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30歳になったので不登校だった学生時代のことを書きます。(いじめ/自殺未遂/引きこもり)

 ごきげんようです。青子です。
20歳になったとき、「まさか自分が大人になるとは…」と世の中の大人と同じ世界に自らが踏み込んだことに驚きと不安を感じたことを覚えています。
そしたらどうでしょう、2023年2月26日、今度は30歳になりました。いやはや。
 以前、家族のことを書いた記事でも軽く記述をしたり、各所で学生時代は引きこもり児だったことを触れると、「じゃあどうやって今になったんか?」というのはちょこちょこと尋ねられておりました。
この度30歳になった節目に、実に暗いですが自分の学生時代のことを覚え書きとしてアウトプットしてみようと思います。(浄化できるようにと願いを込めて……)

( ▼家族について詳しくは1年前の記事ご覧ください )

絵を描くことが救いの小学生

 幼い頃から親の顔色ばかりを気にして過ごしていた私は、記憶の開始が訪れた時分には常に紙とペンを握って何かをずっと描いている子供でした。
 小学生に上がる頃には大好きな「星のカービィ」のイラストをノートに何冊も描き、毎日毎日飽きずに机に座って何体もの丸い物体を生成し続けました。
それは初めて自然体に楽しかったことで、誰に強要されることなく自分の意志で始め、いつまで続けていても怒られない唯一のことでした。

 カービィの自作漫画をノートに描けばそれをクラスのみんなが読んで褒めてくれ、休み時間になると机の周りに友達がたくさん集まり、「あれを描いてほしい」とリクエストしてくれました。
 家では両親に怯えて過ごしているわりには外では明るく、どちらかと言うと大胆でおてんばで、肌も黒く活発的だったためクラスで人気が無い方ではなかったと思います。男の子たちに混じって傷を作りながら走り周り喧嘩もよくしていて、家で出来ない分、外では自己主張をする子供でした。

 しかし、授業で頑張って作った絵や工作物・良い点を取ったテストなど……学校では褒められたのに、家では母親に渡せばチラリと一瞥したあと無言でゴミ箱に捨てられていました。
この情景は今でも強く記憶に残っていますし、「あ……頑張ったけどこれって褒められないことなんだ」と子供心に思ったことを覚えています。
(父は点数が悪いと体罰を与えてくるし、他も何が沸点かわからないため学校のものはなるべく見せませんでした)

容姿が悪いことは罪だと気づく思春期

 小学生では男の子に混じり活発に過ごしていた私は、中学に入り周りの女の子たちが変わっていくことが怖くなりました。
思春期に入っていった女子たちは、男子と気軽に絡むことがなくなり、やれ誰が●●だ、あいつは▲▲だとコソコソと群れて噂話に興じるようになります。
今まではそんな女子たちの「女性性」を考えず行動できていたのに、気づけば自分の幼稚な行いを白い目で見られる。男子と遊ぶと有りもしない噂を流される。急激に変わっていく周りの女の子に合わせてついていくのに必死でした。

 またこの頃から、もともと人より良くなかった容姿のことも言われるようになりました。
 一番辛かったのは、いつも一緒に3人で行動していた私以外の2人が"イジり"と銘打って行ってくるいわゆる「いじめ」でした。(当時は思ってませんでしたが、今考えるとそれはいじめでした)
基本毎日容姿を批判され、たとえば何か普通のことを喋ると「ブスなのにねw」と笑われ、何か小さなミスをすると「顔悪いんだからもっと頑張らなきゃw」などと言われる。それを本気で辞めてほしいと怒ると、「冗談じゃんw」「イジりに本気になってんの?」などと2人から笑われ、それ以上は何も言えなくなる。
ブスは荷物持ち!と訳のわからないルールで二人のカバンを持たされたり、『イジりタイム』というのが始まると数時間存在を無視される……。
それはあまりに幼稚で辛い扱いでしたが、他の女の子達もみんなそれぞれ群れていて輪に入れず、その2人と居るのに必死でした。

 またその2人から以外も、廊下で名前も知らない子が私の顔を指し吹き出し、学年上の全く知らない先輩でもすれ違い様に「鼻の穴でけぇ〜!」と顔を見て笑ってくる。そんな日常でした。
確かに当時の写真を見ると決して美形ではない顔なのは一目瞭然ですが、知らない人にもそこまで言われるほどこの世は容姿が全てなのだと嫌でもわからせられました。

 小学生のころは絵を描けばみんな喜んでくれたし、仲良くなれた。それなのにこの"中学校"という場所ではすぐには変えられない"容姿"というものが原因で何故かみんなから攻撃される。家でも母から「青子は顔が人より良くないから」などと言われてました。(最悪!!)
 勉強や部活でも環境に馴染めず他と遅れをとり、家では両親からもキツイ扱いを受けていた私は次第に居場所が無くなっていきました。

中1ドロップアウト

 そんな辛い状態で過ごしている最中、父親が家を出ていきます。
母と姉が一緒に追い出すような形で父はある日突然帰ってこなくなり、そのまま別居から離婚。離婚時は裁判を行い、父は即座に親権を切って父親を辞め、私たちに金を払うことを嫌がったと母から聞かされました。

 13歳だった私は、世の中の人間が全員嫌いになりました。
家にも学校にも、私を傷つけてくる人しかいない。誰も信じられないし、誰にも会いたくない。何かが私の中でプツンと切れ、そこから学校には行けなくなりました。
 始めは腹痛だと母に嘘を付き学校を休むと、夜に母が仕事から帰ってくるまで両目がパンパンになるほど延々大泣きする毎日。やがて仮病だと叱られるようになると制服に着替えて朝出ていき、そのまま学校に行かずマンションの非常階段に1日中座って何時間も泣く。安心できる場所はどこにもなく、とにかく毎日どうしていいかわからない辛さと寂しさにただただ泣くことしかできませんでした。
しかし非常階段に居座る姿が同じマンションの住人の間で奇行として噂になると、母は行きたくないなら家にいるようにと言うようになりました。

 そこから約3年間、私の引きこもり生活が始まります。

地獄のはじまり

 不登校引きこもりデビューした私を待っていたのは暗く辛い日々でした。今みたいにSNSは無くネットも不十分だったため、同じ悩みを持つ子供の存在などわからず、世界中でこんなに何もせず怠けている愚か者は自分だけなのだと毎日ただ自分を責め続けました。
学校の人たちに会わなくて済むのは救いでしたが、父を遠くへ追いやった母や姉のことは当時大嫌いで、2人も突然ドロップアウトした私にどう接していいかわからず、家の中にいるのに常に真冬のような冷たい空気のなかで侘びしく過ごしていました。
 ただ唯一の救いは、ネットが使えるパソコンが家にあったこと。次第にアニメ動画が見れるサイトにアクセスし、1日中アニメ関連の映像を見続けるようになります。見ているときだけは辛さも寂しさもすべてを忘れさせてくれたアニメの存在は、私の救いでした。

 しかしたまにかかってくる担任教師からの登校催促の電話におびえ、嫌いな母親の料理をただ食べて寝るだけの何もしない自分が本当に嫌で嫌で、やがて自分の腕をペンで何度も刺したり、自分の顔を手で何分間もビンタするといういわゆる自傷行為も見られるようになります。(今思えば、自分の顔や頭を叩くという行為は父がしていた暴力を自分で再現していたのだと思います)
 何度も言われた自分の容姿は一切見たくないため鏡という存在を嫌い、1日中外に出ず座っているだけの私は中1の終わりには70キロ近くにまでなっていました。髪も切らずボサボサでそれはそれはひどい有様でした。

地獄から地獄2丁目へ

 そして中学2年生へ上がるころ、担任教師からクラス替えを行うのでそろそろ登校してみないかという提案がありました。担任の男性教師のことは大嫌いでしたが、毎日やることなく堕落していた私は「今の状況を変えてみたい」と少し一歩踏み出してみたのです。
 ……しかし、それがまた辛い結果をもたらしました。

 2年生になり何かの好機を期待して新しいクラスへ登校してみた私に待っていたのは、またもや「いじめ」でした。

 その嫌いだった男性教師は、「俺がサポートする」という名目で精一杯の勇気を出して不登校児を学校へ出すと、無情なインターネットブラウザのように突然サポートを終了させました。
まだ名も覚えていないクラスの男子から教科書・ノート・靴・カバン……あらゆるものを隠されゴミ箱に捨てられる私を、完全に見てみないふりだったのです。
同じくクラスでいじめられっ子の男子とカップルだと言う有りもしない噂も流され、教室に入ると私の机と椅子はご丁寧に毎朝無残に倒され中身が出ている。「誰がやったの?」と周りに聞いても全員無言。絵に書いたようないじめでした。
 そしてまたひたすら毎日容姿を馬鹿にされる日々。当たり前といえば当たり前です。1年生のときに虐げられていた容姿よりもっとよりひどい奴が出てきたら格好の餌ですよね。いわゆるデブスの私は声も低く、他人が怖いので喋りもどもり、あまりのみっともなさに教師も薄っすら笑うレベル。
授業中に当てられ必死になって答えると、ネタが提供された!と男子たちは喜んでその後何度も私のモノマネをして大笑い。すごく悪い意味で人気者でした。

 そんな地獄の学生生活と地獄の引きこもり。どっちがいいですかー?となったら、もちろん後者です。無事引きこもり、続行!!

途切れた紐先を眺めて

 不登校児に逆戻りした我が子を案じた母は、フリースクールや母子家庭の支援で行っている塾のようなものに私を入れました。
しかしどこへ行っても馴染めず、もはや外へ一歩でも出ることが嫌になっていた私は何も続きませんでした。
 そんな私を見た母が姉に「青子はもう終わり」「進学もできないし就職なんか一生できない」と話しているのが聞こえてしまい、完全に私の自尊感情は音を立てて崩壊しました。
そして誰からも期待されなくなった14歳が出した結論は『もう終わらそう』でした。

 その日もいつもどおり母が仕事に行ったあと自宅に一人残った私は、ダンボールや雑誌のゴミをまとめる際に使用する紐のようなものをリビングの引き出しから取り出すと、椅子に乗り、自室の壁の少し高い位置についていたカバンをかけるフックにそれをくくりつけました。そして何の感情もなく、その紐の反対側は自分の首に巻きつけ、そのまま椅子から降りると頭にするどい痛みが走りました。
首の太い血管が締まると、偏頭痛のとてもひどいもののようなものがズキンとするのです。そのあとは顔がパンパンに腫れ上がったような感覚と顔の皮膚に熱さを覚え、呼吸器と声帯が締まり「ぐっ」とカエルが潰れたような声を出すと同時に、床にドスンと尻もちをしました。
何が起こったのかわからず、目は開いているのに視界が黒くモヤがかかっているためボーッとしばらくしていると、次第に自分の太くて醜い足が見えてきます。血流が足りず回らない頭でぼんやり目を動かすと、先程かけた紐が床に落ち、切れた紐先がただそこにありました。
その瞬間、「どこまで自分は惨めなのだろう?」ともう何百回も自身に問うた台詞がまた浮かび、床にうずくまって何時間も泣き続けました。

友達がくれたそれは限りなく自然な意欲

 知識の乏しさで命を拾ってしまった私はその後次第に幻聴を聞くようになり、『早く死ね』『死ねないほど無能』『家族のために居なくなれ』などど言ってくる"黒い人"との生活を送ります。(その黒い人は未だに私の中に住んでいて、調子が悪いとたまに顔を出します)
失敗した首を伸ばすおまじないも再トライできないほど無気力に過ごし、気づけばとっくに中学3年生になっていました。

 しかし、そんな最悪な状態から私を救ったのは、一人の友人の存在でした。
 「ちっち」というあだ名の女の子は1年生のときから少し交流があり、引きこもりをしている間もメールのやり取りだけは唯一していた子でした。
3年生になったある日、共通のアニメの話題や当時2人とも大好きだった椎名林檎さんのことで盛り上がり、『メールではもう無理!』とちっちが誘ってくれたことで2人でカフェに行ってそこで突然6時間以上も話したのです。
ちっちはさらに醜くくなった私を見ても何も言わず、嫌な顔ひとつもせず、「青子の話は面白い!」と何度も笑ってくれました。
そこから週末はちっちとカフェに行くことが日課になり、毎回6時間以上話しをするようになりました。ちっちといるときは"黒い人"も何も語ってこず、ただただ、普通の女の子同士のように過ごしました。

 そして3年生の夏休み。その日もメールでひとしきり盛り上がったあと、『明日、体育祭の準備で学校に行くから一緒にやらない?』とちっちは本当に何気なく、誘ってくれたのです。
私は自分でも不思議なほどすんなりと思いました。「ちっちがいるなら行こう」と。それは自分が数年不登校であることを忘れたかのように。
夏休みでほとんど人がいない校舎を久々に訪れた私は、名も知らぬ初対面の女の子たちとちっちと何の違和感もなく自然と、体育祭で使う旗の着色をペンキで行っていました。
『なんだ、こんなもんか』……。その日、家に帰ったあと憑き物が取れたかのように自然とこう思ったことをよく覚えています。

夜の高校生、スタート

 そこからちっちのおかげで少し生きることに意欲的になれた私は、何の学も制作実績も無いのにいきなり美術系の高校受験を受けボロボロの結果を残し、最終的に定時制の夜間高校へ進学しました。(意欲が湧くと行動力だけはある)

 結論から言うと、夜間の高校は本当に私にとって最高の環境でした。
定時制高校に入る学生は基本何かしらの理由で人より少し違った道を歩むことになった人が多く、見るからに激しめにやんちゃだったり、私のようにいじめなどで引きこもっていたり、親がお金をあまり持っていなかったり、一度社会に出た大人だったり……本当に様々な環境な人がいました。
そして私の入った定時制は、良い意味でみんな他人に興味がありませんでした。
制服はなく私服登校ですが、誰がどんな格好してようが、どんな顔かたちをしていようが、どんな髪色をしてようが、全くみんなどうでもいいのです。元より他人などどうでもいいので、自分の以外の人間の容姿などに一切興味がないのです。自分が容姿で悩んでいたことが地味でバカバカしくなるほど、みんなそれぞれが強い個性のかたまりでした。
 そして定時制の先生は事なかれ主義の方が多く、問題児の多いクラスをいくらでも見てきているのでちょっとしたミスくらいでは叱ったりせず放任で、基本授業や課題をきちんとやっていればちゃんと評価してくれました。
 それは逆に言うと、みんな基本「ちゃんとしよう」という意志が軽薄なため、少しでも優等生な態度を取るとものすごく引き立って評価が上がるのです。この方程式に気づいてしまった私は、やればやるほど教師からの評価がグンと上がる現象にやみつきとなりました。

 そして気づけば高校生生活は3年間皆勤賞。中学ほぼ3年引きこもって不登校やってたやつが、ですよ。
基本みんな机に突っ伏して寝ている中で、いつも一番前のど真ん中の席を取り笑顔で頷きながら受けるという授業態度も最良の優等生。テストも毎回ほぼ良い点数を取り(恐らくほぼ中学生レベルの問題だったため)、生徒会副会長までやる始末。
 また、太っていた身体は高校生1日目から始めたバイトのおかげでみるみるうちに15キロ以上落ち、高2ではじめたコスプレ趣味のおかげでメイクと衣装でいくらでも容姿を変えられることを知り、コスプレ界隈の友達も大量にできました。

その後……

 高校生活は母子家庭だったことから学費や給食費を自分で払うためのバイトもキツく、順風満帆!ではなかったですが中学のときの地獄を考えると何が起こってもなんのそのでした。もし迷っている親御さんや学生さんがいらっしゃるなら、私には合っていたという理由もありますが……いわゆる"普通の子"が少ない夜間学校は基本オススメです。(夜の時間帯とちょっと変わった子が多くて私服登校というだけで、普通に大学に進学した子もいます)

 そんな感じで高校で中学の劣等生感を一瞬で無きものにした私は、努力が認められ高3のときには特待生として学生ローン(奨学金)の最高ランク(一番利子の低いもの)で専門学校へ進学できました。ローンは今でも自分で返しています。
 自宅で仕事ができるかもというのを見て高2くらいから「WEBデザイナー」を目指すようになり、WEB学科の専門学校をその後2年通って卒業しました。
専門学校は課題が本当に大変で辛いこともありましたが、プロジェクトにおける思考方法や、デザインに使用するツールを教えてもらったことと、今でも仲良くさせてもらっている友人とそこで出会えたことが本当に人生において宝となっています。

 専門学校卒業後は無事WEBデザイナーになりましたが、新たなる地獄がありましたのでそれはこちら(↓)を見てくださいw

さいごに

 正直、今でも容姿へのコンプレックスは強いです。過敏な時期に何度も容姿について言われたらそら歪むよなとは思っています。
そして人は見た目が本当に第一です。学生時代から30の大人になってもずっとこの考えは変わりませんでした。このルッキズムの時代に何言うてんねんですが、やはり未だに人類の90%は見た目から人を判断し、態度を変更すると思います。(動物的に言うと対面した相手が敵かどうか決めるのに目を使うのでやっぱり本能なのだと思いますが)
 ……これは余談なのですが、中学のときに私をいじめていた男の子たちの主犯格の子に20歳のときの同窓会で再会しました。相手はもちろんいじめを行っていたことなど1ミリも覚えておらず、私の名前も顔も、存在自体も記憶から綺麗に無くなっていたようです。誰かが持ってきた卒アルにあったドブスの私の写真を見てその男子も含め「整形!?」「全身いくら使ったの!?」と一通り盛り上がり、名前も皆覚えがない幽霊クラスメイトとして散々キャッキャッされました。
そして帰り際その忌々しいいじめ主犯格の男子から照れた様子で「また会いたい」とLINEを聞かれましたが、「やっていない」と嘘をついて一人で帰りました。
心底、『くっだらねぇ』と思いました。そこである程度私のいじめ体験は浄化していたようです。

 今でも中学のときの14歳の自分に会ったら、抱きしめてあげたいなとたまに考えてしまいます。孤独で、視野が狭くて、毎日毎日死ぬことばかりを考えて。本当にかわいそうでした。「全然将来大丈夫だよ〜」「大人なんてみんなもっと怠惰だよ〜」と教えてあげたいです。
ちなみに私に生きる気力を与えてくれた友達『ちっち』は高校になって突然鬼ギャル化しすぐにデキ婚。どこか遠くに飛んで行ってしまいました。(彼女が今も幸せなことを願う)

 ほぼ中学生のときの話で埋まってしまいましたが、学生のときの話をようやくここで書けてよかったです。引きこもり中はもっと色んなエピソードがありましたが、長くなるので割愛します。またの機会に。
 すみません、長いのに。ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。おわり

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