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図 書 館 ボ ー イ 【4/6】

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 紙袋の中にはちゃんとウェットティッシュも入っていたので、べっとべとに濡れた下半身を、ある程度きれいにすることができた。

 メンソール系のウエットティッシュだったのは、仲馬さんらしい嫌がらせだったのだろうか?
 異常に股間がスースーした。

 仲馬さんのお古だというその女生徒の制服

 ……ぼくが通っている中学の制服だ……

 これを着て、セミロングのかつらを被り、スカートの中はノーパンで、というのが仲馬さんの指示だった。

 もともと来ていた服は紙袋に入れて……汚れたパンツだけはそのまま手に持ち……人気がないときを見計らって個室を飛び出し、汚れたパンツはゴミ箱に投げ入れ、足早に男子トイレを後にする……

 ほとんど、スパイみたいな動作だった。けど、案外うまくいった。

 コインロッカーの鍵をはさんだまままの『なしくずしの死』上下巻は、まだちゃんと紙袋に収まっている。
 
「よしっ! そのまま、女子トイレいってみよー!」

「えっ……そ、そんな」

 いきなりハードルが高すぎる。

「大丈夫だいじょうぶ! 今、女子トイレにきみへのプレゼントを置いといたから。早く入んないと、誰かに取られちゃうよ~?」
 
 ……プレゼントなんて、正直いってどうでもいい。
 2万パーセント、まともなものであるはずがなかった。

 でも、ぼくは確かに……避難場所を求めていた。

 かつらを被ったのもはじめてだし、だいたい、男子トイレでは自分がどんなふうに見えるのか、確かめる余裕もなかったから。

 女生徒の制服を着せ られた自分の姿をまじましと見たいわけではないけれど……これから自分に課せられるであろう過酷な仲馬さんの指令……を思えば、自分の姿をちゃんと確認しておくに越したことはないだろう。

 さっさと忍者のような中腰の走り方で隣の女子トイレに忍び込む。
 ツイてる……誰もいない。

 鏡で自分の姿を確認する前に、洗面台に小さなリボンをかけた包みがあるのに気づいた。

 手に取って……包みを開けてみる。
 ぜったい、何かいかがわしいものが入っている……と思ったら、意外にも出てきたのはふつうのリップクリームだった。

「……プレゼント、ちゃんと見つけた?」

イヤフォンから、仲馬さんの声。

「……はい……」

「鏡で自分を見てみなよ……けっこうイケてるよ」

 ……………。

 恐る恐る……鏡を見上げる。

 ……ヤバい。

 少しカツラが曲がっていたので、髪がヘンだったけど、そんなことはまるで気にならない。

 仲馬さんのお古だというけど……
 たしか、うちの学校の制服は創立以来、基本的に変わっていないはずだ。

 サイドにファスナーのある、白いセーラー服。
 襟には3本の紺色のラインが入っている。
 スカーフは赤だ。

 その下のプリーツスカートも暗い紺色。

 洗面台の鏡で確認することはできなかったが、仲馬さんは学校指定色(彼女が在学していたときからそうなのだろう)の濃紺のソックスも用意していた。

 靴は男女とも同じデザインのローファーだったので、履き替える必要はない。 

 靴下はもともとユニクロの白を履いていたけど……気がついたときには、用意されていた濃紺のソックスに履き替えていた。

 ……完璧だった。

想像していたよりも……あの日見た自分の姿よりも……完璧だった。

「どう……?……気に入った?」

「…………はい……」

 思わず、自動的に答えてしまった。
 クスクスと笑う仲馬さんの声。

「あ、“気に入った”はおかしいか……だって、超お気に入りなんだもんね~」

「……………」

 確かにそうだ。

「リップ塗ってね。もっとかわいくなるから」

 ぼくは、仲馬さんがくれたリップを手に取ると蓋を開け、先端を5ミリほど出した。
 唇に塗ってみる。
 舐めると、甘い味がした。

 女子トイレから出るように指示された後は……ほとんど仲馬さんのコントローラーで動かされているゲームのキャラクターみたいなもんだった。

 とりあえず……ノーパンで図書館のすべてのフロアを歩かされる。

 スカートはあえて短く細工されていた。
 太ももの上から4分の1くらいしか隠せないようになっている。

 スカートが短いせいと、これもまた仲馬さんが用意したメンソール入りのウエットティッシュのせいで、股間がスースーする。
 痛いくらいにスースーする。

 全身に冷や汗をかきながら……ぼくは仲馬さんの指示どおりに図書館中を歩き回った。

 驚いたことに、ぼくを奇異に思う者は誰もいないようだった。

 最初、何人かの男性や僕と同じくらいの男子中学生や高校生、いかにもタマってそうな大学生、そしてヒマをつぶしているサラリーマンのおじさんたちが、ぼくをチ ラチラと見るのが気になってヒヤヒヤしたけど……

 『ヘンだと思われているわけではない』と気づくのに、それほど時間はかからなかった。

 男たちの視線は……仲馬さんが細工した短いスカートから覗く僕の太ももに集中している。

 ある男子高校生の二人連れのは、ぼくの太ももを見て、明らかに顔を見合わせて、いやらしい顔でニヤついた。
 確かにニヤついた。

 おっさんもニヤついた。

 ぼくと同じくらいの年齢の……同じ学校の制服を着た男子生徒たちもそうだった。
 
 ぼくには友達がいない。
 でも知っている顔も、いくつかは見た。

 しかし、そいつらはぼくがぼくであることに気づかない。
 これは快感だった……ほんとうに、透明人間になったような気分だった。

 いや、透明人間とは違う。

 ぼくは、それを越える存在になったんだ……そんな気がした。

 4階建ての図書館を1階フロアからくまなく周り、3階まで達したときは、もう恐怖心や不安感は消え去っていた。

 興奮と、誇らしさと、痺れるような快感がぼくを包んでいた。
 ノーパンであることなど、もう気にならなかった。

  4階へ続く螺旋階段を登っているときに、30代くらいの、太って、油染みて、分厚いメガネをかけた男が、露骨にぼくの真後ろについて、スカートの中を覗こうとしていた。

それでも気にならなかった……
あえてスカートがひらひらするように……さっき仲馬さんがしていたようにわざとらしく腰からお尻を振って、見 せつけさえしてしまう。

 そんなふうに有頂天だったぼくを、イヤフォンからの声が現実に呼び戻した。

「じゃ、4階奥の第3レクリエーション室で」

「えっ」

「そこで待ってて。わたしも後から行くからね~……」

「……………」

「タンノーしましたか?……変態女装少年くん。……ところで……きみ、また……勃っちゃってるでしょ?」

……確かに。勃っていた


 第3レクリエーション室はヘンなところだった。

 確かに鍵は空いており(仲馬さんが開けておいたんだろう)、中に入ることはできた。

 そこは図書館の係員が子どもたち向けに、絵本の読み聞かせをするための部屋らしい。

 ふわふわのビニールで作られた10畳ほどの床があり、ちゃちな滑り台、大きな積み木、くたくたに疲れた感じの熊やゴリラ、キリンのぬいぐるみなどが散乱している。

 本棚には、読み聞かせ用の大判の絵本がずらりと並んでいた。

 たぶん、ここにあるものはすべて、子どもたちが安心できるようなファンシーな色合いで統一されているんだと思うけど……カーテンを締め切り、明かりを点 けない状態で眺めるその部屋の様子は、かなり不気味だった。 

 どこか、頭のおかしい大人を監禁するために作られた部屋のようにも見える。

 しばらくその暗闇で立ち尽くしていると、イヤフォンから仲馬さんの声がした。

「……素敵な部屋でしょ?」

「……………」

 少なくとも、そうは思えなかった。

「ちょっと手が離せないからさ……このままお話しようよ」

 今さら……何を話すというんだろう?

 しばらくの沈黙。
 

 図書館というところは……あたりまえだけど、とても静かだ。
 沈黙していることが図書館のルールで、みんなそれに従っている。
 だからみんな、頭の中で自分で自分に話かける。

 ……これでいいのか?……
 とか、それが知りたいのか?
 ……とか、一体おまえは何しに来たんだ? とか。

 

 しばらくすると、またイヤフォンから仲馬さんが話しはじめた。

「……なんで、あの本を読みながらゴシゴシしてたの?」

「えっと……さっきの、大きな図鑑のことですか?」

 それは……あんたにそうしろと言われたからだよ。

「いやそうじゃなくて。きみとわたしがはじめて会ったときのことだよ……ほら、あの本。『学校現場の性被害~声なき被害者たちの声』。なんであんなの読んで、ゴシゴシしてたの?……もっと真剣に探せば、図書館にはもっとエッチな本がたくさんあるのに」

「……それって……お話しませんでしたっけ」

 むりやり脅迫的に言わされたことがあった。
 羞恥と屈辱で真っ赤になる僕を、仲馬さんはたっぷり目で楽しんだ。

「……え? そうだっけ?……でも、もう一度聞きたいな~……」
 
 気持ちはわかった。
 ぼくだってあの本を、何度も何度も何度も何度も繰り返して読んで、その結果こんなことになってしまったんだから。

「わかりました……話します……でも……これっきりですよ……」

「……『これっきりですよ』って……なんだかセクスィーだわ~」

「……………」

 ぼくは仲馬さんのチョッカイを無視して語り始める。


 あれは、学校で水泳の授業が始まってすぐの頃だった。

 歴史の授業中、突然気分が悪くなったぼくは、先生に保健室に行かせてくれ、とお願いした。
 ぼくは昔から、それほど身体が丈夫ではない。
 だから先生も、『大丈夫か』と気遣いながら、ぼくの離席を許してくれた。

 ぼくは教室を出て、保健室を目指した。

 教室から保健室の途中には、女子が更衣室として使っている空き教室がある。
 そのとき……ちょうど女子たちは水泳の授業中だった。

 更衣室の前を通りかかったとき……その教室のドアが少し空いていた。

 本当は当番の子が鍵をかけなければいけないのだけれど、うっかりかけ忘れたか、当番の子がだらしない子だったのかのどちらかだろう。

 うちの学校はけっこうなお坊ちゃん・お嬢ちゃん学校なので、どこか校風はおおらかで、のんびりとしている。

 季節は初夏だったが、学校は一年中、眠い春のような空気に満たされていた。
 
 ぼくはそのドアの隙間を見て、足を止めた。
 カーテンが締め切られ、明かりの点っていない、誰もいない部屋が覗いている。
 

「……ちょっと待って」と、仲馬さんがぼくの話を中断する。「……ええっと……最初に聞いたときもおかしいと思ったんだけど……きみの話じゃ、なんか“たまた ま”女の子たちが水泳の授業がやってる時間に具合が悪くなって……“たまたま”更衣室の前を通りかかったときに“たまたま”更衣室のドアが開けっ放し になってた、って感じなんだけど……それって、なんかおかしくない? 出来すぎじゃない?」

「え……」これは……はじめての質問だった。「そ、そんなこと……ないでしょ?」

「……まあいいや……続けて」

「ええと……は、はい」

 ぼくはほとんど自動的に……更衣室に身体を滑り込ませていた。
 カーテンを締め切って明かりをともしてない更衣室の様子は、いま自分がいるこの図書館の奇妙なレクリエーション室に似ていなくもない。

 また、脱衣棚が壁を埋め尽くしている 様子は……この図書館の書架に似ていなくもない。部屋の片隅には大きな鏡がしつらえられている。

 ……ぼくはしばらく……桃とチーズを合わせたような、いい 匂いなんだか不快な匂いなんだかわからない空気の中に立ち尽くしていた。

「時間、気にならなかったの? ……保健室に行く、って言ったんでしょ?」

「…………ほんの1、2分…………ぼーっとしてただけですよ」

「ふーん」

 ……仲馬さんの声は疑わし気だった。
 しかし、いつになったら彼女はこの部屋にやってくるんだろう?

 更衣室の棚は、四角い開け放したボックスが並んだだけのもので、鍵はおろかひとつひとつの棚に扉すらない。

 うちの学校のおおらかさ、のんきさが表れている。
 それぞれの棚には、女子生徒たちの制服が乱雑に突っ込まれていた。

 ぼくは、一つひとつをチェックしていった。
 そして、部屋の隅っこで、いちばんキレイに畳まれて収まっている制服を見つけた……。

「そーいうの、気になるんだ~……」仲馬さんがまたクスクス笑う。「けっこうきみ、几帳面なんだね」

「……………」

 僕は答えなかった。前も同じ質問をされたような気がする。

「それって、誰の服だかわかってたの?」

「……………」

「ひょっとして……好きな子の服だったとかあ?」

 ぼくは、一瞬、げほっとむせた。

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