新しいギターが欲しくなった ②フォークからJPOPへ 大学編
大学に入学したら音楽サークルに入って音楽を続けたかったので、入学する直前に新しいアコースティックギターを買いました。
その時に買ったのが、国産メーカーとして有名な K.Yairi の DY-41 というモデルです。これは世界的に超有名な Martin(マーチン)社の D-41というモデルの完全レプリカを目指したギターです。
当時15万円位で購入したと思います。初めてガラスケースに陳列されているギターを購入したので、とても緊張したのを覚えています。
『K.Yairi の DY-41 (1981年製) 』
このギターは既に製造終了となっているのですが、終了直前の定価は40万円にもなっていました。現在は中古品が市場に出ていますが、私が買った頃のものはヴィンテージ品となっており、中古価格でも20万円位はする高級ギターです。驚いてしまいます。
大学に入学し、このギターを引っ提げて意気揚々と音楽サークルに入部しました。その頃はまだ『軽音楽部』という言葉は無く、私が入ったサークルは『フォークソング研究会』という名でした。
高校生の頃はクラスメイトの影響もあって、様々な音楽を聞きました。ビートルズ、イーグルス、サイモン&ガーファンクル、TOTO、ホール&オーツ等の洋楽や、邦楽ではサザンオールスターズ、世良公則とツイスト、そしてフォーク系では松山千春さん、ALFEEをよく聴いていました。
サークルでは方向性が同じ仲間とフォークグループを作りたかったのですが、フォークをやりたいメンバーはおらず、サークル内での編成によりバンドを組むこととなりました。そして私の担当はエレキギター。せっかく新しいアコースティックを買ったのに…と思いましたが、仕方なくエレキギターを買って練習を始めました。
ところが3ヶ月も経つと部員が数人辞めてしまい、またしてもバンド編成…。最後はギターを持たないメインボーカルとなりました。(エレキギターは友人に貸したまま返ってこない)
同学年で2つあったバンド各々の人数が減ってしまったため。一つのバンドとなりました。7人バンドの『コンバース』が誕生しました。ボーカル、ドラム、ベース、エレキギター2本、ピアノ、そして、キーボードの大所帯です。バンド名はメンバーの半数以上がたまたまCONVERSEのスニーカーを履いていたからです。この時大学二年でした。
このバンドではJ-WALK、浜田省吾さん等のJPOP(Jロックと言うべきかな?)のコピーをしていましたが、三年になると先輩方から「賢治も曲を作ってるんだろ? だったらオリジナルをやった方がいいよ。」と言われ、オリジナルをやることになりました。新たに作詞作曲をして、その年の秋のライブでお披露目しました。バンドでは初のオリジナルで曲名は『Tokyo City Night Love』。今聞くと何ともダサい曲名ですが、当時はcity Popが流行っていたので影響されました。
(先輩からは『東京ナイトクラブ』か?と茶化されました。)
やがて大学四年になると、ライブでは全曲オリジナルをやるようにまでなりました。そして卒業前に卒業コンサートを開き、青春の1ページが終わりました。
プロになる程の腕も無く、売れる曲を作れる訳でもなく、バンドのメンバーはそれぞれ会社員となりました。バンドの解散は宣言しませんでしたが、実質活動は終わりました。
そして社会人となって音楽活動は終わったと思っていたのですが、あるきっかけでまた再開することになります。それは後日談で…。
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