまらないので、コメントもいれながら書きます。

今日は学生時代にフォーカスして、、。

●小学校卒業
→卒業、一応しました。
6年生のとき、8ヶ月くらい不登校してたので
修学旅行とか行ってないです。

1番の思い出は6年間のうちの4年間、しかも1,2年、5,6年とまぁまぁな時期に担任が国語の先生だったこと。5,6年生のときは毎日、日記または詩を書くという面白い宿題が出ていて結構スキだった。

●中学校卒業
→ここは、ただひたすら耐えてた時期。
いま、考えると通っていた中学には勉強ができる子もいた。スポーツでジュニアのクラブチーム所属している子もいたし、文化とか芸術とかそっち方面が強い子もいた。お前はなんの才能があるの?と、問われ続けている気がした。
学校としては“進学校”という形ではあったけれど
なにもやりたいことがなければ、勉強しておけば?みたいた緩い感じだった。

耐えていたと言うのは、男子からの悪口とかいじめに匹敵するようなことだ。
きっと、当時の相手にはそんな認識なんてなかっただろう。
ただ、背が高くて目立つから嫌い、みたいな感覚だったのだろう。
一時は小学校の不登校と同じようなコンプレックス?みたいなものになっていたけれど、いまは気にしてない。

●高校卒業
ここも、一応卒業はした。
当時やっていたオリンピック予選に惹かれて
中学のときからバレーボールを始めた。
それを、高校でも続けたけれど
選択、間違えた感じが否めない。
高校なので練習も本格的。朝も早い。夜も遅い。
自然治癒しない怪我をさせられる、、、。

バレー部は部活をやめること=学校をやめること
という、謎の方程式があった高校。
よく、頑張って卒業したと思う。

いま、高校生をやりなおせるなら
学校はいいけど部活は違うのにしておきたい
と、切に願う。

●福祉系大学卒業
卒業と同時に福祉系の国家試験受かりました。
介護ではありません。
なんだか、ひどかった。
このときには、もう、私の感覚は麻痺していたのだと思う。
それなのに、国家試験の受験資格がもらえたこと
そして、受かったことが奇跡だと思う。

入学して数ヵ月で友達とケンカ別れしたけれど
それも含めて、大学の友達はスキ。
結構、小さい地元の大学で、キャンパスも他になく、
学年のほとんどの人と顔見知りになれたりした。

学生時代、総じてサバイバル。
社会人になっても、しばらくサバイバル。

職歴はまたいつか。



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