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自分で決めて進んだら「自律」だよね。

「キャリアを考える」「キャリア自律」っていう言葉が、なんとなく、「自ら意欲的に計画的にステップアップしていく」風のイメージになっている気がしてもやっとする。

それは、生産性を高めたり成果を高めたりしたい、社会や会社側が希望するイメージだとも思うし。

「勉強がんばって成績あげてよい偏差値の学校に行くのがよいこと」に近い、「がんばってスキルアップして昇給昇格していくのがいいこと」みたいな、ステレオタイプなイメージだとも思う。

別に、そこを目指したい人だけではないのに。

ステレオタイプ的なキャリアをイメージしてそのとおりに進むのだけが「キャリア自律」ではない。
仕事にやりがいをもって、自らスキルアップもがんばって、どんどん大きな成果を出して、っていうのだけが理想ではない。
それぞれに、理想の働き方があって、その中でどんな仕事がどんな風にできたら理想なのかは違う。

仕事は最低限で、プライベートに全振り、って決めたっていいじゃん?
お金のためだけに仕事がんばるけど、やりがいは仕事以外で、っていうのでもいいじゃん?
そう決めるのだって、自分で決めてそのとおりにしているなら「自律」だと思う。

今の業務をそのままやるって決めたっていいんだし。
全然やったことない業務をがんばるって決めたっていい。
希望して担当してるのでも、希望せずに担当してるのでも、それをやると決めてやるならそれでいいと思うし「自律」だと思う。

ただ、こうしたいと思ってもすんなり希望どおりになるわけでなくて、こうするって決めたようにするために、何か考えたり選んだりが必要になることも多い。

たとえば、スキルアップしないとできないことなら、スキルアップがんばるか、諦めて今のままなのか、などの選択になる。
理想のイメージにはリスクがある可能性があるなら、リスクをとるのか理想をとるのか、リスクを軽減させる何かを考えるのか、など選ぶことが出てくる。
いくつかの希望の条件が両立できないなら、何を優先させるか何を落とすか選ばないといけなくなる。

そういう、実際どうする?っていうのが考えて進められるようにしたいよね、ってところを自分主体で考えられたらいいと思うし。

逆に、別に希望とかないし何も考えなくてもいいや、って思ってても、考えないことでリスクがあるデメリットがあるって知ってたら考えたのに!ってあとで思うくらいなら、リスクやデメリットないか考えてからどうするか決めた方がいいよねって思う。

そういう、考えなしでも適当でもなく、自分なりに考えてみた上で、決めて進もうとできたら、「自律」して考えられてるってことだと思う。

これだ!っていう理想のイメージが浮かんだら、それに向かって進むと決めたらいいかもしれないけど。
今考えられる範囲で考えてみて、少なくとも今の時点ではこうしようって決める、でいいと思う。

今はこう決めた、決めたようにやってみる、そのまま進む、考え直す、みたいな、ひとつひとつでもいいから、自分で選んだ実感もってできたらそれでいいと思う。
ステレオタイプ的な内容でなくても、先々のことまででなくても、自信なくても迷ってても、ちょっとずつでも考えて決めて、「自律的に」動いていけたらいいのだと思う。

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