見出し画像

自分につけるフラグと意識の枠

自己紹介はこちら↓

今日もTwitterにおります。

今回は、「自分にフラグをつける」という話を書きます。自分にはどういうところがある、どんな人間である、という自己認識についての話題を、仕事の場でどう用いるのか、という話です。

自分にフラグをつける

突然ですが、フラグとは、注目を集めたり、重要性を分類したりするために、コミュニケーションのなかで大きな役割を担います。

一般的な認識でいえば、

・メールやファイルにスターをつけておく
・重要な部分に赤線をひく
・ターゲットとなる顧客に目印をつけておく

こんなイメージでしょうか。

それと同じように、自分自身にも無意識のうちにフラグをつけていることがあります。

・私は、夜型だ
・私は、大食いだ
・私は、運動音痴だ
・私は、正確性に欠ける
・私は、人見知りだ

誰もがしていることかもしれません。

こうすることで自分自身で納得することもありますし、他者に知らせるという効果があります。

それ自体がポジティブなイメージをもたらすか、そうでないかは、一概に言えない部分があります。

しかしながら、(障がいや病気の有無関係なく)フラグを自分の鎧にしているような方に立て続けに出会い、自分の特徴、フラグを言い訳にしているのではないか、と感じたので、この投稿をしています。

私のクライアント様には、障がいや疾患をお持ちの方がたくさんいます。
そこで、「〇〇障がい」「〇〇病」というフラグがつくのです。
ずっと苦しんでいたことに名前がついて、ホッとしたという方もいらっしゃいます。一方で、「一生ついて回るのか」とうんざりして落ち込む方も多くいらっしゃいます。
自分自身につくフラグの影響をもろに受けながら生きる、そのシビアな形がそこにあるように感じられますが、実は誰にでもあり得る普遍的なことであり、そこに対する経緯や配慮、相互理解は可能だというのが、私のスタンスです。

自己分析と自己認識

そんな、フラグをつけるということは、就活でよく出てくる自己分析とリンクします。

ただし、フラグと自己分析とは、完全一致しません

フラグって、どちらかというと、「自己認識の一部分」です。

自分はどんな人間かを認識する、それが自己認識だとすると、フラグってその一部でしかありません。

しかも、それをたまにしかしていなかったら?

自己分析を、ほとんどしたことがなかったら?

そのフラグ、本当に正しいといえますか?

自己理解と自己受容

混同しやすいことばに、自己理解自己受容というものがあります。

自己分析だけでは、足りないのです。

分析した結果、自分にはどんなところがあるか理解すること。

分析して、あぶりだしたことを、整理します。

定義はそれぞれですが、

ものの考え方、エピソード、生活パターンなどを書き出して、そこからわかる傾向をわかり、似たような問題が起こったときに対処できるようにしておくこと

が、自己理解だと考えられるでしょう。

そして、

その自分の傾向を、自分の心でうけとめて、認めてやること

それが、自己受容だといえるのではないでしょうか。

自己分析だけでは応用が利かず、次に問題が起こったときに活かせないのです。理解をして、うけとめて、落ち着いて対処する。ここまでがセットです。

課題を言語化する

さらりと触れましたが、重要なことをもうひとつ。

自己分析も自己理解も、実は辛いプロセスでもあります。

どのように自己理解をするかは、またの機会に。

それでもなぜ、わざわざ自己分析、自己理解、自己受容をするのでしょうか。それは、

問題やリスクに対処し、課題を解決するため

です。

たとえば、「緊張してストレスを感じやすい」という傾向がある人がいたとします。

大きなイベントが控えている前日、体調を崩してきた過去のエピソードもあります。

その人はイベントの事務局を担当しており、イベントは成功する必要があります。

少し整理してみましょう。

ミッション:イベントの成功
自己分析:大きなイベントの前には体調を崩してきたエピソード、緊張しやすい性格
自己理解:緊張してストレスを感じやすい
課題:ストレスがかかっても働けるか、ストレスを緩和することで、イベントを成功させる(社会参加を継続させる)

そうすると、組織としては対応することができます。

たとえば、事務局を複数人体制にできるかもしれません。

イベントまでのスケジュールに、余裕を持たせるかもしれません。

ほかの業務の負荷を下げるために、分担を見直すかもしれません。

仕事を成功させるために、課題を認識し、課題解決をするためのておくことが不可欠です。

そのために、課題を必ず言語化しておきましょう。

伝えたことと、伝わること

ここで、もうひとつ、よくありがちなシチュエーションを思い浮かべます。

私、正しく書くのが苦手なので、この書類作ってもらえませんか。

自分が別の仕事に追われているとき、仲間からこのように言われるといかがでしょうか。

優しい方であれば、断らないかもしれませんね。

しかし、余裕のないときには「また、こんなこと言って。私ばっかり働いている気がする」「この人、逃げている」と相手に対してネガティブな印象をもつかもしれません。

残念ですが、言葉のとおりに伝わるとは限りません。

伝わったことが、伝えたことなのです。

ここで重要なのが、課題も、フラグも、言語になりがちだということ。

課題は数値になることも多いし、フラグは「わかりやすいキーワード」を含むことも多いのです。

数字やキーワードは、ひとに刺さりやすい

という特徴もあります。

相手だけでなく、フラグは自分自身にも浸透して、だんだんそれにがんじがらめになることもあります。

「私は〇〇だから」と言い続けていると、そこからなかなか脱することができなくなります。自己暗示ですね。

課題も、もしかしたら変化している(すべき)なのかもしれないのに、ずっとそのまま。

必ず、見直しましょう。

自己分析やキャリアの棚卸しは定期的に、といわれていますが、そうしないと、成長しないだけでなく、ずっと苦しい思いが続くこともあり得るのです。

現状理解・自己分析

自己理解・自己受容

課題の言語化
→ここで、必要のあるときだけ、自分にフラグを立てる

この順番で、定期的に見直してみましょう。

フラグが逃げ場になるとき

意図せずとも、自分のフラグが自分の逃げ場になっていることがあります。

やや飛躍していますが、それをもしも自覚したら、そのときは確実に、自己分析を再度行うチャンス。

課題もフラグも、再設定したほうがよいタイミングです。

私って〇〇なのよね、と伝えて、相手が浮かない顔をしたら―

少し辛くても、現状把握と自己分析からはじめたほうがよいかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?