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【読書感想②】森見登美彦「宵山万華鏡」(2)

今回も読書感想記は「宵山万華鏡」を紹介します。
前回では収まりきらなかった話の続きとなります。
気になる方は前回の記事を読んでから、今回の記事に進んでください。

また、この機会にぜひ本書を手にとってみてください。

「宵山万華鏡」(2012)

著者 :森見登美彦 
出版年:2009年(文庫版,2012年) 
出版元:株式会社集英社

まだお読みでない方はこちらからご購入ください!


1. はじめに

※注意事項

本記事では「宵山万華鏡」の内容を踏まえた上で感想をまとめました。
つまり、各話のあらすじや内容を詳細にしているため全編にわたりネタバレが多くなっているということです。
まだ読み始めていない人や楽しみをとっておきたい人は、本記事を読まないことをおすすめします。
ただし、読み終えた人にとっては、私独自の解釈を踏まえた「答え合わせ」のようになるので十分にお楽しみいただけると思います。

宵山万華鏡とは

宵山万華鏡は、森見登美彦氏の小説家活動9作目の作品です。

舞台は、京都府。
祇園祭宵山での一日を6つの不思議な物語で綴る連作短編集です。
同氏の定番ともいうべき舞台・京都において繰り広げられる6つの短編は、それぞれ大きな幻想でもあり馬鹿げた笑い話でもあり、それでいて現実のような恐怖と不思議さをもっています。

宵山とは何なのか、祭がもたらす熱狂とは何なのか、現実と非現実の境界線はどこにあるのか。目まぐるしく変化する万華鏡のような世界に誘われる一冊です。

と、前置きはこのくらいで、いよいよ本編に進みます。

それでは、はじめましょう。

2.各話のあらすじと考察

【宵山劇場】

ー あらすじ

第三話「宵山劇場」という短編です。先の短編「宵山金魚」のめくるめく幻想的な舞台はどのように準備されたのかを描いています。主人公は、京都の大学に通っている小長井という男です。大学の友人・丸尾が先輩である乙川という男に「偽祇園祭」を作ることを頼まれ、その手伝いをしてほしいと言われた小長井はしぶしぶ引き受けることになります。

偽祇園祭にむけた全体集会で、小長井はかつての敵ともいうべき女性・山田川に遭遇する。小長井と山田川はかの有名なゲリラ演劇プロジェクト「偏屈王」の舞台セットを担当した同志であった。しかし、山田川の押し付ける無理難題に嫌気がさし、小長井は袂を分かっていた。再びタッグを組んだ二人の力関係は相変わらずであり、小長井はあちこちを奔走し着々と準備を進めていく。

準備は昼夜を問わず続けられ、道具調達を任命された小長井は、今回もヘトヘトになって文句をブツクサいいながら、山田川の要求に応えていく。そして、迎えた偽祇園祭当日、乙川の号令のもと祇園祭司令部の宵山が始まる。

以上が「宵山劇場」というお話です。

ー 考察

いやもう本当に、どうしてこんなに好きを散りばめてくるのかな、最高です。

すみません。つい語彙力をなくしてしまいました。

「宵山劇場」は「宵山金魚」の舞台裏を描いています。普通の大学生・小長井が友人の丸尾によって、不思議な男の乙川、天敵ともいうべき女性の山田川に翻弄されながら、偽祇園祭を作るために奔走します。これは言うまでもなく、多くの森見登美彦ファンが歓喜に包まれる「四畳半シリーズ」の大学生のテイストを含んだ展開になっています。あちこちに聴き馴染みのある言葉や甘酸っぱい恋愛要素が隠れていましたね。

例によって、振り返りです。
この話の登場人物は主に6人です。

  • 小長井(主人公)

  • 丸尾

  • 山田川

  • 乙川

  • 岬先生

  • 高薮

今回は森見登美彦氏が描く、王道コメディだったので、前回と同様考察の余地はありません。ただ、これは見逃すことができないというポイントがいくつもあったので一つずつ深掘りをしていきましょう。

今回の深掘りポイントは以下のとおりです。

  • 小長井と丸尾という男たち

  • 偽祇園祭・祇園祭司令部

  • 偏屈王の舞台裏

  • 小長井と山田川の関係

一つずつ解説していきましょう。

[1. 小長井と丸尾という男たち]
小長井と丸尾は大学の同級生です。普段はそこまで仲が良いわけではないですが丸尾と同じ実験グループだったことで、小長井は偽祇園祭に巻き込まれていきます。
この小長井と丸尾に、私は「四畳半シリーズ」の「私」と「小津」を見ました。

丸尾と小津は全く違うようで一つ似ているところがあります。それは「先輩の誘いを受けてしまう」ところです。小津が城ヶ崎先輩や相島先輩から寵愛を受けいろいろと画策していたように、丸尾も同じ奈良県会の先輩である乙川から偽祇園祭の誘いを受けます。そして、いつ何時でも主人公の隣というポジションで寄り添ってきます。夜風が冷たいことはありませんがね。

小長井はなかなかどうして器用です。かつては、大学中を沸かせた大きな舞台の資材調達という栄光をむしろ最悪の記憶として抱えています。その記憶とともに、場面の随所で文句をぶうぶう言いながらもきっちりと仕事をこなす姿には感服です。「どうしてこんなことをしなければ」と文句を言いながら、次々と積み重なっていく仕事に向き合います。先のことは考えられず、ただこの一瞬を必死に生きていく様は、今思えば充実していた大学生活であり、四畳半そのものです。丸尾が随所で小長井のガス抜きをしてくれたおかげでなんとか偽祇園祭の準備を駆け抜けられました。小津とはまた違う相棒の形です。

[2. 偽祇園祭・祇園祭司令部]
続いて、偽祇園祭・祇園祭総司令部です。偽祇園祭のために使われたものや人物の姿が明らかになりました。
 ・高薮=怪僧大坊主(孫太郎虫つき)
 ・岬先生=偽舞妓
 ・超金魚=宵山様(バレエ教室のあるビルの屋上に鎮座)
高藪は、もともと大柄な男でしたが、山田川の演出によってあれこれいじられていくうちに何かわからなくなりました。白塗りになって招き猫を握りつぶして、孫太郎虫を噛み砕いて、と思ったら全身白塗りにされて。その上に丸坊主。高藪の押しに弱い性格と山田川の強気な性格が伺えます。
岬先生は、普段「宵山姉妹」で出てきたバレエ教室で洲崎先生とともにバレエを教えています。すらっとしなやかな手足に色白の顔、華奢な体が舞妓さんにぴったりです。それでいて、小長井がバイトをしているコンビニの常連でもあります。その発言から小長井の気持ちに寄り添い、ある意味どんかんな小長井にヒントを与えています。
超金魚は皆さんもお馴染み「宵山様」です。「宵山姉妹」で姉妹が屋上に続く階段で超金魚を発見し、その場に居合わせた麦わら帽子の女性に怒られる一幕がありました。今思えば、これは岬先生であり良い山様ですね。

そのほかにも、思わずニヤリとしてしまう言葉がありました。奥州斎川孫太郎虫、赤玉ポートワイン、ゲリラ演劇「偏屈王」などなど。また、小長井のバイト先には加茂茄子のような先輩がいました。これは師匠・樋口清太郎でしょうか。しかし、あの師匠がバイトをするわけはない、でも普段はどこかをふらついている。可能性という言葉を無限定に使ってはいけませんが、想像が膨らみますね。

[3. 偏屈王の舞台裏]
これはまさかまさかでした。プリンセスダルマやパンツ総番長がなんとも愛おしくなる「夜は短し歩けよ乙女」から「偏屈王」の舞台裏がわかりました。偏屈王は学園祭のいたるところでゲリラ演劇をし、学園祭事務局と熾烈な攻防を繰り広げていました。まさか、その舞台制作に小長井と山田川がいたとは!
大学の小さな劇団で山田川の強引な舞台制作に疲れ果てた小長井は、学園祭で「風雲偏屈場」を餞に劇団を去ります。あの爽快な舞台の裏で一人の男が表舞台からそっと身をひいていました。

[4. 小長井と山田川の関係]
ともするとこの二人、小長井と山田川はどういう関係なのでしょうか。山田川にとって小長井は部下であり、下僕でした。無茶苦茶な要望を押し付けその妥協ない山田川の情熱は次第に小長井を引き剥がしていきました。しかし、これは舞台の芸術でしか表現できない山田川の不器用な愛情でした。それは小長井にとっても同じでした。最下層の人間として舞台の資材調達に駆け回り、舞台の制作に熱情を注いでいた劇団のでの日々は「満たされた毎日」でした。退団後はぐうたらしたままで、誰も何も自分を起動させるものはありません。
そうして出会った二人。離れていた時間が何をもたらしたのか。

小長井のエンジンは、山田川敦子無しには起動しないのであった。

宵山万華鏡「宵山劇場」より

二人の気持ちが少しだけ通い合うラストの会話には、大学生時代を思わせる甘酸っぱい恋愛模様が垣間見れました。この後、二人がどうなったかは描かれていません。この考察でも、詳細に説明することは差し控えたい。なぜなら、成就した恋ほど語るに値しないものはない、ですから。

「宵山劇場」いかがでしたでしょうか。

他の短編とだけでなく、森見登美彦氏の他の作品とも関わり合う要素が多いため、他の作品を読めば読むほど楽しくなる、そんな仕掛けもあるお話でした。

みなさんの意見や考察もぜひ聞かせてください。

【宵山回廊】

ー あらすじ

第四話「宵山回廊」という短編です。地元、京都の銀行窓口で働く千鶴という女性と失踪した従妹、その父親である叔父の3人の身に起こった「宵山」での出来事を描いています。

宵山の日、以前から親しくしている柳画廊の柳さんの勧めもあり、千鶴は叔父の元を訪ねました。久しぶりに訪ねた叔父の姿は、おかしなくらい老けこみ、その上、千鶴の次の行動が読んでいるかのような発言をしている。叔父の様子がどうもおかしい。

叔父は以前、柳さんから万華鏡ももらったことがきっかけで万華鏡に興味がありました。ある宵山の日も屋台で万華鏡を買い、過ぎゆく人の群れの中でくるくると形を変える様子を楽しんでいました。その中に、赤い浴衣を着て賑わいを金魚のように泳いでいく少女を見かけます。それは、15年前に失踪したはずの娘の姿でした。

それ以来、叔父は永遠の宵山を繰り返し、娘を探しては見つけ、それでも手が届かない。今日も叔父は宵山へと出ていき、千鶴はその姿を追いますが見失ってしまいます。雑踏に混ざって探しているとその中を、赤い浴衣の少女たちが駆け抜け、そこには失踪したはずの従妹があの日のままの姿でいました。走り去る従妹、その先にいる叔父は、やがて宵山の明かりに消えていきました。追いかけようとした千鶴は、とっさに現れた柳さんによって止められました。

以上が「宵山回廊」というお話です。

ー 考察

本当にゾクゾクしますよね。これぞ森見作品の恐怖というか気味の悪さですね。

「宵山回廊」の鍵は間違いなく失踪した従妹・京子でしょう。15年前の宵山で失踪してから、娘を探し続けある宵山を境に、永遠の宵山に飲み込まれた叔父。今回の宵山で失踪したあの日と変わらない姿で現れた京子を追って、宵山に飲み込まれそうになった千鶴の対比です。少し残酷な表現ですが、「現在」を生きる千鶴と「過去」を生きる叔父という話でした。

彼女は従妹の生きている姿を思い描くことができなかった。
ただ写真の中で微笑む従妹の姿だけが浮かんだ。

宵山万華鏡「宵山回廊」より

例によって、振り返りです。
この話の登場人物は主に4人です。

  • 千鶴(主人公)

  • 叔父(河野啓一?)

  • 京子(従妹)

まずは柳画廊・柳さんです。今までの短編で名前は少しずつ出ていましたが、はじめて本編にちゃんと登場しました。柳さんと聞いて最初に思い浮かべるのは、やはり「夜行」でしょう。今作とは別の「夜行」という作品でも柳画廊の主人で登場し、登場人物に寄り添うキーマンとして描かれています。どうしてここで柳さんを登場させたのか、意味深ですね。

「宵山回廊」での私の考えは以下のとおりです。

  1. 赤い浴衣の少女たちによる「宵山化」

  2. 叔父と従妹の世界

  3. 夜行との共通点

一つずつ解説していきます。

[1. 赤い浴衣の少女たちによる「宵山化」]
以前にもお話ししている「宵山化」が今回も起こっています。改めて説明すると、「宵山化」とは、現実と幻想の境界線がぼやけることであり、その発生条件として「赤い浴衣の少女たち」を目撃することとしています。

宵山の半年前の冬に、柳さんからもらったことをきっかけに以来、万華鏡に興味を持っています。今年の宵山も、屋台に並ぶ万華鏡を買い見物客を見ていると、赤い浴衣の少女たちが泳ぐように横脇を知り抜けました。そして、その中に失踪していた娘・京子の姿を見つけます。その後の捜索も虚しく、見つけることはできず家に帰り眠りにつくとまた宵山の日でした。
これ以来、叔父は毎日宵山に出かけていきます。

叔父は赤い浴衣の少女たちによって、現実世界から幻想世界に引き込まれ閉じ込められているのではと考えられます。実際、千鶴は数ヶ月ぶりにあった叔父が異常に老けていることに疑問を持ちます。これは、叔父がどれだけ宵山を繰り返しているのかを間接的に表しています。

しかし、ここである不可解な点があります。それは「時間軸のずれ」です。

叔父と千鶴は半年前の冬に柳さんと万華鏡の話をし、それ以来の再会になるため二人の間だけでなく、時間としても宵山は一回しか来ていません。千鶴にとっては、宵山の当日の夕方ごろ叔父の家を訪れています。なのに、叔父はすでに宵山の夜に出かけ「宵山化」し、閉じ込められています。片方は夕方、片方は夜。どうなっているのでしょうか。

考えられるとすれば、並行世界の存在ではないでしょうか。森見作品では、四畳半神話体系に代表されるように、並行世界での解釈が可能です。あのときこうしていればの世界が、無数に並行に広がっていきます。どこまでいっても四畳半が広がっていたこともありますね。今回は2パターンを紹介します。

  • 叔父の世界が並行している場合
    叔父の世界の並行している場合は、本編内の内容と同じです。叔父が並行世界に迷い込み、同じ宵山を繰り返します。しかし、これでは、時間的矛盾を説明しづらくなります。そこでもう1パターンです。

  • 千鶴の世界が並行している場合
    千鶴の世界が並行している場合、時間的矛盾を説明できます。本編でもありましたが、叔父の元には並行世界での千鶴が何回も訪ねています。
    これは、
    ・並行世界での千鶴は夕方に叔父と話をして、宵山には行かず帰っている。
    ・千鶴と叔父はともに宵山へ行き、従妹の京子とともに消えている。
    以上の可能性も考えられます。
    今回の千鶴は、
    ・気がついたら宵山に行っていた叔父を追って、宵山へ行き叔父と京子に連れ去られそうなところを柳さんに助けてもらう。
    つまり、叔父は普段と変わらず宵山に行っていて、そこでとる千鶴の行動が変わっている、ということです。これなら、千鶴が夕方、叔父が夜であることを説明できそうです。

[2. 叔父と従妹の世界]
かくして、叔父と従妹は宵山の世界に閉じ込められています。以前にもご紹介したように、祇園祭宵山の精霊ともいうべき赤い浴衣の少女たちに遭遇することで宵山の世界が姿を現し、取り込んでしまいます。千鶴も赤い浴衣の少女たちに遭遇し、その中の一人が従妹・京子でした。この時点で半分、赤い浴衣の少女たちのいる宵山の世界に取り込まれていたのではないでしょうか。そこを引き止めてくれたのが柳さんということでしょう。

主人公の千鶴、そして姉妹のように仲が良かった従妹の京子。この二人を「宵山姉妹」に当てはめて考えてみました。最初、妹は赤い浴衣の少女たちに魅せられ連れ去られそうになります。そこを、姉が引き止めてくれました。
もしも、あのとき引き止められなかったとしたら。
妹=京子になるのではないでしょうか。赤い浴衣の少女たちに連れ去られ、永遠の宵山に存在する。今回は助けられましたが、連れ去られてしまった場合、姉=千鶴になり、母=叔父になることも考えられそうですね。

千鶴は15年前の宵山で、京子に赤い浴衣の少女たちについていかないかと誘われています。あのとき「行かない」と答えた千鶴は、今回の宵山でも京子(精霊)に誘われています。今回も「行かない」と答えた千鶴でしたが、あの日の後悔から思わず追いかけてしまいます。もしも、あのまま追いかけていたら、千鶴と京子はもう一度姉妹になれたのかもしれませんね。

[3. 夜行との共通点]
「宵山回廊」では、他の作品「夜行」との関連性があると考えています。それは単純に柳画廊の存在があるでしょう。「夜行」では、ある永遠の夜を描いた夜行と、それと対をなす、たった一日の朝を描いた曙光という絵が存在します。登場人物はみな、柳画廊で夜行に魅せられ、不気味な世界へと迷い込んでいきます。

発売としては夜行の方が後ですが、時間軸は明確ではないので宵山万華鏡に夜行の要素を持って解釈してもいいかなと思います。夜行では、「夜行」の絵を見ることで異世界に迷い込みました。宵山回廊では、「赤い浴衣の少女たち」を見ることで異世界に迷い込んでいます。しかも、夜行の世界では、夜行と曙光という二つの世界が表裏一体で背中合わせになっていて、その扉はさまざまな場所、時間に存在するとのことでした。夜行のときも、鞍馬の火祭りでその扉が開かれていました。祭りの熱狂や喧騒がそうさせるのか、祇園祭宵山のある今作でもその扉は開かれていたようです。あえていうのであれば、宵山と蟷螂山という世界が表裏一体となっていたのではないでしょうか。永遠の夜(=幻想)の宵山と、たった一つの朝(=現実)の蟷螂山。

「宵山回廊」いかがでしたでしょうか。

宵山の夜には一体何があるのか。ところで、千鶴も洲崎先生のバレエ教室に通っていたことが明らかになりました。もしかすると、洲崎先生が宵山への水先案内人なのでしょうか。実際に行ってみるのもいいかもしれません。

みなさんの意見や考察もぜひ聞かせてください。

【宵山迷宮】

ー あらすじ

第五話「宵山迷宮」という短編です。画廊主・柳のもとに現れる気味の悪い男・乙川と、宵山に出かけていく河野画伯の姿。宵山がもたらした一日に起きていた出来事をこの3人を中心に描いています。

柳画廊の画廊主・柳が迷い込んだ永遠ともいえる宵山の一日。柳は宵山の朝、起きてくると母が蔵で何かを探していることに気づく。様子が気になりながらも、河野画伯の元へ出かけたり、画伯の姪御の千鶴が訪ねてきたり、知り合いの夫婦がお酒に誘ってきたりと、何も変わらない宵山の一日を過ごしています。すると、最近しつこく電話をかけてくる杵築商会の乙川という男が訪ねてきて、不可解な死を遂げた、今は亡き父に渡した水晶玉を返してほしいという。適当にあしらい、安堵の床につく。目を覚ますと再び宵山の一日が始まります。

困惑しながら宵山を何日も彷徨う柳は行動を少しずつ変えていきます。しかし、その先に必ず乙川が現れます。柳は何回も会っているようだが、乙川にとっては毎回初対面になっている。抜け出せない宵山に狼狽していると河野画伯から「君も宵山を繰り返しているんだろう」と電話がかかる。謎が少しずつ明らかになる。

母は毎朝蔵に行って父の水晶玉を隠している。その水晶玉こそ父が魅せられてしまい、不可解な死を招いた万華鏡でした。万華鏡はこの世のものではない品物であり、それを乙川に渡すことで宵山から抜け出すことができました。そして、赤い浴衣を着た少女たちに連れ去られそうな千鶴を助ける。

以上が「宵山迷宮」というお話です。

ー 考察

正直なところ、いまだにこの話の意味がわかっていません。
それもあって、あらすじをうまく掴んで書くことができなかったように思います。
でも、個人的に全短編の中で「最も魅せられた」作品です。

「宵山迷宮」は柳画廊の画廊主・柳を中心に、宵山に読み込まれた叔父やいくつもの宵山を渡るように現れる乙川。父がもち母が隠そうとしていた水晶玉の正体は何なのか。宵山はなぜ続いてしまうのか。今まで不透明だった部分が少し明らかになりましたね。

例によって、振り返りです。
この話の登場人物は主に4人です。

  • 柳(主人公)

  • 乙川

  • 河野画伯(千鶴の叔父)

  • 柳の母

今回の鍵となるのは「河野画伯」ではないでしょか。「宵山回廊」では千鶴の視点で叔父である河野画伯が描かれていたのでやや不明な点がありましたが、今回の河野画伯は宵山と自分の運命を客観視した存在として、柳を答えに導いていました。

「宵山迷宮」での私の考えは以下のとおりです。

  1. 河野画伯の宵山と柳の宵山は別世界

  2. 乙川は現実世界におけるバグのような存在

  3. 水晶玉=宵山化の根源

一つずつ解説していきます。

[1. 河野画伯の宵山と柳の宵山は別世界]
「宵山回廊」で河野画伯が閉じ込められたように、柳は父が亡くなって初めての宵山を繰り返しています。これまで、宵山化による世界は一つなのではないかと考えていました。実際、千鶴の従妹・京子は失踪したあの日から宵山にいました。しかし、「宵山迷宮」によって別世界のある並行世界の存在が現実となりました。

河野画伯は宵山回廊の時点ですでに宵山に飲み込まれ、宵山迷宮でもまだ飲み込まれたままです。同様に、柳も宵山に飲み込まれていますが、二人は同じ場面を繰り返しながら、それぞれが違う世界の住人でした。

ーーーーーーー河野宵山化ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーー柳宵山化ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夫婦宵山化ーーーーー
この図で簡単に説明すると、棒の数=宵山とします。片方が宵山、片方が現実であったときどうなるのか。それは現実にいる柳にとって「認識していない自分が存在」することになります。その自分と河野画伯は会っている。それは柳と知り合いの夫婦にもいえます。この夫婦が仮に宵山になったとき、柳はそうなる前の夫婦に宵山であっています。でも、この夫婦はそれを認識していない、正しくは認識できないというべきでしょうか。

こうなると、宵山が毎日存在していることが何となくイメージできます。画伯は柳に対して「どうして同じ宵山に______ 」と言っていますが、宵山は共通世界のようで異なる並行世界です。同じ宵山の住人であるというよりか、この時点では、柳の宵山と河野画伯の宵山が重なったのではないでしょうか。

僕はね、柳君。この宵山の世界にとどまっても構わないと思っている。しかし、なぜ君のような人間が迷いこんだのだろう?

君は何をしたんだ?

宵山万華鏡「宵山迷宮」より

ここで一つ不可解な点が残ります。

それは「叔父はなぜ今回の宵山で娘の元へ行けると断言したのか」です。

宵山の繰り返しは先がどうなるのか予想ができません。明日こそ明後日こそと思っていても繰り返してしまいます。それでも断言できたということは何か法則やヒントが見つかったのでしょうか。柳さんでいえば、乙川に水晶玉を返すことが抜け出すための答えだったように感じます。

[2. 乙川は現実世界におけるバグのような存在]
ここまでくると乙川という男は一体なのなのかと聞きたくなります。この事実を責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

私は乙川=宵山の住人であり、現実世界にいてはいけないバグなのではないかと思います。普段、骨董屋を営む杵築商店ではたらく乙川は、元々は宵山の住人であり

宵山が宵山であるための管理人=宵山と現実を交わらせないように管理する立場

なのではないでしょうか。
年に一度、祇園祭宵山という祭りがそうさせるのか、境界線がぼやけ両者が交わってしまうと、ヒトやモノが現実世界に入り込み混乱を生みます。それが、ヒトでいうと妹、京子、河野画伯そして柳です。全員宵山に飲み込まれ異世界にいました。そして、モノでいうと柳の父がもっていた「水晶玉」です。

万華鏡の先端には小さな水晶玉が入っています。今回、柳の父がもっていた水晶玉はそれと比べると非常に大きいです。河野画伯はその大きな水晶玉も万華鏡に入っていたのだといい、「人ならざるものが持つもの」と言っていました。乙川はさらに「水晶玉は世界の外側にある玉であり、今宵はこの玉の内側にいる」と言っています。

これらのことから

  • 乙川は人ならざるものがいる世界(宵山)の住人

  • 水晶玉は人ならざるものの世界のもの

  • 水晶玉の内側=宵山の世界

以上のことが考えられるのではないでしょうか。水晶の中では、赤い金魚がゆらめくようであり、水晶があった蔵から赤い浴衣の少女たちが駆け出していました。
乙川は宵山の世界の管理人として、祇園祭宵山のたびに交ざり混んでしまったヒトやモノを現実世界に戻しているのでしょう。水晶玉は柳の父がもっていたため取り返せなかった。もしかすると、柳の父が水晶玉をもった日から宵山の世界は少しずつこぼれていたのではないでしょうか。正確な保有開始時期はわかりませんが、少なくとも河野画伯の娘・京子が失踪した15年前にはすでに保有していたといえます。それと同時に、父にとって永遠の宵山が始まった。すっかり狼狽した父は、病気で亡くなったとされているが、実際はどうなのか。一つわかることは、父はその水晶玉に魅せられてしまい、宵山に殺されたことです。

またずっと考察している「宵山化(=現実と幻想の境界線がぼやけること)の発生条件を「赤い浴衣の少女たち」の出現としていました。今回、宵山に飲まれた描写は赤い浴衣の少女たちが出てくる前でしたが、今回は水晶玉がありました。読み返すと、冒頭から柳の母は水晶玉を隠しています。つまり、この時点で宵山化していると断言でき、宵山の根源ともいえるその水晶玉から赤い浴衣の少女たちがこぼれていきます。なので、この発生条件は外れていないと思います。

[3. 水晶玉=宵山化の根源]
前述したように、水晶玉の内側に宵山の世界があり、そこから宵山の世界はこぼれ落ちています。このことから、水晶玉=宵山化の根源であると考えられます。そして、宵山の世界にあるものは現実世界に存在してはいけない。管理人である乙川は両世界も秩序を保つ存在なのでしょう。おそらく毎年の宵山で交ざりこむヒトやモノがある。飲み込まれた京子、交ざりこんでも戻らないことを決めた河野画伯。

ここで一つ疑問があります。

乙川はなぜ柳の父の水晶玉を15年以上もそのままにしたのか

ここからは完全に推測ですが、乙川はずっと探していたんだと思います。見つけたと思うたび、見失っていた。それは祇園祭宵山の喧騒が隠したものであり、水晶玉自体が万華鏡のように姿形を変えていたからではないか、とするとまた想像が膨らみますね。水晶玉は逃げるなかで現実世界に歪みを生んだ。それは他の作品の「ペンギン・ハイウェイ」でアオヤマが出会ったお姉さんであり「海」のような存在だったのではないでしょうか。現実ではない、人ならざるものとの出会い。

「宵山迷宮」いかがでしたでしょうか。
うまく解説できていたかわからないので、整理できたら更新する予定です!

宵山とは、水晶玉とは、赤い浴衣の少女たちは一体。いろんな謎が少し判明したお話でしたね。千鶴が最後に初めて見た叔父は、叔父にとって最後の宵山であり、柳にとっても最後の宵山でした。ところで、乙川がヒントを出して、柳を宵山から抜け出させないと千鶴は助からなかったと思うとゾッとしますね。でも、京子と千鶴はまた姉妹に戻れたのだから幸せだったのかも。千鶴の永遠の宵山が始まる。

みなさんの意見や考察もぜひ聞かせてください。


3. 突然ですが、今回も。

ここまでいかがでしたでしょうか。
あと1話分というところで、今回も書きすぎているなと思いました。

ここまで小さな要素を書いてくる森見先生には脱帽です。たくさんの要素が視点によってその意味を変える様子はまさしく万華鏡と呼ぶにふさわしいです。

本当は今回で書き切りたかったのですが、あまりに多すぎるので分割することにしました。最後の記事もすぐに投稿予定なので、そちらもぜひ読んでみてください!

では、失礼いたします。

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