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観客論グッズ、販売します。

結論はタイトルの通り、観客論グッズを販売するという事です。
とは言え、端的に観客論グッズと言われても、ほとんどの人が「観客論グッズ?」「いや、そもそも観客論って何よ?」と疑問を持つはずです。ですので、ここでは「そもそも観客論って何よ?」から何故今回観客論グッズ販売に至ったのか、書いていこうと思います。少し長くなるかもしれませんが、皆さんなりに楽しんで読んでもらえれば嬉しいです。

何故「観客」なのか?

私は小学生の頃からバレエを通じて舞台に触れていた。今も昔もバレエの何が好きだったのかはあまりハッキリ分からない。それでも発表会の時の舞台裏や本番中の高揚感は自分にとって特別なもののように感じていた。楽屋で待機中にお衣装を直したり、ただおにぎりを食べているだけでも、いつもとは違う感触があって、そんな感覚を覚えていたからこそ、ダンサーになれずとも舞台に関わっていたいと高校生の時に考えたのだろうし、今でも小屋入り中や他の人の舞台の仕込み、バラシでさえも特別なもののように思えるのかもしれない。
昔はバレエやダンスだった私の主戦場は、今ではすっかり演劇に様変わりした。そもそも演劇というフィールドからも逸脱していると言われてもおかしくない場所にいる。それでも私は一貫して自分の作品を演劇や上演として捉えているのは、自らの作品が観客なくしては始まらない事を強く意識しているからだと思う。その意識は小学生の頃から経験してきた舞台での感覚や学部時代に企画演出した演劇作品などの上演経験から生成されたものだろう。

しかし、私は天邪鬼なので、「観客」という存在がなくてはならないものだと思う一方で、疑問を持つ事も多々あった。端的に言えば「何でこの人たち(観客)はこんなに偉そうなんやろう?」と思う事が多かったのだ。勿論、演劇作品を見に来てもらう事はチケット代を払って、作品を見てもらう事である為、作品は観客に対して何かしらのメッセージや気付きや体験を与えなければならない。それが舞台における作り手側と観客の関係における大前提だ。しかし、作り手側がいくら観客に対して1から10まで作品を丁寧に説明したとしても、観客がそれを100%受け入れるかと言うと、そうでもない。学生時代に何度か自らの作品を上演したが、その時に作品を通じて何を受け取って、何を受け取らなかったかは、結局観客自身の問題になってくる事に気付いた。
そりゃそうでしょうよ、と言われてもおかしくない結論にたどり着いた私だったが、それでも観客という存在を割り切って考える事が出来なかった。それはきっと観客(という名の人間)が大好きで、心の中ではまだ諦めが付いていないからのように思う。その分、観客(という名の人間)が嫌いでもあるぐらいに。

観客論とは

結局、私は人間が好きなのだろう。
別にこんな事を考えなくとも、ハッピーに楽しく暮らせたら、それで良いんだけど~と考えていた矢先、大学院の同級生の勧めで手塚治虫の『火の鳥』を読んだ。とんでもないスケール感に圧倒されながらも、読んだ本を棚に戻す度に、まだまだ作られた作品が何倍もある事に愕然とした。『火の鳥』では、どんどん人間が死んで、他の生き物が文明を作っていく様子とそれが何度もループしていく。その時に、人間が死んでも世界は終わらない事に気付いたし、その発見が私にとっては相当嬉しかった。

観客論は一般的な見解で考えると、その劇場(または上演、展示会場)に来る観客について考える学問と言える。だからこそ、その劇場の役割や特性を考える劇場論、そしてその劇場がある街そのものを考える都市論があって、初めて観客論を考えることが出来る。
既に存在している「観客」を考える文脈としては、社会学をベースに作品を作ったベルトルト・ブレヒトや、その流れを踏襲した高山明などが演劇の世界にいる一方で、アートではニコラ・ブリオー、ジャック・ランシエール、クレアビショップあたりの敵対と関係性の美学、それらに関連するようなソーシャルを扱った作品なども文脈の一つとして挙げられるだろう。
そんな中で私はどこにいるのかが問題なのだが、強いて言うならジャック・ランシエール、クレアビショップの「能動的な観客はいかにして作られるのか?」という問題意識を共有しつつも、考え方としてはジル・クレマンやレイチェル・カーソンのような植物、生物的な流れが強い。もう少し端的に説明すると、私は「観客」を社会学ではなく、人類学生物学的に考えようとしているのだ。だからこそ、先ほど長々と列挙した既存の文脈には当てはまらない可能性が大きいし、むしろこれから私や世界や社会が、どんな流れで自らの観客論を構築していくかが試されている場所に、私は今いる。

私は、単純に作品と観客の話をしているのではない。地球上に観客がどのように存在して、人類が絶命するその日までどのように生きていくかの話をしているのだ。それはもう「観客」とは言えないのではないか?そんな指摘もあるだろう。何故なら、私は情報を受け取るだけの従来の「観客」の意味を更新し、それぞれの力で豊かな世界を作っていける観客を自らの作品を通じて増やしていく方法を考えているからだ。つまり、これは観客論といいつつ、内容的には脱観客を考えているものである。
そこで私は、先ほど述べた新たな「観客論」を元に、自らの実生活での発見や作品上演を考えようとしている。それは世界の為と言っても良いかもしれないし、その世界を作り上げる自分自身が豊かに生きていくためとも言える。最終的には人類滅亡の時、最後に生き残った人間が絶望して死んでいくのではなく、植物や生き物と楽しんで生きてもらえる事を目標に、自らの生活や創作活動での発見や経験を観客論として構築させている。

私は現在、田舎の集落にある古民家で暮らしている。昨年、修士論文を執筆した過程で知ったジル・クレマンやレイチェル・カーソンの世界や、ベランダで育てていたメダカから得た生き物達の循環に私もどっぷり浸かりたい!と思って実家である街中のマンションから今の場所に移住した。昨年は飼っていたメダカやウーパールーパー達から観客論を考える事が多かったが、今年に入って移住先の集落全体が観客論を考える題材へと変化した。
これがまた面白くて、昨年までは人間が直接的に観客論の題材にならなかった事とは一転、集落にいる住民とのやり取りやアルバイト先の農園の人達が題材となっている。隣に住むおばあちゃんが私の名前を呼ぶ声で私は目を覚ます事さえも、立派な観客論の1つになるように。
街中で暮らしていた時以上に、私は自分を剝き出しにして生活している。自然は常に有無を言わさず私たちに結果を突き付けるし、集落の人達は人間である以前に動物である側面が強い。そして私もその一人になりつつある。
些細な音の強弱の違いで日常的でないものを察知し、集落で見たことがないような人がいると、ジッと観察してしまう。街中では5秒以上人を見つめる事はないが、移住してしばらく経つと人をジッと観察する事に抵抗がなくなった。私の個展を集落で行った際、アーティスト仲間を集落の人がジッと観察する様子が何度もあった。それを見て、「なるほど、こういう事なんですね」と実際に来てもらった人が体感する場面に居合わせた。私が移住した当初も集落の人にジッと見られることが多かった。すごく見られてるな…という意識が強かった為、それが街中とは異なる身体性故のものである事を後から知る。これがいわゆる田舎における過干渉や監視されている、と言われる原因なのだろう。しかし、家の周りで何かが起こった時、「誰かが」対応してくれる訳ではなく、「自分で」対応する必要がある。だからこそ、少しの違和感や些細な違いから身の回りで起こっている変化に気付き、行動を起こしていく必要があるのだ。勿論、外の人からしたらそのような光景は変化を嫌っているから、と受け止められるかもしれない。しかし、田舎もそう簡単にはセピア色の化石化しない事も事実で、単純に変化のスピードが少しばかり遅いだけなのだ。たまに見る田舎の移住に対するネット記事の論調も、まぁ街中の人は田舎をそう見ていたいからだよね、と思えるほどに、実際にどっぷり浸かると、そこは白でも黒でもないグレーな世界である。

畑仕事も行うせいか、今まで以上に「自分で」色んな事を行うようになった。私はまだヒヨコほどの経験値だが、周りの人の様子を見ていると、物事の特性をよく見つめて、様々なことに転用応用を利かせている。お米や大豆の枝を使って、ネズミは綺麗な巣を作るし、きんぴらはごぼうだけに適用されるレシピではない。アイディアが大事であることはずっと前から知っていたが、実際に納得したのは今年に入ってからなのかもしれない。
私はまだまだ草木の事も、空からどうやって天気を読んでいくのかも、美味しい漬物の作り方も、知らないことだらけだけど、農作業を通じて自らの無茶がそのまま死に直結する事を実感してからは、自分の心や体に素直に生きる事を心掛けている。そしてそれが周りの環境や自然とリンクしていく事もまた新たな発見だった。
相変わらず、集落の人は周囲の状況に対して敏感で、かなりアンテナを張り巡らしている。見られているなぁ、と感じる事もあったが、実際に住民の人と挨拶をしたり、お話をしたり、関わっていく過程で、見られているけど私も見ている感覚に変化した。見るー見られるの1方向だけでは、堅苦しい気持ちが募るばかりであったが、見るー見てるの相互作用だと考えるようになってから、私の気持ちは軽くなったし、すごく自由になったように思えたのだ。

こうして私は世界に対して関与し続けることで、(地球を含めた)世界の観客であろうとしている。しかし、世界と言うものは誰かが決めた定義で成り立っているものではなく、自らの感触から得たものからでしか判断できない。だから、世界は私が作るものであり、その為には私が私である事が大事なのだ。以上のような概念を私は観客論の手段として「絶対的私」と言った。

観客論グッズ作りました

過去に、先ほど紹介した「絶対的私」を用いてTシャツやパーカーなどを作りました。(現在も販売中)

「絶対的私」という言葉の強さ故か、様々な人から色んな反応を頂きました。当初はそれで嬉しかったのですが、田舎に移住し、しばらく生活していると、私達は自然や環境など影響を受け、流動の中で生きている事を実感しました。たぶん自分の意志で行動している事はなく、全てが流動の中で生きているのではないか?と思った時に昨年考えた「絶対的私」の定義を更新しなければならない気持ちになりました。それでも尚、「絶対的私」という言葉が存在していて、その子がいよいよ独り歩きを始めそうで、どうしようか、怖いなぁ…と思っていた時に、そもそも「絶対的私」は観客論の手段の一つであったことを思い出しました。

そうそう!私は観客論をやっていたんだ!と思い出した矢先、アルバイト先の農園の人が絶対的私Tシャツを見て、「これ着て、毎日作業したら良いんじゃない?」と私に言いました。
私は何だかんだ、今まで絶対的私Tシャツや絶対的私パーカーを着る事に躊躇していた所がありました。しかし、集落で個展をやってから農園の中でも「作品を作っている人」と見てもらう事も増え、今まで以上に個として見てもらう機会が多くなりました。そのタイミングだからこそ、毎日絶対的私を着て作業する事は有効な事だと思えたのです。しかし、どうせやるなら観客論でやりたい、そう考えて、観客論グッズを販売する事にしました。

普段は別のサイトで上演台本やTシャツなどを販売しています。しかし、今回はデザインだったり、プリントのサイズ感なども踏まえて、上記のショップから12月26日までの期間限定で販売することにしました。ですので、27日に「買い忘れちゃったから、販売して〜」と言われても販売しません(笑)

冬場なので、半袖よりも長袖が多めです。ちなみに私はこのウインドブレーカーで年明けから毎日農作業する予定です。(裏地付きなのでたぶん暖かいです)ちなみに、ロゴに何が書かれているのか、私に聞くのは禁止です。

最近流行りのサコッシュも作ってみました。

他にも色々作りましたので、皆様是非チェックしてみてください。
恐らく、今注文したら手元に届くのが早くて年末か、年明けになると思いなす。観客論グッズを手に取った人が素敵な年末年始を迎えられますように…

とは言え、師走はまだまだ中旬ですので、ここでの年末のご挨拶はまだしばらく先にしたいと思います。それでは皆様、ごきげんよう。



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