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その人への理解を『諦める』=分断に。『答えが出たと思う』=偏見につながる
100分de名著という、ぼくが好きな番組の『黒い皮膚・白い仮面』で伊集院光さんがこのようなことをおっしゃっていました。
「『諦める』ということは、『この人のことをもう知らなくていい』ということなので、完全な分断だと思うんです。そして、『答えが出た』ということは、そこで『偏見』が完成することだと思う。だから、一番大切なことは、『問い続ける』ことで、『よかれと思って言ったことがもしかしたら傷つけているかもしれない。じゃあ、こういう言い方をしたらどうなんだろうか』と思い続け、自分をバージョンアップし続けることではないか」
あまりの的確な言葉に3回ぐらい繰り返し観ました。
皆さんは、この言葉を読んで何を感じるでしょうか?
問い続ける人間たれ
精神科医で、後にアルジェリア独立運動に尽力した思想家、フランツ・ファノンは、差別を受けた黒人です。人種差別に葛藤しながらも立ち向かった著書。ぼくが携わっている障がい者福祉の分野でもまだまだ同じような課題があるように感じられました。
ファノンは若いときは、いかに白人になれるかを考えて、フランス語を勉強したりしてみるけど差別はなくなりませんでした。そこで精神科医として心理学の面からアプローチを試みたのです。
ファノンの著書の締めくくりに書かれた
「おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!」
という言葉から連想した伊集院光さんの言葉は、その差別が世の中からなくなっていく一つの答えなのかもしれません。
答えが出たと思うことや諦めることは悩みや葛藤を手放して楽かもしれません。逆に問いを持ち続けて考え続けることは、時に大変な行為となります。
だから、辛いときもあるけれど、ぼくは向き合うべきときは問い続ける人でありたいと思いました。
「答えが出た」と思うのは、考えたくないから
福祉分野に進む人であればほぼ必須として学ぶものとして、バイスティックのケースワークの7原則。その1つに個別化の原則というものがあります。
過去の経験や症例から、利用者を類型化せずに、特定の一人の人として個別に対応するというものです。一人一人の物語・ナラティブに寄り添う姿勢が大切としたものです。
「高齢者や認知症だったらこうだろう。障がいのある方のうちADHDだったら、間違いなくその対応でいい。」と学んだことを疑わずに対応する行為。
まさに『答えが出ている』という状態に陥っています。
黒人差別がなくならなかった原因の一つに論文に黒人の遺伝子は劣っているなど答えありきのデータ分析したものが広まっていたからでした。
一つの本を読んだり、誰かの言葉を信じて行動することは指針になる一方で危うさもあることを知りながら付き合っていくことが求められます。
また誰かに伝えるとき、教えるときも同じことを考えなければなりません。
以上、分断や偏見をなくしていくためには、問い続けることが大切だということを自分なりに整理していったことの紹介でした。
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