図 書 館 ボ ー イ 【3/6】
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ぼくは仲馬さんに言われるままに、“ゴシゴシ”を続けた。
女子高生たちのほうは見なかったが、二人がしん、と沈黙しているのはわかる。
イヤフォンの向こうから、仲馬さんの息づかいが聞こえたような気がした。
いや、気のせいかもしれない。
たぶん、気のせいだろう。
でも、ぼくはその気配に、ぶるっ、と震えた。
目を閉じて、さらにゴシゴシと手を動かす。
「んっ……」
「あ、また声でた」仲馬さんの声が少し上ずっている。「どう? ……順調に元気になってる?」
「……………うっ……んっ……」
無視して、ゆっくり、ゆっくり……手のスピードを上げていく。
「……ほらあ……固くなってるでしょ? ……どんどん固くなってるよねえ?」
「…………んっ……くっ……」
「図書館でゴシゴシするのが、興奮しちゃうんでしょ? ……おうちのベッドでするよりもずっと……そうでしょ?」
「……ちがっ……いますっ…………」
「ウソウソぜったいウソ……だって、そうじゃなきゃ……きみ、こんなハメに陥ってないはずでしょ?」
……そうだった。
言われると、ほんとうにそのとおりだった。
3日前。
ぼくはこの図書館の3階『社会科学』のコーナーの『教育問題』スペースにいた。
そこにその本があることは、その一ヶ月前から図書館の検索端末で調べて知っていた。
その本に書かれていたことは……
もう三十年以上前に出版された本だというのに、まさにぼくの身に起こったこととそっくりだった。
ぼくは、その本を読むために……その部分の、あるページを読むためだけに……学校帰りにはほとんど毎日、図書館に通った。
それは、日本の教育現場に密かに蔓延している、『ある深刻な問題』を告発し、問題提起しようという社会派の書物だった。
とってもマジメな本で、小説でもなければもちろんエロ本でもない。
でもぼくは、その本に惹きつけられた。
毎日その本が収められている書架に行っては……幸い、そんな本はあまり貸し出しされることもなかった……本を 手に取り、その中のあるページを、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し読み返した。
ほとんど文章を暗記してしまうほどに。
読書するためのテーブルに腰を落ち着けて、じっくり読むことはできなかった。
それは、書架の間で人目を気にしながら、平静を装って読むタイプの本だった。
はじめて読んだときから……ズボンの中はほんとうに、ぎんぎんになった。
いつも本を閉じ、書棚に戻すころには、ズボンの中でパンツの布地が少し濡れていた。
そして……家に帰ってベッドに潜り込んでは、図書館で頭に叩き込んだ活字を一字一字思い出し、それを鮮明に、できるだけリアルに映像として思い描く。
そして、その本の中で『実例』として紹介されている、ある少年の告白を頭の中で再現する。
その少年はぼくだった。
その少年は、間違いなく、ぼくだった。
その本のタイトルは『学校現場の性被害~声なき被害者たちの声』。
こんなタイトルの本に、図書館で検索してまでたどり着いたのにはそれなりの理由があった。
その本にめぐり合うまで、ぼくは真っ暗な冷たい海で、ひとり立ち泳ぎして助けを待つ遭難者だった。
誰とも分かち合うことのできない秘密と嫌悪感と屈辱と……そしてまだ名前を知らない不可解な感情が満たす果てしない海の中で、なんとか溺れまいとしてすがりついたのが、この本だった。
それは、あるフリーライターが、膨大な聞き取り調査をもとに、日本の学校教育現場で起こっている、児童・生徒へのあらゆる性被害についてまとめたものだった。
教師による 児童や生徒への強制わいせつや、レイプの事案に関する豊富な実例が、被害者の一人称によって300ページくらいの本にぎっしりと詰まっている。
いや、ふつうに考えると、ぞっとする本だ。
でも、僕がこの本に特に惹かれたのは……この本の構成だった。
この本には、男性教師による女子児童・生徒へのわいせつ行為と、女性教師(あるいは男性教師)による男子児童・生徒へのわいせつ行為が並列に、分け隔てなく掲載されていた。
ショックだった。
それと同時に、この本に書かれていることがすべて本当だとするのなら……少なくとも、ぼくは孤独ではないということになる。
もともとぼくは、友達が少なかった。
一人っ子で、相談できる相手もいなかった。
もし相談できる相手がいたとしても、こんな恥ずかしいことを誰かに打ち明けられるわけもなかった。
ぼくは、その本に書かれていたことの中でも特に、ある小学生の少年のケースに、強く心を惹かれた。
少年は事件当時、12歳。
ほんのついさっきまで、僕は12歳だった。
彼はある夏、学校で女子の水泳の着替えを覗いているところを、女性教師に捕まえられた。
少年その女性教師に、宿直室に連れ込まれた。
昔は、先生たちが学校に宿直をする制度があったらしい。
そこには、自分を捕まえた女性教師のほかに、二人の若い女性教師が待っていた。
そのうちの一人は、彼の担任だった。
女性教師たちは、少年を叱り、諭した。
あくまで、教師らしく……『なぜそんなことをしたのか?』と問い詰めたという。
しかし、質問はどんどん変質していった。
女性教師たちは少年に『覗いているときに、オチンチンがどうなったの』と、ニヤニヤしながら(これは本には書かれ ていない……ぼくの想像だ)聞き始めた。
少年は戸惑いながらも……許してほしい、その状況から逃れたい一心で……本当のこと……つまり、勃起したことを白状 した。
女性教師たちはニヤニヤと顔を見合わせながら……これも僕の想像だ……少年を畳の上に押し倒し、無理やりズボンとパンツを脱がせた。
そして、少年の……おちんちんを……交互に触りはじめた。
あざわらい、いやらしい子だと嘲りながら……三人の女性教師は少年のペニスをいじくり回し続けた。
少年の意思とは関係なく……先生たちが明らかに悪意を持って自分を性的に興奮させようとしていることを少年は感じ、混乱したが……少年はみるみる勃起していった。
勃起すればするほど、女性教師たちは喜んだ。
そして少年を言葉で辱めた。
おそらく……女性教師たちも少年を弄んでいるうちに欲情してきたのだろう……まるで、カラオケボッ クスでマイクを奪い合うように、三人の女性教師は少年の性器をこねくり回し、揉み上げ、指でくすぐり、扱き続けた。
それは……彼が射精してしまうまで続いた。
何度、その箇所を書架の間で読みふけったことだろう。
そしていつしか僕は、本を手にしたまま……書架で半身を隠すようにして、ズボンのポケット に手を突っ込んで……“ゴシゴシ”をに耽るようになった。
とても射精するまでそれを続ける勇気はなかったけれど……それはとてつもないスリルだった。
ものすごい快感だった。
“いけないことをする”という実感が、そのギリギリの感覚がたまらなかった。
ぼくはそれまで一度も、親に反抗したことも、困らせたことも、言いつけを破ったこともなかった。
ただひとつの例外を除いて……学校で問題を起こしたこともなかった。
その日も、ぼくは同じことをしていた……目を閉じて……うっかり射精してしまわないように注意しながら……激しく、“ゴシゴシ”を続けていた……。
「あっ……あ、あ、あっ…………」
と、突然、背後に気配を感じた。
はっと振り返る。
書架と書架の間の通路の出口を通せんぼするような形で、若い女性が立っていた。
女性は、スマートフォンを顔の前に翳している。
彼女はこの図書館の司書さんがみんな身につけている紺色のエプロンを着て、スマホを持っていない左手で、数冊の本を胸に抱えていた。
何が起きているのか、すぐには理解できなかった。
彼女が……ぼくの様子を動画で撮影していたのだ、と気づくのに、しばらく掛かった。
「……いいよ、いいよ~……」女性がスマホを少し下げてぼくに笑いかける。「ぜんぶ撮ったげるから、そのまま続けて」
それが、ぼくと仲馬さんの出会いだった。
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「うっ!…………あっ……あっ……あっ!!」
信じられない……机の上に広げられた本の、リアルな女性器の図版の上に、突っ伏してしまった。
う、うそだろっ?…………こ、こんなとこで……最後まで……そんなっ。
“………………”
“………………”
ぼくのことを見てひそひそ言ってたはずの女子高生二人も、今は沈黙している。
「…“……えー……イッっちゃったの?マジ?……信じらんなーい……”って顔して、かなりヒいてるよ。女子高生のおねーさんたち」仲馬さんがイヤフォンから囁く。「……いや、 わたしも信じらんなーい……だーれが最後までいっちゃえ、なんて指示しましたかあ? ……ほーんと、きみってカワイイ顔して、エッチで変態くんなんだねえ?」
「……………」何も言い返せなかった。
「……ねえねえ、変態ボーイ。パンツ、汚しちゃったでしょ」
「……………」
「ズボンも、汚しちゃったでしょ」
「……………」
確かに……すごい量を出してしまったみたいだ。
それはパンツから染み出して、内側からズボンの布地まで汚そうとしている。
「ホラホラ、そのままヘバってると、ウチの椅子が汚れちゃうでしょ」
と、そのとき、ぽんと背後から肩を叩かれた。
感電したみたいに飛び上がる。
肩ごしに見上げると、本を数冊抱えた仲馬さんが、ぼくを見下ろしていた。
長い髪が、イヤフォンをうまく隠している。
「ほら」
トン、と目の前に文庫本が置かれた。
何かが挟まれているようだ。
仲馬さんがかがみ込み、まだ息も絶え絶えのぼくの肩を抱く。
「……さーて……ミッション2といきましょっか」
仲馬さんがぼくの耳に唇を近づけて囁いた……イヤフォンをつけた左耳ではなく、つけていない右耳に。
遠目には……どんなふうに見えてるだろうか。
具合が悪そうな少年を気遣う、やさしい図書館のおねえさん、というところだろうか。
ぼくは……仲馬さんが差し出した本を手に取った。
表紙のタイトルに目をやる。
セリーヌという作家の『なしくずしの死』というタイトルの本だった。
「まず、汚れた服を着替えなきゃね~……」
また、ぽん、と肩を叩かれる。
その衝撃で、またびくん、と下半身がうねり、残りの精液を漏らしてしまった。
仲馬さんは僕の上半身をやさしく起こすと、僕は頬をくっつけていた『カラー図解:女性器の形状』をよいしょ、といって持ち上げ、ぱたんと閉じた。
そして、最初から抱えていた数冊の本と一緒にその本を胸の前で抱えなおす。
「貴重な本なんだからさ~……汚さないでよね~」今度はマイクから仲馬さんの笑い声が聞こえてきた。「じゃ、本の間のブツを見てね」
あんまり充実してなさそうな小さなお尻をわざとらしくくねくねらせながら、仲馬さんが“セクシーな女”の仕草を思いっきりバカにしたような歩き方で、ぼくから離れていく。
さっき女子高生たちが立っていたテーブルのあたりを通り過ぎると、その後ろ姿は書架の影に消えた。
女子高生二人組は、もうそこにはいなかった。
本に挟まれていたのは、図書館の入館ゲートの近くにあるコインロッカーの鍵だった。
番号は66番。
ぼくは制服のワイシャツの裾をズボンから出すと、濡れた下半身をなんとか隠して……中腰でコインロッカーまで、そろり、そろりと向かった。
ゆっくり歩かないと、ぐしょぐしょになったパンツが気持ち悪かったし……これ以上ズボンを汚したくはない。
いったい家に帰ってから、どうやってこれをクリーニングに出そうか……どうやってお母さんに気づかれずにパンツを洗おうか……くだらないことだけど、そのときのぼくにとっては重要なことをあれこれ考えていた。
だから、ぼくの歩き方について誰かがヘンに思うだろうか、とかそういうことはあまり気になら なかった。
コインロッカーまで辿りつき、66番を開ける……中には、「ピーチ・ジョン」の紙袋があった……知ってる。女の人の下着メーカーだ……つくづくあの変態女は……ぼくを辱め尽くすつもりらしい……。
袋を取り出して……中を覗き込む。
「ひっ」
一瞬、紙袋を下に落としそうになった。
透明ビニール袋に入れられた、人間の頭部のようなものが見えたからだ。
……でもこれは、そんなホラー小説話なんかじゃない。
いまぼくが体験しているのは、どしようもない下ネタの世界であり、ほとんど気の狂った変態が描いたマンガの世界だ。
ビニール袋に入ったそれは……けっこうちゃんとした作りの、黒髪のかつらだった。
そしてそれを袋から取り出すと……その下には、人間の頭よりもゾッとするものが入っていた。
「……な……なんなんですか……これはっ……?」ぼくは喉のマイクロフォンを抑えて言った。声が震えている。「…………なんで……こんなっ……」
「えー? ……気に入らない?……だって、これだってきみが、ほんとにやったことでしょ?」
「そんな……でも……だって……それを……ここでっ……」
「あれこれ悩んでるうちに、きみのパンツとズボンはどんどん汚れてくよ~……ほら、ぜったい似合うから……着てみてってば……」
「な、なんで……」ぼくは潜めた声で言った。「なんで……仲馬さんはこの服を持ってるんです?」
うふふ、とイヤフォンの向こうで仲馬さんが笑う。
「なぜって……あたしはきみの学校の卒業生だからでーす。あたしのお古……着るのイヤ?」
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