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青 ひ げ 【10/10】

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 数日後の週末、会社帰りに青山と飲んだ。

  場所は会社の近くにあるチェーンの居酒屋。
  ここでしばらく飲んだ後、そのままわたしは……また青山の部屋に行く。

  青山は目の前でだし巻き卵に箸をつけている。

 わたしはウーロンハイの2杯目を待っていた。
  青山はお酒を飲まない。ときどきウーロン茶に唇をつける。

「ねえ……」わたしは言った。「井口さん、どうしてるだろうね?」

「え?」

 青山が顔を上げる。

「井口さん……ほら、この前会社を辞めた」

「ああ………」青山がウーロン茶にちびりと口をつける。「どうしてるんでしょうね?  ……元気ですかねえ」
 
 
  わたしはもはや、この男に呆れることもできなかった。

「井口さんをあんな風にしたのは……あんたでしょう?」驚くほどわたしの声は醒めている。「……そうでしょ? 井口さんだけじゃない。大杉さんに白土さん、それにリョー子ちゃん、みんなあんたが……みんなあんたが井口さんみたいにして、辞めさせちゃったんでしょ?」

「……え? それ、僕のせいなんですかあ?………なんで?」
 
  青山がキョトンとした顔でわたしを見る。

「あんた、他の女の子にもこういう事してきたんでしょ? ……ねえ、そうなんでしょ? ……わたしはあんたにとって何人目? ねえ、なんのためにこんなことしてるの? ………教えてよ」

「……そんな、川辺さん」青山がまた笑う。「川辺さんだって、僕の前に彼氏がいたんでしょう? ……僕も、川辺さんの昔の彼氏のことに関していろいろ聞かないでしょ? ……お互い大人じゃないですか」

「……いや、わたしが話してるの、そういうことじゃないから」

「そりゃ、僕だって川辺さんの前の彼氏のことが気にならないわけじゃないですよ。そりゃ僕だってふつうの男ですからね。嫉妬もしますよ。でも、大人だから口にしないんです………わかります?」

 またもへらへらと笑う青山。

「……だ、だからそういう話じゃ……」

 わたしは口ごもった。

「……同じですよ。お互い、過去のことに関してはノータッチにしましょう。いいじゃないですか……僕といると楽しくないですか? 僕は川辺さんといるとほんとうに楽しいんですけど……?」

「…………うん」

 思わず俯いた。

 だ、だめだ。
 素直に喜んじゃだめだ。
 なんで素直に喜べるんだ、わたし。
 
 これからどうなるか、なんてわかりきっているのに。
 ぜったい悪いほうにしかいかないことなんて、わかりきっているのに。

「……今が楽しければそれでいいじゃないですか……? そうでしょ?」

 また青山が笑う。

  それでも……わたしの心は、泣きたいくらいの喜びに包まれていた。
 しかしそれに反比例して、全身が鳥肌に包まれている。

 心と身体がそれぞれ別の将来を予感して、それぞれ別の反応をしていた。

「ねえ、ひとつだけ教えて……井口さんと、大杉さん、白土さん、リョー子ちゃん、この4人と付き合い出したきっかけは何なの? ………それに、どういういきさつであんた、この4人と別れちゃったの?」
 
  青山は笑顔を崩さなかった。
 目も笑っている。
 
 こいつの中にはなにもない。空洞だ。

  だから、こいつは心から笑っているように見える。

「……あの4人と僕が付き合ったって……証拠は? ……それは川辺さんの思い違いかもしれませんよ? いや、とんでもない思い違いです。あの4人と僕は何の関係もありません…………ええ、まったく関係ありませんとも」

「だ、だって……井口さんはあんたの事を………」
 
  “青山さんは……わたしのこと、心配してました?”

 あの日、井口はわたしにはっきりとそう言った。
  ほぼ生ける屍になりながらも、青山のことを尋ねるその目だけはギラギラと輝いていたのを覚えている。

「……僕のことを……何か?」

 青山は事もなげに言った。

「もう……いいよ」

 わたしは下を向いた。
  お代わりのウーロンハイがやってきた。

「そんなに暗い顔しないでくださいよ……川辺さん。せっかくの週末なんだから」青山が言う「……この前ね、すごいマッサージを覚えたんです……すごいですよ。全身のむくみがきれいに取れます。ぜひ川辺さんにこれをしてあげたくって………」

「……ねえ」わたしは再び顔を上げた「……ねえ、あんた、いつまでわたしと一緒に居てくれるの? いつまでわたしとこんなこと続けてくれるの?」

 ポカン、と青山が口を開く。

「いつまでって……」と青山。「それは……川辺さんが僕に飽きるまで………僕に愛想を尽かすまで、ですかね」

「わたしに飽きられるのが怖い?」

 わたしは乾いた笑いを浮かべて言った。

「ええもう、そりゃ死ぬほど」

 青山がぶるぶるっ、とわざとらしく身を震わせる。

 うそつき。

 わたしは心の中で言った。
 ほんとうはその逆だ。
 
 青山がわたしに飽きるまで、わたしは青山から逃れられない。
 そして、青山がわたしに飽きたら……わたしはこの吸血鬼のような男に捨てられる。

 ……証拠だってある。

 はじめて青山の部屋で朝を迎えたときのことだ。
 わたしは二日酔いを50倍にしたくらいの後悔と自己憐憫にまぎれながら、帰り支度をしてた。

 すると……自分の社員証がなくなっていることに気づいた。

 どこを探しても見当たらない。
 そのとき、青山はまだシャワーを浴びていた。

 ない、ない、ない……社員証がない……まずい。
 あれ無くすと始末書を書かなくちゃならない……すでにわたしは1年前、1回紛失していた。

 そのとき、オタクっぽくてデブで独身の総務部・小田課長からネチネチ怒られたのを覚えている。

 社会人としてそれなりにやってきて、もういい大人なのにこんなことで怒られるなんて……まるで自分がバカな小学生になってしまたかのようにミジメに思えた。

 だから、わたしは必死に青山の部屋を探し回った。
 そうえいば前の晩、わたしは部屋に入るなり青山に飛びついて、自分で服を脱ぎ散らかしたんだった。
 そのときに首にかかっていた社員証ももぎ取って、どっかに放り投げていてもおかしくない。

 そんな理由で、しかも青山の部屋で社員証を無くすなんて……自分で自分が許せなかった。

 テーブルの上も、下も見る。 
 台所の床も、ありとあらゆる棚のうえも。
 ない。どこにもない。
 
 ベッドのシーツを剥いでみたけれど、ない。
 ベッドの下も見た。
 クッションの下にないか、クッションを持ち上げてみた。
 
 それでも、ない。

 と……そこで、青山の部屋の備え付けクロゼットのスライドドアが、少しだけ開いているのに気づいた。

『おや……?』

 まさかそんなとこにはないだろう、と思ったけれど、一応開けてみた。

『ひっ……』

 何本かのネクタイ……ぜんぶ同じ、薄いブルーだ……がかけられたフック。
 その横に、それが……それらがかけられていた。

 4人分の社員証だ。

 白土のもの、大杉のもの、リョー子ちゃんのもの……そしてもちろん井口のもの。
 4人分の社員証が、ネクタイの横にぶら下がっている。

 まるで、何かの記念みたいに。

『……あ、川辺さん……社員証は……青山さんから返してもらってください』

 また、井口の言葉がよみがえる。
 たしかにあった。井口の社員証は……ここに。
 ほかの3人の社員証とともに。

『なにしてるんですか?』

『ひっ!』

 背後から声をかけられて、わたしは思わず飛び上がった。
 振り向くと、いつものようにヘラヘラと笑みを浮かべて、腰にバスタオルを巻いた青山が立っている。
 やせた身体を晒して、まだ髭をそっていないので、その頬はますます青かった。


 
 わたしは……なにも聞かなかった。
 聞くことができなかった。

 結局…………
 わたしの社員証は、自分のカバンの奥のほうに紛れ込んでいた。

 ……でもまあ……もういいや。

「……まあ……いいか」

 わたしは独り言のように呟いた。

「え、なにか言いました?」

 青山が身を乗り出す。

「ううん、何でもない」

 少しだけ、気分が明るくなったのは……隣のテーブルに座っている、若い学生風のカップルを見たからだ。
 二人とも若く、冗談を言い合い、黙っているときはそのままお互い見詰め合っている。けっ。

 あの二人とわたしたち、どこに違うところがある?
 
  何も変わりはしない。結局はあの二人も、わたしたちも一緒だ。
  青山が言うように……今が楽しければそれでいいじゃないか。

 と、気がつくと青山がわたしの顔をじっと見ている。
 
「なに?」

 わたしは青山に言った。

「今日はとくに……きれいですね、川辺さん」

  青山がヘラヘラと笑いながら言った。

「大うそつき」

  わたしは笑いながら答えた。

 そして、この話は続く。
 また、何度も何度も繰り返す。

 いまは、とりあえず今は、わたしがこの物語のヒロインだ。

 青山が、わたしに飽きるまでは。

<了>

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