【読書感想③】森見登美彦「宵山万華鏡」(3)
今回も読書感想記は「宵山万華鏡」を紹介します。
前回では収まりきらなかった話の続きとなります。
気になる方は前回の記事を読んでから、今回の記事に進んでください。
著者 :森見登美彦
出版年:2009年(文庫版,2012年)
出版元:株式会社集英社
まだお読みでない方はこちらからご購入ください!
1. はじめに
※注意事項
本記事では「宵山万華鏡」の内容を踏まえた上で感想をまとめました。
つまり、各話のあらすじや内容を詳細にしているため全編にわたりネタバレが多くなっているということです。
まだ読み始めていない人や楽しみをとっておきたい人は、本記事を読まないことをおすすめします。
ただし、読み終えた人にとっては、私独自の解釈を踏まえた「答え合わせ」のようになるので十分にお楽しみいただけると思います。
宵山万華鏡とは
宵山万華鏡は、森見登美彦氏の小説家活動9作目の作品です。
舞台は、京都府。
祇園祭宵山での一日を6つの不思議な物語で綴る連作短編集です。
同氏の定番ともいうべき舞台・京都において繰り広げられる6つの短編は、それぞれ大きな幻想でもあり馬鹿げた笑い話でもあり、それでいて現実のような恐怖と不思議さをもっています。
宵山とは何なのか、祭がもたらす熱狂とは何なのか、現実と非現実の境界線はどこにあるのか。目まぐるしく変化する万華鏡のような世界に誘われる一冊です。
と、前置きはこのくらいで、いよいよ本編に進みます。
それでは、はじめましょう。
2.各話のあらすじと考察
【宵山万華鏡】
ー あらすじ
最終話は「宵山万華鏡」という短編です。地下鉄烏丸御池駅から徒歩で数分の三条通に面したバレエ教室に通う小学生の姉妹の話です。姉は活発的で物事をぐんぐん進める人、それに対して妹は慎重的で臆病な人。ここまでお読みの方はわかると思いますが、これは第一話「宵山姉妹」を姉の視点で描いています。妹とはぐれた姉は再会するまでに何が起こっていたのかが明らかになります。
洲崎バレエ教室でのレッスンが終わると姉は妹の手を握って宵山へ足を向けます。夏の蒸し暑い雑踏の中で、姉と妹は赤い浴衣の少女たちを目撃します。まるで金魚が泳ぐように駆け抜けるその様子に目を奪われ、姉は力が抜け、滑り抜けるように妹の手を離してしまいます。それからはぐれた妹を見つけては見失い、とうとう見失ってしまいます。
妹を探すなかで一際目立つ金魚の風船を見つけ、それを妹にも渡すために風船を配っている大坊主の元へもらいにいきます。大坊主は狸谷の姪にあげる風船をどうしてもあげることはできないため、その代わりに一緒に妹を探してくれると言いました。足元を通る孫太郎虫に驚きながら歩いていると二人のもとに舞妓が現れます。舞妓も一緒に探してくれると言い、その前にビルの屋上に行き、池の鯉に餌をやっていきました。その後、3人はビルの屋上を飛び越えたり、時にはボートに乗って滑り抜けていきました。そうしてたどり着いたダルマと駒形提灯がひしめく屋上には、和服姿のおじいさんがいて、大きな万華鏡を修理していました。なんでも最近、骨董屋から買い上げたものらしい。
案内された場所には「宵山様」がいました。赤い浴衣を身に纏ったこの少女こそが宵山様でした。宵山様はここから万華鏡で宵山の様子を見ていました。あたりの空が暗くなり、山鉾の音が近づくと姉は怖くなり逃げ出しました。大坊主たちは「お前さんは帰ったほうがいい」と言って、風船を二つ体に結びつけ飛び降りました。妹を探すため。妹は赤い浴衣の少女たちによって藍色の空へ連れ去られそうになっていました。姉はなんとか妹を助け出し、二人は手を握って家に帰る。ようやく妹を取り返した姉は、二人で手を取り合いながら家に向かって歩きはじめた。
以上が「宵山万華鏡」というお話です。
ー 考察
もう言葉はいりませんね。最高でした。まさしくラストにふさわしいお話です。
ここまでの5つのお話で出てきた要素が全て詰め込まれていたように思います。
妹の手を離してしまった姉は、妹を探すために宵山を渡っていきます。大坊主や舞妓とともにさまざまな場所を巡るのは、「宵山劇場」で藤田が騙されたどんどん場面が変わっていくところを彷彿とさせました。姉がたどり着いた先で目にしたものとは、宵山様とは、万華鏡とは一体何なのか。おかしなことが起きている、怖いはずなのに怖くない。宵山が少しだけ本当の姿を見せたように感じました。
では、最後の振り返りです。
登場人物は主に6人です。
姉(主人公)
妹
大坊主
舞妓
和服姿の骨董屋
宵山様
もう言いたいことがたくさんあるので、とにかく書いていきます!
[姉と妹]
まずは姉と妹です。第一話「宵山姉妹」で妹は姉とはぐれ、宵山の雑踏の中を赤い浴衣の少女たちと駆け巡った後、彼女たちに連れ去られそうになり姉に助けもらいました。最終話「宵山万華鏡」では、姉は妹とはぐれ、宵山の雑踏の中を離れた建物の屋上を大坊主、舞妓とともに渡っていきます。そして、連れ去られそうになっていた妹をついに助けました。冒頭で、姉と妹は赤い浴衣の少女たちを目撃していました。
なので
・赤い浴衣の少女たちによって催眠状態になった
・赤い浴衣の少女たち=祇園祭宵山の精霊
としていた考察は裏付けられたのではないでしょうか。姉も妹も宵山化していたと考えられそうですね。二人ともこの状態であれば、半・赤い浴衣の少女であった妹を助けられたことにも納得がいきます。
[大坊主と舞妓の世界]
妹を捜索する姉にとって、大坊主と舞妓が重要なキャラクターでした。この二人は「宵山劇場」でそれぞれ高薮と岬先生が演じていましたが、どうやら彼らとは違う存在のようでした。そのほかにも、乙川が可愛がっていた奥州斎川孫太郎虫が登場したり、山田川たちが苦心していた金魚玉もありました。まるで、宵山劇場で山田川が作り上げた世界が、そのまま命をもって動き出したようでした。これは一体どういうことだったのでしょうか。山田川は宵山のことを知った上でこれを作り上げたのでしょうか。それとも乙川に頼まれていたのでしょうか。はたまた、山田川も宵山の住人なのか。いろいろなことが考えられましたが、今まで使ってきた現実と幻想が表裏一体であることをイメージしてみました。
両者はお互いに影響しあっていて、現実のものは幻想に、幻想のものは現実になるのではないでしょうか。宵山劇場での大坊主、舞妓は現実であり、幻想の世界ではそれに命が灯っている。孫太郎虫も同様ですね。それは逆の順番になることもあると思います。幻想世界で大坊主と舞妓が存在したからこそ、現実世界で大坊主、舞妓というキャラクターを山田川が作ったのではないでしょうか。
ともすれば、私たちの世界の裏側でも私たちに似た「何か」が存在するのではないでしょうか。それは、有名俳優が演じる役であり、過去の偉人であり、空想上の主人公かもしれません。それが幻想の世界であり、本書での「並行世界」であると考えます。パラレルワールドと言ってしまうと、この神秘的な現象というか不思議な発想は埋もれてしまう気がしてなりません。いい表現は見つからないものか。
[和服姿の骨董屋]
ついにその正体が明らかになりましたね。宵山様に続く最後の屋上で、巨大な万華鏡に水晶玉を詰める和服の骨董屋が現れました。ようやく商会から買い上げたと言っていますが、この骨董屋とは。皆さんがご想像のとおり、これは藤田の奈良県人会の先輩で柳画廊の柳さんを追い詰めた「乙川」が働く骨董屋に間違いありません。ここでの商会とは、乙川が働く骨董屋「杵塚商会」です。前述したように、乙川はじめ杵塚商会の人間は、人であり人ならざるものである。幻想世界に迷い込んだ人ならざるものを現実に戻し、現実世界に迷い込んだ人ならざるものを幻想に戻す管理人の役割を担っています。この和服姿の骨董屋は、杵塚商会から水晶玉を買い上げたと言っているため、和服の骨董屋=杵塚という可能性は低いかもしれませんね。
ただ、世界は表裏一体です。現実と幻想が互いに影響し合うとすれば、現実世界では商会の一員・杵塚が幻想世界では、宵山様専属の骨董屋であることもあり得ます。なので、この水晶玉は幻想世界から迷い込んだものであり、戻す必要がある。
そこで、幻想世界の杵塚が現実世界の杵塚に探すようにお願いし、杵塚は乙川にお願いした、と考えます。ここでの乙川はどっちの世界の人間なのでしょうか。個人的には、柳さんの元に現れた乙川は幻想世界で、現実世界の乙川は藤田を騙すために必死になっていてほしいです。
[宵山様と宵山万華鏡]
宵山劇場で超金魚だった宵山様は、宵山の世界で「赤い浴衣の少女」であることが明らかになりました。それは、姉妹や千鶴と京子、柳さんが目撃した少女であって、そうではないです。姉が宵山万華鏡を覗くと、宵山の喧騒の中を歩いていく人々見ることができました。
ここである仮説を立てます。
「宵山様が万華鏡から覗いた先に赤い浴衣の少女が出現する」
ということです。
宵山様が万華鏡から覗いた先の描写はどれも赤い浴衣の少女が駆け抜けていった様子を思い起こさせます。そして、その中から自分がほしいと思ったヒトやモノを自分のものにする能力を持っていると考えます。そのため、宵山の夜はヒトやモノが忽然と姿を消すのでしょう。そして、この能力は赤い浴衣の少女たちが宵山様の元まですぐに連れてきてくれるものであり、連れ去られてきたら宵山様の任意の姿に変えられてしまう。それはダルマであったり駒形提灯であったり、金魚玉の金魚であったりします。こうなると、大きな鯉から姿を変えた龍が食べたダルマは一体何だったのか。想像すると怖くなります。
しかし、宵山様には思いもよらぬことがずっと起こっていました。それは、万華鏡に水晶がなく、その能力が発揮できていないことです。少なくとも15年以上、水晶玉は柳さんの父が持っていたため、宵山様の連れ去る能力は弱くなっていたのではないでしょうか。弱くなっていたおかげで、妹は連れ去られなかった。柳さんも助かった。その反面、河野画伯や柳さんの父のように宵山の中で苦しむ人もいたのではないでしょうか。15年前はその能力は十分に発揮されていた。実際、京子がいなくなったのは一瞬でしたから。
そして最後、宵山様はあらゆる手を使って姉を引き止めてきます。欲しかった風船や金魚、光る粒など。ここで一つでも受け取っていたら戻れなくなっていたことでしょう。また、姉が現実世界に戻れた最大の理由は「妹を助けること」を覚えていたからでしょう。姉は万華鏡を覗いたときその世界に魅せられてしまい、時間が経ったことに気づきませんでした。同様に、姉とはぐれた妹も赤い浴衣の少女たちと会って催眠状態(時間の感覚をなくす)になりました。妹はちょっと現実忘れていましたね。姉が足にしがみついたことで思い出しましたが。話を戻して、姉がここにきた目的「妹を助けること」を覚えていたため宵山様から逃げ切ることができ、大坊主と舞妓も手助けをしてくれたのでしょう。
ところでこの逃亡劇の最中で、また万華鏡から水晶玉が落ちています。再び現実世界に転がり込んでしまいました。幻想の杵塚は現実の杵塚に指示をだし、杵塚は再び乙川に捜索するよう命じることでしょう。孫太郎虫をかわいがっていた乙川はやれやれといった表情で立ち上がる。
「宵山万華鏡」いかがでしたでしょうか。
特に最後、姉妹が手を握り合って、宵山から駆け出して帰路につくシーンは感動です。こうして宵山を越えた二人は成長していったことを示しています。
また、読書目線としても宵山万華鏡の世界から抜け出させてくれたような、そんな爽快な空気を感じました。
3. 全体考察(あとがきより)
「祭りは神秘的であの異世界に迷い込んだ感覚が私を惹きつける」
「こんなにも怖がりな自分が果たしてオトナになれるのだろうか」
本当にこの二つの文章に全てが込められています。
もう言葉は必要ありません。皆さんがこの二つの文章を読んで抱いた思いこそが、森見先生が今作で描きたかったことでしょう!
4. おわりに
ここまで長々と書き続け、最後までお読みいただいた方には感謝の言葉を伝えたいです。私の思うがままに文章を書くことは非常に楽しく、無手勝流に本を嗜んでいました。まさか全部読んでいただけるとは、8割の人は変態のような人なのではないでしょうか。残り2割は変態です。
個人的に森見登美彦先生の作品をすべて読破しましたが、本作「宵山万華鏡」はその中でも怪作といって然るべき一冊でしょう。
森見先生の持つ世界観 ー 四畳半シリーズや夜は短しのようなファンタジー要素と夜行やきつねのはなしのようなダークSFの要素 ー が凝縮されています。
すでに本作を読んでいる方は、もう一度読み直して見てください。その際、新しい発見がございましたら、コメントで教えていただけると嬉しいです!
まだ本作を読んでいない方は、是非ともご一読ください。細かい描写や言い回しに酔いしれること間違いなしです。その際、読んでよかったなと思いましたら、コメントで教えていただけると嬉しいです。
今後も引き続き、森見登美彦作品の感想を記事にする予定です。
基本的に自由に選んでいきますが、リクエストあったらほどほどに受けさせていただこうと思います。
ここまで本当にありがとうございました。
では。
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