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大学入試数学をメタる方法を全て言語化する - 誰も教えない(教えられない)当たり前の真実

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はじめに

これは大学入試のお話。

この辺の話が大前提。

この辺の話とちょっと被る。

これも多少補足になる。

後で『コアレクチャー』として紹介するが、念の為にこれも先に貼っておく。

ある程度動画で話してきた内容ではあるが、数学の勉強法に焦点を当て、改めて整理してテキストに起こしたものを、ここに置いておく。動画の内容を十分に消化できていれば読む必要はないかもしれないが、一応、古いデータのコピペではなく今回新しく書き起こしたものである。そして、具体的に即真似できるような勉強法指南でもないことをあらかじめ述べておく。これは本質を追求するための言語化である。読んだからと言って数学ができるようになる目的では書かれていない。安直な期待はしないように。

ではいこう。

数学は暗記か

かつて「数学は暗記だ」という言葉が流行った。その発信源は和田秀樹氏であろう。受験業界に与えた影響を考えると、その功績は大きいと思う。とても大きいと思うが、でも、ここには表現をキャッチーにするための嘘が含まれている。和田氏は自分でわかった上で敢えてその表現を取っているのだと思うが、「宣伝」として許せるギリギリの「嘘」だと思う。嘘ではあるが、その表現のインパクトの大きさ、そして、正しいかどうかよりも、その表現を広めることによる効果の大きさを考えると、ギリギリ「許せる嘘」である。

世の中には「それ」をよくわかっていないまま、言葉だけを鵜呑みにして実行している人たちがたくさんいる。それが、受験生ならまだしも、指導する側にもたくさんいる。いったい何が本当で何が嘘なのか。受験生のために、明確にしてあげられたら、と思う。

数学は暗記ではない。

まず、質問から入ろう。

Q1「野球は暗記だ」と言われたら、皆さんはどう感じるだろうか。

おそらく「ルールは暗記しないといけないけどそれだけで野球はできないから暗記じゃない。体を使って練習するのが大事」というように感じる人がほとんどだろう。

じゃあ
Q2「バッティングを体で覚える」という表現は「バッティングを暗記する」という表現と同じか。

これも「経験を体に染み込ませるということと頭で覚えることは違う」ので同じではないということになるだろう。

では、最後。
Q3「バッティングに脳は使っていないのか」と聞かれたら。

さすがに、わざわざこんな聞かれ方をしたら「脳は使っている」と答えるはずだ。

さて、一つ一つほぐしていこう。「暗記」という言葉の定義を明確にしないと、数学が「暗記」と言えるのかどうかの判断ができない。だから、野球という比較的わかりやすい一般的な例をもってきた。例えば、野球をしたことのない人にバッティングを教えるとしたら、どうするだろうか。

(1)バットの持ち方を教える。

(2)構え方を教える。

(3)振り方を教える。

基本はこれだけのはずだ。実際に、野球を本格的に始めるなら、各々にあったフォームを微調整したり、球種に対する対応の仕方を覚えたり、他にも「覚える」べきことはたくさんあるだろうが、究極にシンプルに言えばこれだけのはずだ。

で、とりあえず初めてバットを持つ人間が打てるようになるためにすること。それが素振り。何度も同じ動作を繰り返して、動作の再現性を高め、効率を上げる。素振りによってバッティングに必要な動作を手続きとして「暗記」している。そう表現しても大きくは間違っていないだろう。「体で覚える」という表現は、運動の記憶を指す。運動が記憶されると、手続きが自動化されてゆく。ある程度自動化されてくると、さらに意識するポイントを増やして「素振り」することができる。そして、実際にピッチャーの投げる球を打つ練習をする。そうすると、また意識すべきポイントがたくさん出てくる。内角外角高め低めなどのコースやスピードの緩急についても打ち分けるために意識すべきことがたくさんあるはずだ。ここが自力で数学の問題を解くための最重要ポイントとなる。バッティングという運動に関する訓練においては、このポイントを全て言語化する必要はない。準備としてはある程度言語化して訓練することに意味はあるかもしれないが、実際の試合でいちいち全てを言語的にチェックしながらバッティング動作をすることは不可能だ。しかし、日々の訓練において、あらゆる場面を想定してその一つ一つについての対処をシミュレーションすることで「身体言語」つまり「動作」の記憶を作っておくことは絶対に必要なことだ。それが、数学学習において、「解法をインプットしたら演習してアウトプット」などと言うときの、アウトプットにあたる部分である。

バッティングにおいて基礎訓練といえば、同じコース同じスピードの球を何度も打つことだろう。バッティングセンターに行けば練習できる。実践訓練と言えば、様々な球種を織り交ぜて対応力を高めることだろう。より実践的に練習するにはちゃんとピッチャーと対峙して練習するのが一番。それを数学学習と重ねたとき、どういう対応になるか。

入試数学における基礎訓練が解法暗記であることには疑いの余地はない。理解が伴っていないと無意味なので自分で解答を読み解く自信がなければ独学は勧めないが、解答をちゃんと読み解けるのであれば独学可能だ。

この時点で、まず一つ目の問題点が挙げられる。例えば、バッティングの基礎訓練として素振りをするとしても、最小限の筋力や体力は要る。それがないと、疲労感との戦いに終始することになり、とてもフォームを固める練習にならないだろう。そういう場合は、並行して筋トレや走り込みなども必要になってくる。つまり、そもそも筋力体力に相当する基礎力がなければ、数学学習も成立しない。

数学における筋力体力に相当するものが何を指すのかはなかなか難しいが、集中力およびその持続力が根底であろう。それはつまるところ、ちゃんと数学学習に興味を持てているかということであり、数学の基礎理論を頭に構築できているかということである。基礎体力とは基礎理論に対応する。

基礎体力作りとして、基礎理論を頭に体系化するという感覚を持って欲しい。『コアレクチャー』という動画教材を作って僕のYouTubeチャンネルに置いてあるので、それを見てもらえば何を言わんとしているのかはわかってもらえるかと思う。

まずこの部分をしっかり詰めておかないと、標準問題の解法暗記さえ雑なものになってしまう。筋力も体力もない人間にひたすらバットを振らせても、ロクなフォームは身につかない。それを理解しよう。

とは言え、基礎理論を全て固め終わるまで問題演習をストップしていては、勉強が進まない。基礎理論固めと標準問題の解法暗記は並行して進めるべきだろう。要は、バットの素振りだけをするなということで、走り込みも並行して実施すれば、素振りをすること自体はプラスになってもマイナスにはならない。

そこまで終えるのが、ひとつの山場である。

大学入試数学においては、このレベルに到達しているかどうかが、基本的な学習が終わっているかどうかの目安になる。だから、ほとんどの大学学部において、基礎理論の理解と標準問題の解法暗記までを終えていれば、十分に合格点をとることができる。

しかし、一部の難関大学と言われている大学学部入試においては、もうワンステップ、対策が求められる。

標準レベルを超えた問題に、初見で試験時間中に対処するということだ。つまり、基礎訓練だけでなく、しっかり実戦形式でプレイの仕方を覚えろということだ。

はっきり言って、まともにこの部分の対策ができている受験生は稀である。

日頃から僕の話を聞いてくれている人はわかっていてくれると思う。

単に問題を数多く解き散らかせば、それで対策になるのか。

そこに疑問を持とう。

標準問題の解法暗記までは、一定の問題数を効率主義でこなす勉強が正しい。

その先には、効率至上主義を捨てねば到達できない。

つまり、入門にはシンプルに効率が求められ、卒業にはせっかく身につけた効率を捨てる覚悟が求められる。

効率至上主義で突き進んできた学生が突然効率を捨てるというのは、なかなか勇気が要る。これは、自身でその効果を実感しない限り、認めることはできないかもしれない。ただ、僕自身を一応、そのサンプルとして提供する。

僕の場合

僕は大学受験を都合二度(回数的にはもう少し多いが)経験している。一度目はほぼ数学ゼロ勉のまま乗り切った。二度目にはゼロからかなりの対策を施した。二度目の時の話をしよう。

知識がほぼゼロの状態で『一対一対応の演習』という標準レベル+αの有名な問題集に手をつけた。皆がそうしていたからだ。疑問点を残しながらシリーズを半分ほど進めたが、あまり数学力に直結している実感が湧かなかった。そこで、皆と同じやり方をするのをやめ、自分が最も気になる部分である基礎理論を徹底的に解説してくれている参考書(とても良い本だったが現在は絶版で手に入らない)を読んだ。この判断は、僕の受験勉強の中でも、最大の転換点となった。問題演習ではなく、理論の解説をとにかくひたすら徹底的に読み込んだ。その上でもう一度『一対一』をやり直すと、吸収される知識が何倍にも何倍にも膨れ上がった。同じ文字を読んでいたはずなのに、理論体系がない状態だと、情報の読み落としがそれほどまでに激しく発生していたのだ。

基礎体力のないまま素振りをしてはいけないのだ。わかるだろうか。理論という骨格を持たない者が、ただひたすらに演習を積み重ねても、何も「身」につかない。量の問題ではないのだ。そういう無責任な管理指導をする塾があるが、気をつけて欲しい。

そして、理論を踏まえて『一対一』を潰し終えると、標準レベルの問題は確かに解けるようになった。全く完全に知識ゼロからであったが、そこまでは容易に到達できた。ちなみに、一般には『一対一』よりは『青チャート』をオススメする。いわゆる「大学への数学」シリーズは解法のクセが強い。

そして、僕がこの段階でどれくらい点数が取れるようになったのか。

確か、東大型京大型の模試で数学の点数が60/120くらいだったかと思う。東大理科三類ないし京大医学部を目指すには全然心許ない。

そこで、予備校にて難関向けの講座をいくつか取り授業を聞いてみた。「勉強法」として参考になる部分は多少あったが、決定的なものは得られなかった。

が、ある日、突然「気付き」が降りてきた。難しい問題の解法をずっと考え続けていて、特殊な発想を思いついた瞬間、「あっ」と声が出た。以前にも似たことがあった。デジャヴュのような感覚に襲われたのだ。

あ、そういうことか。

一見突拍子も無いと思われる発想が降りてくるというのは、思考形式としてはアブダクション(仮説形成)と呼ばれるものに近い。論理的に演繹して答えを導くわけではあるが、難問と呼ばれる入試問題は、素直に演繹できないので難問なわけだ。どうするか。

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