図 書 館 ボ ー イ 【2/6】
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“……ちょ、ちょっと見てよ……あの子……”
聞こえた。
今、確かに聞こえた。
ここはオープンの閲覧スペース。
僕はさっき『医学』のコーナーから取ってきた『カラー図解:女性器の形状』を、テーブルに広げて……本を立てて中身を隠しちゃダメ、というのが仲馬さんの命令だった……カラーグラビアに鮮明に描かれた女性器の図を、眺めていた。
いや、眺めていたんじゃない。
ほとんど、釘付けになっていた。
それは……エロチックでも興奮をそそるものでも何でもなく、剥き出しになった臓器か、もしくは趣味の悪いSF映画に出てくる奇怪な生き物のように見える。
でも、それから目を離せなかった。
胃がムカムカする。
全身からじっとりと、いやな汗が湧き出してきた。
いくら仲馬さんの命令とはいえ……こんなものに釘付けになっている自分が、とても情けなく思えた。
と、そこにさっきの声だ。
“……ちょ、ちょっと見てよ……あの子……”
女の子の声だった。
ひやっ……と今度は全身の体温が3度ほど下がったような気がした。
“え、え、えー……まじ?……ちょっと、何あれ?……何見てんの?”
別の女の子の声。
空耳じゃない。幻聴でもない。
そして仲馬さんの声でもない。
“ヤバいよ……ちょっと必死すぎー……”
クスクス、と女の子たちが忍び笑いをするのが聞こえた。
“なんで?……なんであんなドードーと見てるわけ?”
“そりゃ、まー……そーいう年頃ぽいし”
キャハハ、と今度は女の子たちは声を出して笑う。
ぼくはもう、その場で石像か何かに変身してしまいたかった。
とてもじゃないけど、女の子たちのほうに顔をあげる勇気はない……と思っていたそのとき。
「……注目浴びてんじゃ~ん」
と、いきなりイヤフォンから仲馬さんの声がした。
はっとして顔を上げる。
いきなり、二つ向こうのテーブルの前に並んで立っていた女子高生の二人組……さいわい、うちの中学の生徒じゃなかった……と目が合う。
「きゃっ!」
片方が声を上げて、もう一方と顔を見合わせると、意味ありげに二人でクスクス笑い始めた。
たぶん、二人共近くの高校の生徒で、ぼくより3~4歳は年上だろう。
二人とも美人だった……僕は仲馬さんの姿を探す、という本来の目的も忘れて、またうつむいてしまった。
“見た?見た?……うちらのこと、見たよ!”
“えー! ヤバいじゃん! 変態くんに見られちゃった!!”
“ひー! いやー! まだこっち見てる!”
ほとんど、『ぼくに聞かせること』を意識しての、ヒソヒソ話だった。
“きゃーかわいー! ……真っ赤になってる。変態のクセに”
“なんであんなにかわいいのに変態くんなんだろうね?”
「ほんっと」耳元のイヤフォンから仲馬さんがつぶやく。「なんでそんなにかわいいのに変態なんだろうね? きみは」
「変態って…………」思わず低い声が出た。「……あなたがムリヤリやらせてることじゃないですか……」
「……“きゃーかわいー!”だって~……女子高生のオネーサンたちに、『かわいい』って言われてうれしい?……君って年上にウケるタイプだよね~……」
「……ど、どこなんですか。どこにいるんですか? ……ってか、いつまでこんなことしてなきゃいけないんですか?」
「……こらこら、声がちょっと大きいよ」
“やだー……あの子、なんか一人でブツブツ言ってる~……”
“マジでやばい~……”
恥ずかしさで気が狂いそうになった。
「……ほらほら、アブない子だと思われちゃうよ~……」
仲馬さんがどこか、ぼくの姿が見える位置にいることは確かだった。
前か、後ろか、どっかの書架の影から、ぼくのことを見ているようだ
……女子高生たちの反応も含めて。
そして、それを見て愉しんでいる……あの変態女。
「……もう……もう許してくださいっ……席を立っていいですかっ?」
「だーめーん」仲馬さんがイヤフォンから囁く。「……あ、女の子たち、きみをスマホで撮ってるよ!」
「えっ!!」
はっと顔を上げると、ほんとうに女子高生の片方が、僕に向けてスマホを向けていた。
かしゃ。
撮られた。
ぼくはがっくりとうなだれた。
“撮った!撮った!いま、顔撮った!”
“見せて見せて!わ、バッチリ撮れてる!!”
「……もう、いいでしょ……ゆ、許してください……」ほとんど哀願する声で喉のマイクロフォンに向けてつぶやく。「ひどいですよっ……あんまりです。それに、図書館じゃ写メ禁止でしょ? ……仲馬さん司書でしょ……注意してくださいよっ」
「よーく言うよ……写メどころじゃないことしてたのは、きみでしょ」
また、うなだれるしかなかった。
■
「……で……これからどうすればいいんですかっ……」
女子高生たちは、ぼくのことをチラチラ見ながら、クスクス笑っている。
あの写メはいったい誰に送られるのだろうか。彼女たちの友達、全員だろうか。旧ツイッターかインスタなにかに、アップされたりするのだろうか。
どきどきしながら、うつむいたまま固まっていた。
机の上に広げられているのが、リアルな女性器の図がでかでかと載っている本であることも忘れて。
「……そうだな~……どうしよっかな~……」
「……なっ……なんでもいいから……はっ……はやく決めてくださいっ……」
女子高生たちはまだ、ぼくのことを見てクスクス笑っている。
そうやってぼくが笑われているのを見るのも、彼女のお愉しみのうちなのだろう。
「……じゃーね……そうだな~」底意地の悪さがにじみ出してくるような仲馬さんの声。「……じゃあさ、ポケットに手、突っ込んでよ。右手」
「えっ……」
おっそろしく、イヤな予感がした。
「……できるでしょ?……ってか、やってたよね、きみ。この図書館で。おんなじことでしょ……?……さあ、ポケットに手入れてよ」
「……い、いやですっ……」
ぼくは首を振った……仲馬さんがどこにいるのかもわからないのに。
仲馬さんがぼくに何をさせようとしているのかは、容易に想像がついた……。
そ、それを今ここで?
……マジで?……ムリムリムリ……そんなの絶対ムリだって……!
「『いやですっ!』だって~……生意気だけどかわい~」
「じょっ、冗談じゃないですっ!」
“見て見て、またあの子、なんか一人でブツブツ言ってる~”
“マジ、ヤバいよ~コワいよ~変態だよ~”
女子高生たちの声……いや、気になるけど、それどころじゃなかった。
次から次へと『それどころじゃない』問題が起きて、ぼくの頭を混乱させる。
いや、混乱させているのは仲馬さんなのだけど。
「ほら、ポケットに手を入れなさいよ~……あのこと、バラしちゃっていいの?」
「……でっ……でもっ……」
「やらないとバラしちゃおっと。きみの学校のみんなに教えちゃおっと」
「……………くっ」
「…………ほら。ポッケにお手々入れて。ほらほら」
「…………ううっ」
ぼくは、うつむいたまま、右手をポケットに入れた。
どうせ……選択肢はないんだ。
「……ほら、握って」
仲馬さんは非情だった。
「えっ……」
「なーにが“えっ”だってーの。ほら、ニギニギしましょうね~……」
「だ、だってっ……!」
「だってとか言ってる場合じゃないよ。ほら一気に、ぎゅっ、と握っちゃおう!」
「……………ああっ」
どうせ……選択肢はないんだ。
深く、ポケットに手を突っ込んで……探して……握った。
「んっ……!」
声を出してしまって、“しまった”と思う。
「“んっ!”だって~……いきなり声出ちゃってんじゃん!」
「……………うっ」ぼくは、ぎゅっと唇を噛み締めた。「…………で……どうするんですかっ?」
「…………どうするって~……決まってるじゃん?……わたしに言わせたいの~?」
「…………って…………あのっ…………」
さっきまでクスクス笑っていた女子高生の二人組をちらりと見上げる。
“わっ! こっち見たよ! 変態くん”
“なに? なに? ……写メ撮ったの気づかれた?”
……いや、それはとっくに気づいてるし。
ぼくは……何をさせられるか、わかりきっていたが、とりあえずその状態で仲馬さんの指示を待つことにした。
……絶 対、ぜったいに……自分から次の動きに出るつもりはない。
自分の意志でそんなことを……こんな場所でするなんて……それだけは……それだけは……絶対にしない、とぼくは誓った。
確かに……どうせ、選択肢はない……でも、それが……ぼくにできる精一杯の抵抗だった。
しばらくの間があった。
仲馬さんはどこからか、ぼくの姿をずっと監視しているのだろう。
ぼくはポケットの中で自分の一部を握り締めながら……待った。
気がつけば、身体が震えていた。
女子高生たちは、もうぼくを見て笑っていなかった。
「さぁて……そろそろ観念して、動かしてみようかね~?」ついに、仲馬さんからの指令が下る。「ほら、ゴシゴシしなさいってば」
「……………」
唇を痛いほど噛み締めた。
「ほら、やって。ゴシゴシしちゃいなさいよ……もう、元気になっちゃってるでしょ?」
「…………くっ」
確かに……そうだった。
数枚の布越しに、ぼくは固くなった自分の身体の一部を握り締めていた。
それはどんどん固くなり……熱くなり……脈づいているようだった。
自分で自分が情けない……でも……。
ばくは……ゆっくりとポケットの中の手を“ゴシゴシ”しはじめた。
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