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新しい女性像と「らしさ」からの解放

先日、下のnoteを読んだ。

マーケピザとは「20代の若手マーケターやマーケター志望の人が、ピザを食べながら、マーケティングについて学ぶ会」(上記noteより引用)だそうだ。
このnoteで言及されている回は特に女性を対象にした回だったらしく、女性の登壇者が招かれていたそうだ。

詳しくは上のnoteを読んでもらうとして、私が印象に残ったことについて書いておきたい。
それは、「これからの女性のあり方」についてのパートだ。

簡単にまとめれば、これからの女性は「清く・正しく・美しく・強く・賢く」がスローガンになる、らしい。
女性も自分で稼いで、大事な人を守れるようにならないといけない、そのためにはこの5つが大切なんだそうだ。

結論から言えば、私はこの意見に少なくとも賛成である。
女性であることを理由に何かを諦めなくていいとか、自立した人間であろうというメッセージには深く共感する。
昨日のnoteで書いたように、女性だって1人の人間だし、自分のほしいものを自分でつかみとることができる。

だけど一方で思うのだ。
”それは、強く賢くなくちゃできないのか”と…。

強さや賢さが大切なことはわかる。
でも、みんながみんな、それらを身につけられるわけじゃない。
あるいは、元々はもっていても、うまくそれらを発揮できない状況になる可能性もある。

そして、なぜそれらを女に求めるのか。
オーディエンスが女性だったからということもあるかもしれないが、変わらないといけないのは女だけなのか。
男は男で、男は女を下に見ない賢さや、女の状況に想いを馳せる想像力を身につける必要があるのではないか。

この言葉は、私を励ますと同時に、「強くも賢くもなかったら、これからの女は生きていけない」というある種の呪いのようにも感じる。
これでは「新しい女性像」を押し付けているだけではないか。
強くも賢くもない女が、強くも賢くもないまま生きていける、そんな社会であってほしいと思う。

これまで女性には「女らしさ」が、男性には「男らしさ」が押し付けられてきた。
私は、「らしさ」から解放されたい。
その過程でこれまでの「女らしさ」からの揺り戻しが起こるとしても、最終的には、「らしさ」そのものが存在しない世界になってほしい。
女だから男だからって、そんなのもう、お腹いっぱいだ。
あなたも私も人間で、人間だから大変なことがある、それだけでいい。

※この話と直接は関係ないけれど、「女/男らしさ」が社会的に造られたものだとするなら、私たちの心の性(gender)は何によって決まるのだろう。やはり、生まれつきある程度備わっているのだろうか。

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