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【読書感想①】森見登美彦「宵山万華鏡」(1)

今回の読書感想記は「宵山万華鏡」を紹介します。
この機会にぜひ本書を手にとってみてください。

 「宵山万華鏡」(2012) 

著者 :森見登美彦 
出版年:2009年(文庫版,2012年) 
出版元:株式会社集英社

まだお読みでない方はこちらからご購入ください!




1. はじめに

※注意事項

本記事では「宵山万華鏡」の内容を踏まえた上で感想をまとめました。
つまり、各話のあらすじや内容を詳細にしているため全編にわたりネタバレが多くなっているということです。
まだ読み始めていない人や楽しみをとっておきたい人は、本記事を読まないことをおすすめします。
ただし、読み終えた人にとっては、私独自の解釈を踏まえた「答え合わせ」のようになるので十分にお楽しみいただけると思います。

宵山万華鏡とは

宵山万華鏡は、森見登美彦氏の小説家活動9作目の作品です。

舞台は、京都府。
祇園祭宵山での一日を6つの不思議な物語で綴る連作短編集です。
同氏の定番ともいうべき舞台・京都において繰り広げられる6つの短編は、それぞれ大きな幻想でもあり馬鹿げた笑い話でもあり、それでいて現実のような恐怖と不思議さをもっています。

宵山とは何なのか、祭がもたらす熱狂とは何なのか、現実と非現実の境界線はどこにあるのか。目まぐるしく変化する万華鏡のような世界に誘われる一冊です。

と、前置きはこのくらいで、いよいよ本編に進みます。

それでは、はじめましょう。

2.各話のあらすじと考察

【宵山姉妹】

ー あらすじ

第一話「宵山姉妹」という短編です。地下鉄烏丸御池駅から徒歩で数分の三条通に面したバレエ教室に通う小学生の姉妹の話です。姉は活発的で物事をぐんぐん進める人、それに対して妹は慎重的で臆病な人、という印象です。

祇園祭の今夜も、姉は宵山に行くと言って聞かず、バレエ教室の洲崎先生の制止を振り切って妹の手を引いて宵山に駆け出していきます。人や屋台で賑わう宵山の途中で、妹は赤い浴衣を身に纏った少女たちに目を奪われます。たった一瞬でした。妹は姉とはぐれてしまう。どこを探しても見つからず街を彷徨っていると目の前に、さっきの赤い浴衣の少女たちが現れました。

赤い浴衣の少女たちは、妹の手を引きながら宵山の喧騒の中を泳ぐようにスルスルと駆け抜けていきます。そして、「空にも金魚鉾がある」と言って赤い浴衣の少女たちは、すっかり黄昏になった宵山の空へ浮かび上がっていきます。それにつられるように浮かび上がった妹の足を、突然つかむ感触がありました。下を見るとはぐれたはずの姉が妹の足を強くつかみ引き留めていました。
 ようやく妹を取り返した姉は、二人で手を取り合いながら家に向かって歩きはじめた。

以上が「宵山姉妹」というお話です。

ー 考察

率直にいって、おもしろいのに怖すぎました!
次々と変わっていく展開についていくとどんどん怖くなっていく様子がリズミカルかつ臨場感をもって描かれていました。まるで、私たちが妹になって赤い浴衣の少女たちに手を引かれているようでした。おかしいことはわかっているのに不思議と怖くない。怖いのに怖くない、そんな感覚でした。

早速、振り返ってみましょう。
この話の登場人物は主に5人です。

  • 妹(主人公)

  • バレエの洲崎先生

  • 画廊の柳さん

  • 赤い浴衣の少女たち

 深掘りしようとするといくらでもできてしまいそうなので、
 今回は妹の性格の変化に注目しようと思います。

妹の性格は「慎重的で臆病」でした。どこへいくにも姉の手を引かれています。一人でも二人でも、どこかへ行くときは目的地までの道順や目印をぶつぶつと呟きながら歩きます。それは宵山に行っても同じでした。しかし、途中で風向きが変わりはじめた瞬間がありました。それが「赤い浴衣の少女たち」です。一瞬目を奪われてから、宵山を怖いと思う感情が描写から消えています。それどころか、赤い浴衣の少女たちの手に引かれて自分も知らない場所へ、何も言わずついていきます。
そして、最後、姉に足を掴まれてから「怖い」という感情を取り戻し、事態の異常さに気づきました。

彼女は我に返り、「お姉ちゃん」と叫んだ。
手をさしのべ、姉の手を掴んだ。

宵山万華鏡「宵山姉妹」より

妹の性格が、慎重派から無鉄砲?(心を無くしたかのよう)に変わっていました。

私の考えとしては以下の通りです。

  1. 赤い浴衣の少女たちは祇園祭宵山の精霊

  2. 妹は赤い浴衣の少女たちによって催眠状態になった

  3. 同じくらいの女の子を連れ去る神隠し

一つずつ解説していきます。


[1. 赤い浴衣の少女たちは祇園祭宵山の精霊]

まず、赤い浴衣の少女たちは普通の人には見えません。実際、屋台のものを勝手にとっていきますが、屋台の主人たちは何も言いません。
これは
 赤い浴衣の少女たち=祇園祭宵山の精霊
と考えられるのではないでしょうか。

赤い浴衣の少女たちが駆け抜けていけば、たとえ混雑した宵山の中であっても声をかけられることがあってもおかしくはありません。それなのに、妹以外と会話をする描写がないことはその裏付けとも言えます。もしかすると、赤い浴衣の少女たち、ひいては祇園祭宵山の精霊は同じくらいの年齢の女の子にしか見えないのかもしれません。

[2. 妹は赤い浴衣の少女たちによって催眠状態になった]
妹の心理描写の変化はわかりやすく「赤い浴衣の少女たち」を見てから変わりました。あんなに慎重派で臆病、宵山に行くことすら躊躇っていた妹は、赤い浴衣の少女たちを見てから不安がなくなったようになり、再会してから何も不審がることはありません。
これは、
 赤い浴衣の少女たちによって催眠状態になった
のではないかと考えます。

前述したように、赤い浴衣の少女たちは祇園祭宵山の精霊であり、同じくらいの年齢の女の子にしか見えません。しかも、この混雑した宵山の中で参加者全員とすれ違うことは不可能に近いです。つまり、限られた人間の限られた年齢の前に、精霊は現れているのだと思います。
催眠状態になってから、不自然なほど従順に少女たちに連れ回される妹。しかし、その催眠状態をとくのはいつも手を引かれていた姉でした。そこで初めて妹は自我を取り戻し、少女たちの手が凍りそうなほど冷たいことに気付きます。

[3. 同じくらいの女の子を連れ去る神隠し]
普通の人には見えない赤い浴衣の少女たちを見てしまうことが催眠状態に入るトリガーとなり、赤い浴衣の少女たちに連れ去られていく妹。連れ去られそうだった妹を取り返した姉と二人で、空中浮遊をする赤い浴衣の少女たちはみな同じ顔をしていました。
これは、
 同じくらいの女の子を連れ去る神隠し
と考えられるのではないでしょうか。

祇園祭宵山の中で自分たちのことを認識した、小さな女の子を人知れず宵山の奥へと誘い、永遠のような宵山を楽しんでいる、そんなことも考えられそうです。遊んでいるうちに自分を忘れ、家族を忘れ、そして異世界へと。運よく現実世界に戻れた妹は大変ラッキーだったということでしょう。

「宵山姉妹」いかがでしたでしょうか。まだまだ話し足りずもどかしいです。

 ここで一つ謎があります。
それは、「姉には赤い浴衣の少女たちが見えていたのか」です。妹ともに目撃していたのなら一緒に催眠状態になった連れ去られることもありますが、姉が目撃している描写はありません。つまりは、姉には祇園祭宵山の精霊は見えていません。それでも、空に連れていかれそうだった半・赤い浴衣の少女たちともいえる妹を助けられたのは何故でしょうか。

このように描写されていないところをいくらでも夢想できるのが、この短編をおもしろくたらしめる部分でしょう。

みなさんの意見や考察もぜひ聞かせてください。


【宵山金魚】

ー あらすじ

第二話「宵山金魚」という短編です。奈良県の高校の同級生である、今は社会人として千葉県に住んでいる藤田と京都の骨董屋で働く乙川の話です。奇天烈で自由自在に動き回るつかみどころのない男・乙川を学生時代にお互いが「親友」であると勝手に自負し、毎回乙川に振り回される男・藤田という印象です。

藤田が祇園祭宵山に行くのは初めてである。本当は3回目だが、乙川のイタズラに毎回騙されてしまい、今までまともに見たことがありませんでした。。ついに3回目にして、二人で宵山に行くことができた。宵山の雰囲気を楽しんでいると、乙川から宵山に関する重要なルールを聞く。宵山にはルールがあり、宵山法度違反を犯すと祇園再総司令部によって宵山様の元に連れられ断罪されるというものでした。気がつくと、藤田と乙川ははぐれており、藤田は路地裏の駐車場に迷い込み「宵山法度違反」を犯してしまう。

宵山法度違反を犯した藤田は、籠に詰め込まれ、宵山様の元へ連行される。駒形提灯がずらりと並ぶ通路を通り、大座敷、舞妓、大坊主を経由しながら、宵山様の元に辿り着く。周りには、ガラクタも同然のような骨董品が並びその真ん中に「超金魚」、そして学生時代からの親友・乙川がいました。3回目の宵山もまた藤田は乙川に騙されてしまう。

以上が「宵山金魚」というお話です。

ー 考察

これはまた「宵山姉妹」とは全く異なり、純粋なおもしろさがありました。
序盤から聞き馴染みのない単語が飛び交い、宵山で二人がはぐれてから急に物語のスピードが上がりました。目まぐるしくたらい回しのように振り回される主人公と京都や古屋敷を連想させる人物、ものの数々。主人公は必死だけど周囲のなんとか無理矢理感がコメディ要素を生み出していました。

四畳半シリーズや夜は短し歩けよ乙女を読んでいる人には、お馴染みとも言うべき、「〇〇司令部」「奥州斎川孫太郎虫」など、いかにも語呂の良さとかっこよさだけでつけた固有名詞が登場します。加えて、特に説明もなく人が増えていくときはコメディ路線になる合図とも言えるでしょう。

例によって、振り返りです。
この話の登場人物は主に3人です。

  • 藤田君

  • 乙川君

  • 祇園祭司令部 

今回はコメディ路線が強かったため、ストーリ自体にはそこまで考察を深める余地は見つかりませんでした。

ですが、今までの考察を深める新たな要素が加わりました。
それは、「赤い浴衣の少女たちの正体」です。

乙川と連れ立って宵山を散策しているときに、藤田は赤い浴衣の少女たちを目撃しています。人混みの中を泳ぐように走り抜けていく少女たちに目を奪われていると、乙川とはぐれてしまいます。そして、宵山様の元へと連れ去られていく。

祇園祭司令部へしょっぴかれないうちに出ないと、面倒なことになる。
宵山様にお灸を据えられるぞ!

宵山万華鏡「宵山金魚」より

今回は「宵山姉妹」ほどではないですが、赤い浴衣の少女たちを藤田が目撃してから物語の空気感が変わったように感じました。乙川は姿を消し、突然周囲の現象に巻き込まれていきます。
このことから、赤い浴衣の少女たちに関して、以下のことが判明しました。

  1. 年齢性別関係なく、誰にでも目撃できる可能性がある

  2. 宵山の奥へと導くトリガー

  3. 現実と幻想の境界線をぼやけさせる「宵山化」

一つずつ解説していきます。

[1. 年齢性別関係なく、誰にでも目撃できる可能性がある]
「宵山姉妹」で赤い浴衣の少女たちは同年代の女の子にしか見えないのではと考察しましたが、今回、騙されやすい社会人男性の藤田も見えたことから、年齢や性別を限定して姿を見せるものではないことが判明しました。我ながら鋭い考察ではと思っていたので、少々恥ずかしいですね。

[2. 宵山の奥へと導くトリガー]
「宵山姉妹」に引き続き、妹も藤田も赤い浴衣の少女たちを目撃してから物語が急に動き始めます。これはストーリーというよりも森見登美彦先生の本作の書き方とでもいうべきです。つまり、赤い浴衣の少女たちの出現=物語が動く、と捉えるほうがいいかもしれません。

[3. 現実と幻想の境界線をぼやけさせる「宵山化」]
今回までの二つの話を踏まえた上で、とある仮説を立てることができます。
それが
 赤い浴衣の少女たちの目撃=宵山化を引き起こす
というものです。
ここでは、「宵山化=現実と幻想の境界線がぼやけること」とします。

前述の通り、赤い少女たちの出現は物語を左右する重要なトリガーです。
 「宵山姉妹」では妹が姉とはぐれ、少女たちに連れ去られ始める。
 「宵山金魚」では藤田が乙川とはぐれ、祇園祭司令部に連れ去られ始める。
赤い浴衣の少女たちを目撃した主人公は、宵山化を引き起こし、現実世界から幻想の世界(あるいは幻想のような世界)へ連れ去られていきます。

今回は藤田を騙した乙川の組織した集団の背景までは、詳細に語られていませんが、藤田が連行される道中に出会った舞妓や大入道は本当にドッキリの一部だったのでしょうか。祇園祭の空気に乗せられて人ならざるものが混ざっていてもおかしくはありません。現実と幻想は紙一重の世界、ちょっとしたことで混ざってしまうこともあるのではないでしょうか。

「宵山金魚」いかがでしたでしょうか。

物事を真正面から受け止めるだけでなく、裏の設定や仕掛けに思いを馳せることも非常に楽しいお話でした。真正面だけでは、また藤田君のように騙されてしまいますから。

みなさんの意見や考察もぜひ聞かせてください。

3. 突然ですが、今回は。

ここまでいかがでしたでしょうか。
まだ2話分しか書いていないのにこんな量になってしまいました。

それほどまで書きたくなる魅力があり、物語の奥の奥へと入り込んでいきたくなる小説ということですね。

本当は全話分を1記事で書き切りたかったのですが、あまりに多すぎるので分割することにしました。続きの記事もすぐに投稿予定なので、そちらもぜひ読んでみてください!

では、失礼いたします。

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