#あの選択をしたから
noteを書き始めたのは7月中旬から。
8月後半に、初めて「お知らせ」に気がついた。
「あ!こんなんもあるんだ~。」って見たら
「投稿コンテスト」「#あの選択をしたから」
ふむ、ふむ、「#あの選択をしたから」って~、
そりゃ、あるよ。。。
人生は選択の連続だもん。
それよりも、何よりも、私の目には
マイナビ賞の「漫画化」が刺さってしまった!
グランプリよりも、これ!これ!
パラレルワールドの私は
これを求めてたのよ~~~
1つ目の選択
①会社を辞めて調理師学校へ
10年務めた不動産会社を辞めて、料理教室を始めることにした。
不動産事務の仕事は好きだった。
宅建の資格も取った。でも、2~3年もすると飽きてしまった。
営業職に変わろうかと思ったけど、体力的に自信がなかった。
当時はまだPCの無い時代。
仕事の内容の合理化を考えだしたんだけど~、
考えていることが実現すると、本社に正社員2~3名を置いて、
後の営業所はアルバイトでOK!
って事になっちゃう。。。
私も本社へ異動にならないと、クビじゃん!
なので、それを考えるのは止めた。
勤めてる会社は好きだったけど、転職を考えた。
「年取っても良い仕事は何?」って考えたら
「先生業!」と思った。
その当時、伯母の自宅料理教室は大盛況で
生徒さんは100人以上いたし、順番待ちの人が溢れていた。
そんな様子を見ていたので
私も「料理の先生になろう!」と思った。
で、仕事が終わってから、
駅前の料理教室に習いに行った。
取り敢えず、基礎クラスに入ったら~!
今の私でも教えられるレベル!
もう1つ上のクラスに入っても、
「あ~、このレベルなのね!」と思った。
結婚前に料理教室には通っていたから、勝算はあった。
それで、会社を辞めて調理師学校へ行った。
調理師専門学校の1年間は、大変だったけど
メチャ、メチャ!楽しかった。
あっという間の1年間だった。
そして、自宅で料理教室スタート!
第1号の生徒さんは、会社時代の後輩。
「教室を始められたら、絶対に行きます!連絡ください!」
って、言ってくれたカワイイ後輩!♥!
リップサービスと思っていたが、本当に来てくれた。
しかも、友達も連れてきてくれた。
嬉しかった。有難う!本当に感謝!
しかし、生徒さん集めの手段は紹介だけ。
場所は住宅街で、犬の散歩の人しか通らない立地。
当然、生徒さんは集まらない。
今、考えたら当たり前じゃん!
まだPCの無い時代。
伯母の料理教室が大盛況だったのは
伯母が社交的な性格で、
教室が一種の社交場にもなっていたから。
SNSが無い時代でも大繁盛してた。
ん~。。。
この選択!
収入的には大失敗だった!
が!コレで終わったら
この選択が失敗になってしまう。
失敗で終わらないように、
最後が成功で終わるように、
続きがあればいいのよ。。。
②ここでレストランができるじゃない!
ある日、不動産会社勤務時の同僚が遊びに来た。
昼食を手料理でおもてなしすると
彼女は「ここでレストランができるじゃない!」と言った。
③まったくやる気なし!
えー!そんなこと出来ない!
知らない人を家に入れるのも嫌だし~
私にとっては
「まったく、やる気なし!」の提案だった。
④やったら、え~やん!
その日の晩、帰宅した夫に
「今日、Tさんが遊びに来て、こんなことを言われた」
と言うと、夫は
「やったら、え~やん。」
「え!え!え~~~~!!」
予想外の展開!
夫は絶対に反対するタイプの人間。
後日、「なんで、あの時、あ~言ったん?」
と訊くと「なんでかな~」
夫の正体はカメレオン!
と知っていたが、今もって理解できない。
夫からの返事を聞いて、私までおかしくなってしまった。
今までの私なら、絶対に乗らない提案。
当時、わが家にもPCが登場した頃だった。
「自宅レストラン」をネット検索すると、関東地方の2世帯住宅で
予約制のランチレストランをやっている人を見つけた。
その人に「教えていただけませんか?」とメールしたら、
すごく親切にいろいろなことを教えてくれた。
それで、私も前向きに考えるようになった。
ついでに言うと
すでに料理教室のHPも作ってた。
暇だったから。。。
当時、自宅の料理教室でHPがあるとこなんて、
かなり進んでた方だと思う。
このHPの存在が後で効いてくる。
そんな時、高校の同窓会があった。
同級生が占い師になっていた!
え~!なんで!なんで!
と思う暇もなく、私の話を聞いた彼女は
「むいてるよ!」
「この日とこの日が、開業のスペシャル3重マルday!」と言う。
え~!なんで!なんで!
どういう展開なんだ?!これは!
目まぐるしく展開する事態に呆然とする私。
しかし、何故か、開業へと向かっていく流れ。
2つ目の選択
⑤予約制ランチ・レストラン
え~~~~!!
私の人生で、想定外の展開!
飲食業許可をとり、料理教室と並行して
予約制ランチ・レストランをするなんて。。。
自分でもこの展開に戸惑うばかり!
だけど、そういう流れに乗ってしまった。
何とかしなければならない。
でも、具体的にどうしたらいいかわからない。
ある日、市の広報誌で「商工会議所の女性起業塾」
の募集記事を見つけて参加。
農家の自家用無農薬野菜を仕入れて売っているKさんが
「農家の自家用無農薬野菜、そんなに高くないから使ってみて。」と言う。
話はさかのぼるが、
以前にNHK「今日の料理のコンテスト」に応募したことがある。
飛騨高山で買ってきた山菜などの食材を中心にして
「飛騨高山の思い出」と言うテーマで松花堂弁弁当にして応募。
これが一次審査を通過。二次審査で落ちたけれども、落ちた理由が
「野菜ばっかりでパンチがなかった。肉や魚料理が欲しかった。
盛り付けもきれいだし、味付けも良かったけど。」と言うものだった。
私には、そんなパンチのある料理よりも
野菜メインの胃腸に優しい料理が向いてるんじゃない?
それならそれでいいじゃない!と、
その時、思った。
そこにKさんの農家自家用無農薬野菜の話が来たので、
食材はKさんの野菜をメインに使うことにした。
保健所から飲食業許可も出た。
コンセプトもだんだん決まってきた。
・野菜料理がメインのランチ
・食材は農家の無農薬自家用野菜
・地産地消(旬の地元野菜):兵庫・大阪・京都辺り
・お客様の健康を願う小豆粥(赤は邪気を払う)
・探しても行ってみたい店(立地が住宅街なので)
・HPも料理教室から自宅レストランにリフォーム
・予約のみの営業
・ランチだけ
・月1回のイベント「占い付きランチ」
等々
月1回のイベント「占い付きランチ」は
あるメルマガで「占いカフェ」と言うワードを見て
これにビビビッ!ときてしまった。
高校の同級生の占い師に「占いカフェ、やってみない?」と言ったら
「いいよ!」と言ってくれた。これは後に大ヒット!
「占い付きランチ」の予約は6か月先まで詰まった。
そんなこんなで、
「予約制ランチ・レストラン」を開業してしまった私。
が!当初は誰も来ない。。。
あ~、この選択は失敗だったのか???
いやいや、始まったばかり!
まだ終わってない!
これからだ!
開業して間もなく、保健所から
「兵庫県食の健康協力店がスタートするから、皆さん登録して」
とのお知らせ。お客様も来ないし、暇なので
申請書に「お客の健康を願って小豆粥(小豆の赤は邪気を払う)」
とか書いてFAXしたら、兵庫県の登録第1号店となった。
立派な登録証書の授与式もしてもらった。
またある日、大学の同窓会へ行ったら、同期生から
「私、コピーライターやってるから、記事にしてあげる。」
と全国20万誌のシャルレ(女性下着)のお客様広報誌に掲載してくれた。
後日、遠方からのお越しのお客様はその掲載紙を見てのご来店~♥~
HPも作ってて、本当に良かった。
HPを見て、東京や九州など遠方からもお越し頂いたし
ワシントンから来てくれたお客様もいた。
HNK「ぐるっと関西おひるまえ」でも放映された。
取材記者さん曰く、「芦屋の自宅でやっているお店特集で、最後の1件が見つからない。料理教室なら自宅でやってるのでは?と検索したら私のHPがヒットした。」とのこと。
約20年前、HPがある個人の料理教室は珍しかった。
その後も、
・朝日放送のお昼のワイドショーで放映
・サンケイリビング新聞(阪神版)のコラムに掲載
・雑誌「神戸阪神間 101軒」に掲載
・サンテレビで放映
詳細は忘れてしまったが、
いろいろと放映・掲載して頂いて有難かった。
TVは放送中から予約の電話がバンバン入ってくる。
放映日から1週間で3か月分の予約が詰まった。
予約が少なくなって来た頃、また次の取材や掲載に恵まれて~
この時、「運気」と言うものを感じた。
2つ目の選択の結果、私の世界が広がった!
⑥想定外の展開!
上がる運気があれば、下がる運気も有る。
メディアの取材も途切れ、次第にお客様が減ってきた。
それに開業3年目の夏、私はひどい寝汗に悩まされた。
「夏とは言え、異常!」と思った私は、漢方相談へ行った。
それから、お客様を観察してると
「夏でも冷えているお客様、冬でも暑いお客様がいらっしゃる」
のが気になっていた。
そんな時、ネットで「薬膳料理」という言葉を見つけた。
興味津々で「薬膳料理、習いたい!」と思ったが、
当時、関西で薬膳料理教室は見つからなかった。
しかし、ついに見つけちゃった!
東京の国立北京中医薬大学日本校(現・日本中医学院)の薬膳科!♥!
運命の出会いだ!
関西在住の私、「東京なんて行かないよ!」と思ってたけど、
気になって仕方がない。漢方薬局の店主に
「ここの学校をご存じですか?」と訊いたら
「すごくいい学校です!」と言われたので、見学に行くことにした。
新幹線に乗って見学に行った私は、、、
ハマってしまった。
「東京なんて行かないよ!」と思ってたのに。。。
3つ目の選択
⑦国立北京中医薬大学日本校(現・日本中医学院)
5年間やっていた「予約制ランチ・レストラン」を休業して
国立北京中医薬大学日本校(現・日本中医学院)で
1年間、薬膳の勉強をすることにした。
⑧全然、理解できない!!
最初の3ヶ月、「中医基礎理論」の授業は呆然と聴いてた。
「中国の古代哲学」「陰陽五行」「気血津液」
全然、理解できない。
しかし、学校では同期生に恵まれ、
本当に皆によくして貰ったので、学校は楽しかった。
けど、相変わらず勉強は分からない!
次の3ヶ月。「中医診断学」でも
「え!医学?」「ええええ~~~~!!!」
「医学!私には無理!無理!」って感じ。
しかし、何故か、もっと知りたい!
分からないのに、もっと知りたい!
知りたい!知りたい!知りた~~~い!!!
⑨国際中医薬膳師、合格!
11ヶ月目に勉強のコツが分かって
最後の1ヶ月の頑張りで「国際中医薬膳師」の資格を取った。
合格したけど、まだ分かってない。
もっと知りたい!もっと知りたい!
それで、さらに3年間
中医中薬科(漢方薬の勉強)で勉強することにした。
それで、料理教室だけ継続して
再開予定だった「予約制ランチ・レストラン」は廃業。
しかし、勉強について行けるのか?
学費は工面できるのか?
体力はもつのか?
不安だらけ。
しかも、親しかった同期生は皆、1年で終わり。
「次の3年間の中薬科へは行かない」と言う。
え~!!!
寂しい、悲しい。。。
でも、私は知りたい!
「皆が行かなくても、一人でも行く!」
と宣言して、学費も振り込んだ。
そしたら、6~7人の同期生が「やっぱり行く!」って
追随してくれて、本当に嬉しかった。
⑨国際中医師、合格!
次の3年間は、薬膳科の5倍以上の内容で覚えること満載!
最後の1年間は皆、ウツっぽかった。
私も薬膳科の勉強は自力で覚えたけど
中薬科の内容は覚えきれない(>o<)
そこで暗記セミナーにも行った。そしたら
そこで、また素晴らしい先生に出会った。
そして、「国際中医師」の資格も取って卒業。
半年おいて、研究科にも1年間通った。
⑩貯金が尽きた!
結局、東京へは5年間通い、
もっと勉強したかったけど
ついに貯金が尽きた。。。
⑪神戸中医学院の師範になる
最後の授業で、お世話になった中国人の先生に
「今日で最後です。お金がなくなりました。有難うございました。」
と御挨拶したら、
「北京中医薬大学時代の同級生が神戸にいるから、紹介してあげる。」
と紹介してくださった。
そのお陰で、神戸中医学院で勉強を続け、
8年目で神戸中医学院の師範になった。
薬膳の勉強を始めて12年目、
「先生になろう!」と思ってから27年目だった。
1つ目の選択は失敗ではなく、成功になった!
4つ目の選択
⑫コロナ禍でオンライン講座へ
2020年、コロナ勃発!
リアル講座が出来なくなった。
もう受講料も頂戴してて、
「今週から講座スタート!」って時に
「学校も休校!」
え~~~~!!!
これは講座をやってる場合じゃない!
取り敢えず、延期。
延期してる間に、なんとかしなければならない。
世間では、Zoomとか、オンライン講座とか言ってるけど
どうすればいいのか、全然、わかんない。。。
なので、オンライン講座を受けまくった。
その結果、今ではストアカの
(教えたいと学びたいをつなぐまなびのマーケット)
プラチナバッジ講師になっている。
⑬最後に
どんな選択をしても、
成功するまで、続ければいいのよ~★
でも、成功するまで続けられたのは
いつもいつも、誰かがサポートしてくれたから!
本当に感謝!感謝!感謝!
いつもいつも、有難うございます。
⑭最後の最後に!
実は、パラレルワールドに
もう1人の私がいるの!
もう1人の私の選択は?
それは、To be continued…
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