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自分がコントロールできるのは、自分だけ

昨日の夜、noteを書いてから、よくない方向に心が向かっているような気がした。
他人の行動を、変に厳しい目で見てしまっていた。

例えば、とある知り合いの話。
その人は5月の末に地元に帰る飛行機を予約したらしい。

普段は親しくしているから、その話を聞いた時は、とっさに「ふーん」と言って流した。
でも、そのことを思い出してもやもやしてしまう。

―わざわざ東京から出て行くなんて信じられない。もし自分が感染していて、地元で他の人にうつしてしまったらどうするの。
―こんなに深刻な事態に陥っているのに、5月の末になったら落ち着いているだろうなんて、軽く考えすぎなんじゃないの。

もやもやを抱えたまま、ちょっとした用事で外に出た。
風に吹かれながら歩いていたら、頭がすっきりして、冷静になれた。

いやいや、ちょっと落ち着こう。
わたしに他人のふるまいに文句をつける権利なんてないでしょう。
偉そうにああだこうだと、何様のつもりなんだ、一体。

確かに「感染しない/させない」は今とても大切だ。
でも、「わたしにできること」の中に、「他人をコントロールすること」は入っていない。
コントロールできるのは、自分のふるまいだけ。
「こうするべきなのに!」と他人を責め、コントロールしようと躍起になるのは、やりすぎな気がする。

よくよく思い出すと、2週間くらい前までは、他人のふるまいを激しく非難する人を見かけたら敬遠していたのだ。
気持ちはわかるけど、本人に言うならともかく、わたしに怒りを吐き出されてもなぁ…と思っていた。

そう思っていたのに、自分がそんな状態になってしまうと、なかなか抜け出せないものだな。
なんか、「わたしは正しい側にいる」という変な自信とか、「わたしだって我慢してるんだから、あなたもしてよ」という不平等感とか、よく考えてみると「なんだそりゃ」なものが心の底に生まれつつあったのかもしれない。

深みにはまる前に、抜け出すとっかかりを見つけられてよかった。
たまたまだけれど、外に出てよかった。
慣れているとはいえ、ずっと屋内にいると思考が滞ってしまう。
予防に充分気を付けた上で、外に出る回数を増やした方がいいかもしれない。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。