不安な妄想は、頭の中の映画であり監督は自分である
「明日怒られたら、、、」それは実際起きるかはわからない
布団に入り電気を消して、さあ寝ようという時に思うことがある。
明日に対しての「不安」である。
社会人、学生に関わらず、心配事は山のようにそびえ立っている。
その山は、ビジネスや期末テスト、発表会など様々ある。
その中でも「対人関係」はとびきり大きな山で、私達の前に「どん」とそびえている。
対人関係も、内容で分けたらきりがない。
クレーム客、クチの悪い上司や先輩、教養がぶっ壊れているクラスメイト等々。
こんなにも顔を会わせたくないのに、明日は必ず対面する。
考えただけで不安になるのも当然である。
しかし、この不安から距離をとって考えることで気づいたことがある。
「この不安な妄想は、実際起きていないし明日起きるかもわからない。この妄想は、自分の頭の中だけで起きている」
自ら望んで不安な妄想をしている
妄想は、自分が台本を書いて、演出して、頭の中で配信している。
過去に起きたことを参考に、より演出過剰に作り上げて撮影している。
フィクションだ。
そして、これを見に来ている客は自分だけだ。
不安な自分を再確認したい。やっぱりあの人は嫌いだと確認したい。
心配していることは間違いではないと、自己肯定しているのだ。
しかし、妄想であって確定した出来事ではない。
明日似たような事が起こるかもしれないが、少なくとも今はわからない。
そうであれば、今落ち込む必要があるのだろうか。
なぜ今、嫌いな人のせいで貴重な時間を台無しにされにゃならんのだと。
私達は、自分の時間を楽しく過ごすべきであり、過ごすことができる。
不安な妄想をしていると気づくこと
不安な妄想は、なぜかふと抱いてしまう。
そして、どんどん演出が過剰になっていく。止まらない。
気づく習慣が必要である。
「今、自分は不安な妄想をしている」と。
気づく習慣ができれば、その後「この妄想は確定していない」と思えばいい。
そうしたら、今の時間を楽しいことに使う。自分の好きな音楽を聞いたり、お気に入りのアイスを食べたらいい。
妄想が実現しても、同じ土俵にはあがらないこと
不安な妄想は、考えている時点では起きていない。
しかし、結局似たようなことが起きることがある。
そんな時は、ゲリラ豪雨にでもあったと思えばいい。
ゲリラ豪雨をどうにかして止めよう、などとは思わないことだ。
相手が何を言いたいのかだけに注目する。
それ以外は無視だ、雨が止むのを待つ。
怒鳴った口調、ネトネトした口調、上から目線、全部スルーだ。
それらに対しての指摘や、同じ感情で反論してはいけない。
同じ土俵に立たない。なんだったら誤りの姿勢を出したって良い。
勝ち負けではない。
不安を感じる場所をどう捉えるか
不安な妄想が実現しそうな場所へ、なぜこうも毎日足を運ぶのか。
私も毎日疑問に感じている。
環境を変えるのが一番であり、行動する勇気は大切である。
転職、転校、行動経路の変更等が考えられるが、誰でも「よしやろう」と実行するほど簡単なものでもない。
今、自身の行動パターンは、様々なことを差し引きしたり天秤にかけたりして「自分が望む行動」を選んでいる。
・(希望)転職して満足のいく給料、やりがいを探す。(行動)しかし転職活動が面倒くさいから(結果)このままで良い。
・(目標)猛勉強して志望校へ行く。(欲望)しかしこのゲームはめっちゃ楽しい。(結果)明日もゲームやろう。
自分が望んだ結果に、良いも悪いもない。
環境を変えることが困難であれば、環境に対する考えを変えていけば良い。
今の環境で、ポジティブな点はないだろうか。
・やりがいは無いけど、給料は良い
・給料は少ないけれど、残業は無い
・5限目が終われば、すぐに下校することができる
ポジティブな点を、他のことに活用することはできないだろうか。
余暇活動で、自分を幸せにすることだってできる。
不安な妄想の良い活用
今回は、対人関係による不安な妄想に対して考察をしてきた。
不安な妄想に対して悩むことは無いと散々記載してきたが、悩むことが重要なこともある。
それは「準備」だ。
ビジネスであれば、事前資料の用意、ロールプレイングによる訓練は重要だ。
部活動だって「考えても仕方がないから、いつも練習はしない」なんてことが大切だとは思えない。
不安になる必要は無いが、準備は必要である。
※余談※
災害対策や医療のヒヤリハット活動、これらは不安を考え対策するものだ。
様々な不安をどう捉えていくか。これを考えることは大切であるし、自身の幸せにつながってくると思う。
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