「裏切るは、信じるよりも難し」 -「ラーヤと龍の王国」を観て-
ディズニー最新作がここまで話題にならないのも珍しい。
私の周りでは、「ラーヤと龍の王国」という作品のタイトルを知っている友達を探すことさえ難しい。いわんや、実際に鑑賞した人は皆無である。
コロナ禍で映画ファンを大きく賑わせた「ムーラン」や、社会現象になった「アナ雪」の宣伝には相当力を入れていたのに、長い自粛生活の中でも、この作品のテレビCMは見ることが一度もなかった。
そしてこの作品の「不遇」を最も象徴的に表しているのが
「ミニシアターでディズニー映画をみる」
という初めての体験を私にもたらしてくれたということだ。
好事家の皆さんなら理解していただけると思うのだが、ミニシアターには「なかなか上映できない配給会社」というものがある。
その最たる例が、東宝とディズニー・ピクサー作品だろう。どれだけミニシアターを愛していても、「鬼滅の刃」や「トイストーリー」を観るためにはシネコンに足を運ぶ必要があった。
そんな中で「ラーヤと龍の王国」は、全国のミニシアターで絶賛公開中である。この裏には様々な大人の事情があるはずなのだが、それは一観客が推測して的中できるようなものではないだろう。
前置きが長くなってしまったが、私は、パンデミックの中でひっそりと公開されたこの作品があらゆるディズニー映画の中で一番好きだ。
そこには様々な理由があるのだが、一番は「ナマーリ」という主人公ラーヤのライバルの魅力にある。
細かいあらすじなどはすべて省略するが、ナマーリは、一国を収める王女の娘であり、将来は自ら国を引っ張っていくという、強い誇りと自覚を持ったキャラクターだ。
国の主になるべく英才教育を受けていた幼き日の彼女は、彼女にとって神ともいえる母親の命令によって、なんの悪気もなく”世界の秩序”を壊してしまう。(ナマーリの母国である「ファング」という国は民主主義を採用していないう点から、中国がモデルになっているのではないかと予想してます。)
そんなナマーリの行動によって壊れた世界を救うのが、今回の主人公であるラーヤと、”世界を守る龍”のシスーだ。ここまでだけ聞くと
「ラーヤ&シスーVSナマーリ」
という構図で物語は進んでいくように思えるのだが、この作品は、そこに一つの「ツイスト」を加えている。
それは、ナマーリが「シスーを尊敬(信仰)している」ということだ。
つまり、ナマーリにとって生みの親である母親の命令に従い、国を守るためにラーヤと対決するということは、同時に自分のもう一人の神である龍のシスーとも対立するということを意味するのである。
私はこの設定に震えた。
鑑賞後の多くの人がこの作品から
「信じることから、全てははじまる。」
といったようなラーヤ視点からのメッセージを受け取ると予想する。私も鑑賞後の1時間はその印象を抱いていた。
しかし、ナマーリの視点に立って考えると、信じることの難しさよりも「裏切ること」の切なさと悲惨さの方が大きいのではないかと感じるようになってきた。
幼き日のナマーリは、神である母親に従い、世界を壊してしまった。その頃の彼女(おそらく小学生ぐらい)には、自分のしでかしたことの罪を意識する理性は、まだ育っていなかったのだろう。
しかし、立派な一人の女性として成長した彼女は、自分が無批判に起こしてしまった罪の大きさを知るようになる。悔やんでも悔やみきれない現実に翻弄される日々の中でも、常に彼女の背中にはファングの民がいる。
民を守るためには、自分の罪を正当化し、これから起こす暴力も正当化しなくてはいけない。それがどれだけ自分の「信条」に反するものであったとしてもだ。
ここからは私の推測だが、そんな絶望の中で彼女が希望として捉えていたのがシスーだったのではないだろうか。或る日突然、全てを解決する龍がやってきて、自分の罪もモヤモヤ、全ての負の感情を消し去ってくれるかもしれない。そんな希望を胸に彼女は毎日を過ごしていたと思う。
そんな中で、自分とは真逆の正義の象徴であるラーヤが自分の「神」とともにやってくる。隠しきれない同様の中でも、「民」を守るためには武器をとり、彼らを殺さなくてはならない。
彼女にとってこれがどれ程辛いことなのか、映画を見た人なら理解できると思う。シスーと初めて対面したナマーリは言葉に表せないよう文字通り「感嘆」の表情を浮かべる。誇張になるかもしれないが、神との邂逅からくるエクスタシーを感じているように私にはみえた。
そして、クライマックス直前、民を守るか(神を殺すか)、自らの信条を守るか、究極の選択を迫られる彼女の表情は、もはやアニメーションの域を超えた鬼気迫るものがある。
以上のようなツイストの効いたストーリーと、さすがディズニーとしか言いようがない描写力から、この作品のもう一つのメッセージともいえる
「裏切ることの苦しみと切なさ」
が浮き上がってくるのだ。
たった一つのものを、たった一人の人間を信じ続けることは、非常に難しい。複数の選択肢が出てきた時、人はそこから捨てるもの(裏切るもの)を選ばなくてはならない。
それは何かを信じるということよりも、辛く苦しい行為なのかもしれない。
だが、何かを裏切ることによって、本当に自分が信じられるものに出会えるということも確かだ。
何かを信じるために、何かを裏切る勇気はあるか?
主人公のライバルに注目することで、このような二つ目の問いが浮き上がってくる。この作品は噛めば噛むほど美味しい。だから大好きだ。
最後にもう一度強調したいのだが、ブラックライブスマター、コロナウイルスなどという現在を取り巻く問題への「解決法」を示しているディズニー史上の名作を今なら「ミニシアターで」みれるのだ。ツラツラ述べてきたが今回はこれは言いたかった!!
だから皆様も週末はミニシアターへ。換気も消毒も抜群です!!
⬇︎全国のミニシアターを紹介するインスタをやってます。<掲載館数37>
https://www.instagram.com/niwaka1006/
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