書くこととわたしの日々
文章を書くことが好きだ。
好きなだけで得意ではないけれど、小さい頃からずっと好き。
手書きだろうとタイプだろうと、文字で何かを表現しているとほっとする。
好きが高じてnoteを始めてから、ますます好きになった。
新しい習慣を作る時、数週間、数ヵ月だけ続いてそれきりになってしまうものもある。
だけどnoteは今日までやめずに続けてきた。
◇◇◇
いつだったか忘れたけれど、「noteを書くことで自分をケアしている」と書いたことがある。
(いや、書いたっけ?記憶が曖昧だな)
書くことで頭の中にあるものを整理する。
わからないもの、もやもやしているものについて書きながら考えることで、すっきりする。
文章を書くことに、ただ日々の記録になるだけでなくて、自分のメンテナンスになる側面があるから続けてこれたのだと思う。
書いて、書いて、書いて、ひたすら書いて、その先に何があるのかなんて、あまり考えもせずに今日までひた走ってきた。
◇◇◇
時々、「書くことを仕事にするのはどうだろうか」とふと考える。
”好きなことを仕事にしよう”派の人と話した後に、よくそんな瞬間が訪れる。
その度に少し考えて、”いや、まだわかんないな”と考えるのをやめる。
”わかんない”とは、”自分がどうしたいのかわかんない”ということだ。
文章を書くことは好きだけれど、わたしが文章を書くのは、自分のためだ。
他人のために何かを書く、という感じじゃない。
そして仕事にするには、多少なりとも他人に求められるものを書く必要が出てくるだろう。
これからわたしのマインドが変わっていって、他人のために何かを書きたい、と思ったら、仕事にすることを考えるようにもなるのかもしれない。
まだまだ先のことだろうけれど。
◇◇◇
自分のためだけに書いてきたわたしだけれど、ここまでnoteのいろんな人に助けられてきた。
直接コメントをくれる人、Twitterでシェアしてくれる人、そしてひっそりと見守るようにスキを付けてくれる人、などなど。
つながりと呼ぶには弱い糸かもしれないけれど、糸を手にできただけでしあわせに思う。
ゆるやかな糸でできた繭に包まれていると、それだけで安心する。
それも全部、ここまで書き続けてきたからこそ手にしたもの。
書き続けていけば、次はどんなことが起こるのだろう。
そんなかすかな期待を胸に、明日からも書くこととわたしの日々を続けていけたらいい。
書き続けた先に何が起こるのかは、書き続けることでしかわからないのだから。
連続更新が366日目を迎える今日、そんなことを想った。
新しい1年も、どうぞよろしく。
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